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【半径3メートルの世界】 偶然をつくりだすものは何か

今日は着付けのお稽古の日。
一緒に習っている友人が最近購入したという帯を持ってきた。

なかなか素敵な帯。
「いつものリサイクルショップで、1000円だったの。お稽古用に気軽に使うのにいいかと思って」
と話す友人は、住んでいるところの最寄駅から何駅が離れたところにある着物のリサイクルショップで素敵なものを見つけてくる。

「たまにはリサイクルショップを覗いたりして、いいものがあったら購入するのもいいね。思ったものを探そうと思っても意外と見つからないから。ちょこちょこ見ているのがいいのかな」
と私。

そのリサイクルショップのある駅の商店街は他にも面白い雑貨屋さんや個性的なお店があるという。彼女は休みの日に散歩がてらその商店街に行くそうだ。

それを聞いてふと思った。
私には散歩がてら行くように場所がない。そもそも散歩と言ったら、近所の川沿いを歩いたりしている。

あれ? でもそれは散歩ではなく、むしろウォーキング。運動なのか?

だいたい、最近の私はウィンドウショッピングを全くしない。『目的』があって出かけることはあっても、特に『目的』もないのにふらっと歩くとか、立ち寄る場所がないのである。

そう、いつも『目的』がある。

彼女は特に『目的』がなくても、
「今日は天気もいいし時間もあるからあの商店街に散歩に行こう」という気分になり、お出かけをするというのだ。

そして、ふらっと入ったリサイクルショップにたまたま素敵な物があったから購入する。そんな時間を過ごしている。

たまたま、素敵な帯があったのだ。別に帯を買おうと思ってそこに行ったのではないのだ。
それは素敵な帯との偶然の出会い。

最近の私にはそんな偶然の出会いがない。
偶発的な出来事と言ってもいいかもしれないが、そういうことが少ないような気がする。

なぜだろう。

偶発的な出来事は、これをしようと思って起きることではなく、まったく予期せぬことから始まることだ。予期せぬということは、予定していなかったこと。今の私は予定していない行動、つまり『目的』がない行動を起こしていない。『目的』のために全ての行動を組み立てるから、予定していない行動をする余地、余裕を持っていないのだ。それは時間にも、気持ちにも余裕がないということなのだろう。

こんな状態では、到底、偶発的な出来事なんて起こるはずがない。


「私、少し余裕がないのかな」
思わず呟いた。

友人は私の顔を見てちょっと驚きながらも、
「きっと忙しいんだよ」
と慰めてくれた。

全て自分で決めてしまった出来事だけではなく、予期せぬ出来事の中に喜びを感じることも時に必要なことだと思う。
私もたまには『目的』のない行動をしてみよう。それがきっと人生にもっと豊か時間をもたらすものなるに違いない。


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