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「こなす」のは悪いことか?美容師さんとの会話から。

先日、私を担当してくれている美容師さんが教えてくれました。

「こなしちゃってる、と気付いて凹んだんですよね。」

私が今通っている美容室のオーナーさんは写真屋さん。美容室の隣に写真スタジオがあるため、七五三シーズンには多くの「この時だけのお客様」が増えるわけです。

私を担当してくれている美容師さんは最近、産休から戻られたばかり。そんな中で、店長も任されたとのこと。美容室の人の入れ替わりは比較的高いと想像していますが、最近生じた退職者分の求人作業を行いながら、予約システムの入れ替えを担当。育休から戻られたばかりで、子育てと仕事のリズムを作るだけでもとても大変な状況だったはずです。

新しく導入された予約システムでカレンダーを覗くと、いつも予約でパンパンな彼女です。

そんな中で七五三シーズンを迎えて、冒頭の発言につながります。

本来は一人一人(相手を知る方)向き合って、スタイリストとして仕上げることに喜びがあるというこの方。この時期だけのお客様に対して、また、短時間で流れ作業の様に多くの対応しなければならないことに、ギャップがあるようです。更には「この日のために」上京された祖父母の方などが目を細めている姿を見て、その気持ちに共感できるが故、そのイベントの重要性を理解しているからこその悩みと理解しました。

そして、こんな話になりました。

「こなす」とパフォーマンスは落ちるのか?


「こなす」のは悪いことなのか。そもそも「こなす」というのはどういう状況か。「こなしている」時にパフォーマンスは果たして下がっているのか。

色々話していた後、彼女の口から出てきた「最近見たオーディション番組での一幕」が心に残りました。

「とある天才的に歌の上手な子が、先生に言われたんです。あなたはいつも同じパフォーマンスが出せないから、プロとしては難しい」

うーん、と唸りました。全国行脚するシンガー(例:矢沢永吉さん)はどうなんだろうか。

そこから、「野球選手はいつもどんな気持ちでバッターボックスに入るのだろう」という(お互いに経験もしたことのない途方もない推測ではありますが)話に展開されました。実は、あまり気持ちに抑揚はなくて、むしろ一定の状態の方がパフォーマンスは高いのではないか、なんて。

私も普段の仕事で、毎日1次面接を行っています。
セリング(魅力付け)もしますし、クオリフィケーション(見極め)もします。日々、初対面の多くの方と会話するのは、とても力のいる作業です。

採用業務を始めた頃は、ひとつ前の時間に会話した方の判断をどうしようかの迷いが残ったまま、次の面接が始まってしまい、大事な話を聞き漏らしてしまうこともありました。3年経って慣れてきた今でも、時折、(まったく面接とは関係のない)自分にとってのプライオリティの高い仕事の悩みが面接中に浮かんでくることもまだあります。家族や子育ての気がかりな出来事を思い出しそうになることもある。相手の話に集中し続けることは、とても難しいなあ、と思います。

同じ物差しで判断したい

そんな中でも、できるだけ同じお話をさせて頂きたい。そのため、スクリプトを用意することや、面接に入る前Zoomで自分の表情を確認するルーチンなども取り入れました。

「こなしてないか?」と聞かれたら、100%「Yes」とは言えないなあ、と思います。それでも、できるだけ心穏やかに、同じトーンで、同じ内容を、同じ気持ちで聞いて、判断できるようになりたい。

思えば、結果を出し続ける営業の方(インサイドセールスも外勤営業も)がよく仰います。「営業は断られるのが仕事。それでも一定のペースで一定の量でお客様と会話することが大事」

なんてことを考えると「こなす」のも(言葉の印象は悪いですが)悪いことではないような気がしてきた、美容師さんとの会話でした。


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