見出し画像

誰かに紐づいた情報

私は今、実家のマンションで暮らしている。
仕事を終えて、電車に乗り、夜遅い時間に最寄駅で降りて、実家のマンションへと徒歩で帰る。
帰り道のある地点から、私のマンションは姿を現すのだが、私はその時に我が家の部屋の明かりがついているかを確認する。明かりがついていれば、父、母、弟の誰かしらが起きているということを認識できるからである。皆さんの中にも同じような経験をしたことがある方は少なくないと思う。
改めて考えてみると、「部屋の明かり」というたった一つの情報に、父、母、弟という3人の人間の存在を勝手に紐づけて、その中に強い存在感を感じていたことが面白かった。

画像3


このように、「その人」と「その人と何かしらで同期したモノ」に紐付けて認識している場面が探してみると意外とある。

画像4


インターネットは、より「そこに存在する感じ」を加速させる。
恋愛ドラマなどでよく見る例として、主人公が自分の部屋のベッドの上で気になる相手からの返事を待っている時、携帯電話を見つめてそわそわしているシーンがある。この時、主人公は携帯電話という四角い金属の塊に好きな人の存在を投影して意識している。

さらに、スマートフォンを開くとホーム画面にたくさんのアプリが収容されて並んでいる。私は、アプリごとにもそれぞれ違った存在感を感じている。
中でもSlackというコミュニケーションツールは、長年仕事で使ってきている。
そのため、未読のバッジがついているとき、プライベートなLINEやInstagramに比べて、仕事に関わる人物の存在を感じて緊張感がある。
特に遅い時間だと「何か緊急のトラブルがあったか?」と開くことを躊躇してしまう。

画像2

私のiPhoneも、アイコンの中に別々のコミュニティが息をして暮らしている一種のマンションの様なものに感じた。


話を戻して、その日は外から見た我が家の部屋の明かりは真っ暗だったので、私はそっと音を立てずに玄関から自分の部屋へと入っていった。
私は移したい写真データがあり、iPhoneから自分のPCにAirDrop(近くにいるオンラインのデバイスに写真や動画を共有できる機能)を使って、共有しようとしていた。
その瞬間私はドキッとした。

画像3

共有相手の候補に、母と弟が表示されたのだ。
部屋が暗いだけでまだ起きているということ自体はそこまで驚くことではない。ただ、勝手に寝ているものとして処理していた家族のうち2人が、すぐそばでスマホを開いて起きているという事実を、このように機械的に知らされたのは初めてで、この無機質なアイコンに妙な生々しさを感じた。
同時に、この瞬間にも「私」という情報が無自覚に思わぬ何かを媒介して、誰かに知られているかも、とざわっとなった夜であった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?