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あの頃の自分を添削

今年もあと5日で終了。

今年の4月から友人3人で、些細でも面白いと思ったことを何かしら形にするかと始めた『週刊 ん?』も合計48記事となった。そのうち自分が書いたものはこの記事を含め15記事。

それぞれの記事を投稿直後は、誤字や日本語として変な部分はないか不安で何度か読み直していたが、それ以降読み返すことは意外となかった。

年末でひと段落ということで、過去の自分の記事を今一度読み返してみた。
すると、投稿当時は何も感じていなかった微妙な表現や語尾がなぜか気に入らなかったり、恥ずかしくなったりして、気づいたら編集してしまっていた。

そのどっちでもいいような部分を変更している自分の行為自体が面白く、せっかくなので変えた部分を一部紹介しようと思う。

2021年5月2日 「誤認識写真館」より
エレベーターのボタンの下に書かれた「ひだり専用ボタン」という説明と矢印のアイコン。
→ エレベーターのボタン下にある、矢印のアイコンと「ひだり専用ボタン」という文字が記されたサイン。

<なんか一発で入ってこない文だった。実物と合わせてアイコン、文字の順番がいい。

こちらは、普段きつね派である私が、たまたま家にあったので惰性で食べることにした緑のたぬき。
→ こちらは、普段きつね派である私が、たまたま家にあったので珍しく食べることにした緑のたぬき。

< 惰性て。惰性って言葉を使いたかっただけのように思える。
2021年5月23日 「張り紙の中の店主」より
大学生の頃から、降りた事のない適当な駅で降り、一通り散歩をして、最終的には多分この駅にしかないであろうこぢんまりとした居酒屋でお酒を飲んで解散、という遊び方をよくしていた。
→ 大学生の頃から、友人と降りた事のない適当な駅で降り、一通り散歩をして、最終的には多分この駅にしかないであろうこぢんまりとした居酒屋でお酒を飲んで解散、という遊び方をよくしていた。

< 一人の趣味っぽくも聞こえるのに、唐突にに「解散」って出てきて、あ、誰かといたんだって分かりにくかった
2021年7月25日 「誰かに紐づいた情報」より
さらに昨今、スマートフォンを開くとホーム画面にたくさんのアプリが収容されて並んでいる。
→ さらに、スマートフォンを開くとホーム画面にたくさんのアプリが収容されて並んでいる。

< 昨今てほど近ごろでもないだろ。10年以上前からそれはそうだろ。
2021年9月12日「「... !」」より
はじめて「...!」がしっくりきたのだ。決して声は大きくないけど、最後に一拍置いて訴える雰囲気がある。後日話した友人にも、すんなりとニュアンスを共感してもらえた。
→ はじめて「...!」がしっくりきたのだ。決して声は大きくないけど、最後に一拍置いて訴える雰囲気がある。後日話した友人にも、すんなりとニュアンスを共感してもらえた。(違ったニュアンスを感じた方はぜひコメント等で教えていただきたい)

< 勝手に自分の感覚を押し付けていたが、もっと上の世代や逆に若い世代がどういうニュアンスで読み取っているのか知りたくなった。


こんな感じであんまりいじるのは良くないなとわかっていながら、他にも単語単位で細かくいじってしまった。意味のない自己満である。
もしこれらの文章が本として印刷されて誰かの手に渡ってしまっていたら、当然こんなことはできない。私の本棚に並んでいる本の中にも、やっぱ違う言い回しが良かった、今ならそんな言い方はしないと筆者が感じる文章たちに溢れているのだろうか。それはそれで物理的な本には、当時の筆者がありのまま宿っているという魅力がある。
(この最後の締めも数ヶ月後に数文字いじっている可能性があります。)

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