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半径3メートルの世界

「沖縄って停電しているんだってね」と言いながら、NHKの9時のニュースに目をやった。私はその日、SNSでたまたま友人が沖縄で足止めされているということを発信したのを見て、始めてそこで沖縄に台風が来ていて色々と被害が出ていることを知ったのだった。

私は今年に入ってほとんどテレビをつけていない。いや、もしかしたら昨年の秋くらいからつけていないのかもしれない。前回つけたのはいつだっただろうと思い出せないぐらいだ。
厳密に言うとテレビはつけているけれど、流れてくる放送を見ていないという表現の方が正しい。オンデマンドの動画配信を観るためにテレビはつけることもあるが、民間放送などを見ていないのある。

ただし、実家で食事をしている時はテレビがついている。
食事の時間帯はすこし幅があるが、大抵の場合、母の好きな番組が流れており、それは健康番組だったり、歴史紹介の番組だったり、曜日によって様々だ。実家ではニュース系の番組はBS放送のものを見ることが多く、日々起こったニュースを伝えていくような番組を私が目にすることも少ない。

そんな中、たまたまその日はNHKのニュースを見て、友人がSNSで発信していることと世の中の状況を一致させて感じだった。

テレビ放送を見なくなって、日々のニュースをどうやって知り得ているのかというと、実は日々の世の中のニュースにもほとんど接していない。
意識的に接しないようにしているというより、気がついたら接していなかった、という感じだ。

起きている時間があって、その時間の中でやりたいことがある。それをやっていると、夜になり、眠くなり、そして眠る。やりたいことを優先すると、日々のニュースに接する時間がいつのまにかなくなっていたのだ。

今、私は間違いなく、目に飛び込んでくる自分を中心とした半径3メートルくらいのことをしか感知せず生きていると思う。

もちろん、仕事上に必要なあらゆることは気にしている。そして、自分の興味のあるものに関しては、積極的に接する時間をとっている。
ところが、自分を中心とした半径3メートル以上離れたところで起こっている何かに意識が向いていないことに気がついた。

世の中のニュースを知って何になるのだろう。自己中心的と言えばそうかもしれない。でも、悲しいニュース、嬉しいニュース、政治家の発言などを知っても私の世界に必要でなければ、知る意味がないことだ。
もうそんなに世の中のことを知らなければ生きていけないなんてことがないのだから、知らなくてもいい、と思う。

私は最近、どうしても知らなければならない情報やニュースは、向こうから飛び込んでくると思っている。世の中の動きも、本当に私に必要なことなら、何かをきっかけに知ることになるだろう。

もし誰かと話していてそのニュースを知らなかったら、その時教えて貰えばいい。「知らない」ということを言えないほどプライドは高くない。

そんなふうに構えて、半径3メートルの世界を一生懸命磨いて、充実させていくことが、今の私にぴったりだと思う。
よく自分の世界を広げることの素晴らしさを言うことがあるが、今の私には『世界を広げる』というイメージよりも、自分の『世界の密度を濃くする』といった方があっているように思う。

あくまでも、私が感知している物理的な世界は半径3メートルだけど、そこには目に見えていること以外にも、ぎっしりと私の意識とともに何かが詰まっている。そして、その密度が濃くなればなるほど、私の世界は充実し、豊かになる。

自分を中心に半径3メートルなんてふと思いついたことだったけれど、こんな状態がとても心地よくて、これからもその世界で十分生きていけそうだ。




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