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常連客

私は蕎麦が好きで、就職を機に一人暮らしをしてから近所の蕎麦屋によく行っている。
その蕎麦屋は席がカウンターで七席ほどしかなく、頑固おやじという言葉がいかにも似合うタイプの強面のおじさんが一人で切り盛りしている。
その店主は無口で、注文を取るときもほとんど声を出さず、蕎麦を出すときも無言で目の前に差し出すのだ。
最初は少し不愛想で怖い店主だと思っていたものの、蕎麦の味は好みだった上に価格もお手頃で、自然と二回目、三回目と足を運んでおり、いつしか毎週のように通うことになっていたのだ。

その蕎麦屋はお昼時になると店の前に並んでしまうことも多いため、私はいつも午前11時過ぎの開店直後に行くことにしていた。
ある日、いつものように開店直後に蕎麦屋へ行くと、五十代くらいの男性の先客が一人いた。いかにも常連客という雰囲気を出し、店主と何やらゴルフの話題で盛り上がっていた。
私はその店主が楽しそうに話をする様子を初めて見たため、静かに驚いた。

狭い店内でなるべく先客と離れた席に座り、いつものように「もりそばセット(千円ちょうど)」を頼んだ。
その店は現金払いのみのため、値段のキリがいいそのメニューを毎回頼んでいたのだ。

私の注文した蕎麦を作る間も二人の話は盛り上がっており、私は妙なことを考え始めた。
自分がこれからもこの蕎麦屋に通い続け、いずれ常連客と認定された場合、あんな風に店主と会話する雰囲気になったりするんだろうか、、
というのも、私は特定の店に通い続けて店主と顔なじみになったような経験が今まで無く、常連客としての自然な振る舞い方がよくわかっていなかったのだ。
正確には、今までも気に入って通おうとしたお店はいくつかあったのだが、店主に顔を覚えられていることが分かると、妙な恥ずかしさから途端にその店に行きづらくなってしまったのだ(例:帰り際に「いつもありがとうございます」と言われるなど)。
そんなことを考えているうちに、店主はいつものように無言で蕎麦を私の前に差し出し、私は二人の会話をBGMに蕎麦を食べたのだった。

数週間後のある日、事件は起きた。
いつものように蕎麦屋に行ったのだが、私はその時なぜかいつもの「もりそばセット」ではなく、少し高価な「かき揚げ天そば」を頼んだ。
食べ終わり、いつものように会計をしようとした時、ふと嫌な予感がした。
恐る恐る財布を出すと、案の定、所持金が足りなかった。

私はいつも、その店に行くときは千円札が一枚あればいいという感覚でいたのだが、この日は少し高価なメニューを頼んだせいで、それでは足りなかったのである。

大きな焦りが私を襲った。
店主は無口で無表情、私は注文と会計に関する最低限のやりとりしかしたことがないのである。
常連客としか親しげに会話している様子を見たことがなかった。
何度も訪れているが、初めてこの店に来た時のような怖い店主に見えてきてしまった。

私は少しの間無言で座っていたが、このままではどうにもならない。
私は勇気を振り絞り、店主が近くに来た時に小さな声で話しかけた。
「すみません、手持ちのお金が足りなくて、すぐそこのコンビニで下ろしてきてもいいですか、、?」

すると店主は笑顔でこう言った。
「あぁそうですか、そしたら、お金はまた次に来た時でいいですよ!」


私は呆気にとられてしまった。
そうか、私はもう、常連客だったのだ。

嫌な顔をされなかったことに安心しながらも、すぐ近くのコンビニで急いでお金を下ろし、すぐに代金を支払った。

常連客というのは曖昧な言葉で、何回通ったら常連客であるとか、店主と仲良くなったら常連客であるといった正確な定義が存在しない。考えてみれば、人間の関係を示す言葉には正確な定義のない曖昧なものも多い。

例えば「親友」という言葉も、ある二人のうち一方は相手を親友と思っていても、相手は実際そこまで思っていない可能性がある。
これは聞いた話なのだが、日本では一般的な「告白」という文化も、海外ではあまり馴染みがないことが多いのだという。日本では、ある二人がカップルであるかどうかの基準として、どちらかが(あるいはどちらもが)告白をし、お互いが付き合うことを了承するフェーズを踏んだかどうかが重視されている。

しかし告白といった明確なステップがなく、お互いなんとなく会っているうちに気がつけばカップルになっている、という文化の国も多いらしいのだ。
その文化であれば、どこかのタイミングで「自分は相手を恋人だと思っているけど、相手はまだ友達だと思っている」というような認識のズレが発生するタイミングがあるのではないかと推測できる。

曖昧な関係というのはこのような認識のズレをもたらすことがあるため、なかなかに厄介である。
今回自分は、会計をツケにすることが可能である事実が判明した瞬間に、自分は常連客だったという認識になったが、店主もそう思っているかを確認したわけではないので定かではない。

数週間後、私は蕎麦屋での一件を忘れられず、次にどんな顔をして行けばいいのか分からないながらも、その店に行けなくなるのは手痛いと思い、勇気を出して再び店を訪れた。

恥ずかしさから少しうつむき気味に店に入ると、店主はいつもと変わらない対応で出迎えてくれた。

私は千円ぴったりの「もりそばセット」を注文し、店主は無言で蕎麦を私の前に差し出した。

遠藤紘也
ゲーム会社でUIやインタラクションのデザインをしながら、個人でメディアの特性や身体感覚、人間の知覚メカニズムなどに基づいた制作をしています。好きなセンサーは圧力センサーです。
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