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便利さの代償?

先日、出先での用事を済ませ、家に帰るため夜道を歩いていた時のことである。横断歩道を渡っている最中、急に目に違和感を覚えた。

どうやらホコリかまつ毛か分からないが、何か小さな異物が目に入ったようであった。ひとまず急いで横断歩道を渡りきったあと、立ち止まって目の異物に対処することにした。
そして目を閉じたり開けたり、手で軽く擦ったりしていたところ、何やら一瞬面白い現象が見えたような気がした。

目の違和感が落ち着いてから、私はさっき起きた面白い現象を再確認しようと、もう一度目を細めてみた。

経験的にほとんどの人が知っていると思うが、暗い場所で目を細めて信号や街灯などの光を見ると、光の上下に細い線が何本も伸びているのが見える。
その状態で、指でそっと上のまつ毛を下から持ち上げて押さえてみたのだ。
すると、光の上下に伸びる線が消えた。
指を離すと元どおり見えるようになった。

なるほど、そういうことだったのか。
目を細めた時に見える光の線は、まつ毛があるから見えるものだったのだ。
詳しい原理はまだ調べていないのでよく分からないが、まつ毛が光を遮ったり反射させることで起こっているのだと推測できそうだ。
そういえば私は子供の頃に、この目を細めた際に見える上下の線がなぜ見えるのか、気になってあれこれ考えていたことを思い出した。
かなり昔のことですっかり忘れていたが、この答えが偶然にも分かったその瞬間に、子供の頃疑問に感じていたことも思い出したのだ。

私はその日の疲れを一時忘れ、偶然発見したその事実にとても嬉しくなってしまった。


小学校や中学校の授業のような、歴代の賢い人たちが発見してくれた事実や法則を教わることはとても大切だし、知識を吸収していく過程は面白いものだが、やはりどんな些細なことでも自分で発見したことには何事にも代えがたい喜びがあるのだろうと、今回の出来事を通じて思った。

この発見する喜びの感覚は、おそらく一般的には子供の頃の方が多く、年齢を重ねるにつれて機会が減っていくのだろう。
しかし、現代においては単なる年齢だけの問題ではないのかもしれないと感じた。
それは、例えばスマートフォンやインターネットの普及により、気になったことや分からないことがあってもすぐに検索して正解を知ることができるようになったことなどが強く関係しているのではないか。

それまでの生活に比べるとあまりにも便利なスマートフォンが登場し、私もつい気になったことはすぐに調べてしまう癖がついてしまった。
(自分だけでなく、多くの人がすでに同じような状態だと推測している)

正しい情報を素早く検索することができるのは圧倒的に便利で、単なる知的好奇心を満たすだけに留まらない恩恵を日々当たり前のように享受している。
一方で、検索してすぐに答えを知ったことの多くは、ほんの数日後には忘れたり記憶が曖昧になったりしていることが多くないだろうか。
少なくとも私はそうである。

もし私が子供の頃にスマートフォンがあったら、目を細めた際に見える線について気になったとしても、すぐに検索して答えを知って満足し、忘れてしまっていたのではないかと思う。
しかし、偶然にも今回のように身を以て自ら発見したことに関しては、私はこれからも忘れない自信があるのだ。

今回の体験は、偶然だとしても物事を自分で発見する喜びや、間違えていたとしても気になることについて考えを巡らせてみることの大切さを改めて実感することができた。
(そのような機会が年々減っていることも気がつかせてくれた)

もし次に頭の中で小さな疑問や気になる点が浮かんだ時、急ぎでない場合は答えを検索するのを一旦我慢して、しばらく考えを巡らせてみるのも大切なのかもしれない。


遠藤紘也
ゲーム会社でUIやインタラクションのデザインをしながら、個人でメディアの特性や身体感覚、人間の知覚メカニズムなどに基づいた制作をしています。好きなセンサーは圧力センサーです。
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