見出し画像

逃げ水 #10 | 揺れる想いと、揺れすぎる棚。

内装管理室との打合せから戻ったあとは、粛々と内装設計指針を隅まで読み込み、図面を描き、社長やクライアントと数回の打合せを経て工事に着手した。

幸いにして見積り金額は提示された予算を少しばかり超える程度で出てきたので、ちょっと背伸びして選んでいた高級素材を廉価だが見栄えのするものに置き換えるなどして早々に調整ができた。

今日は引き渡し前日の工事現場の最終チェックの日だ。
つい一週間前に現場に行った時には、床壁天井の仕上げが完了している程度で、本当に後7日間で仕上がるのかと不安になったのだけど、先輩が言うには内装工事の現場は概ねそんな感覚で、最後の最後で一気に仕上がるものらしい。


現場のある百貨店の営業時間が終了した後、通用口の受付で名簿に会社名と名前を記入し、首からぶら下げるストラップ付きのカードを受け取って入館した。

搬入用の台車がつけた傷がいたるところにあり、必要最低限の照度のどんよりとした白い廊下を、右折左折を繰り返し店内に入る。
百貨店の従業員が誰にともなく会釈をして消えていく扉の向こうはこうなっていたのか。

岡本太郎が設計した太陽の塔に実は内部空間があることを知った時のような、空間の裏表のどちらも手中に納めたんだという幼稚な征服感を抱いた。

人気のない館内を大手を振って歩き回れる通行手形を首から下げる自分は「業界人」になったと思った。社会人ではなく業界人。
寿司という文字を逆に、かつ伸ばし棒をつけて読むようなチャラついた業界人に。
就職活動に悩み、のらりくらりとしたアルバイト生活にはなかった刺激を得て浮ついていた。

閉館後の人気のない通路を風を切って歩く姿はさぞ滑稽に映っていただろう。そんな意気揚々とした気持ちは現場に到着すると瞬く間に消え失せた。

──────────────

「これはアカンですわ。ちょっと触れただけで揺れが止まりませんわ。」
現場監督から我関せずと告げられた不備。

こんな感じですわ、と天井から吊り下げられた棚を揺らして見せる現場監督は、街角で配られる無料のティッシュをノールックでもらう時のような表情をしている。


ネイルサロンになるこのテナントは奥行き3メートル、間口7メートルの奥行きの浅い小さな空間だ。

長手方向に沿って接客や施術をするカウンターを配置してスタッフと客の利用する空間を分けている。

客は店内奥を見る向きに座る配置にしているので、共用廊下を歩く他の客からは顔が見えない。客用の椅子は背もたれが高く、座った時に顔がくる高さで背もたれの両サイドを前方に飛び出させた形状の特注品だ。

個室化が難しい狭小区画において、客のプライベート空間をいかに確保するかという問題に対して、椅子も一つの空間構成要素として用いるという社長のアイデアに触れて驚いた。

建築を学んできた自分は、空間構成に使えるのは床壁天井そして開口部という一般的な要素のみだと思っていたので、こういった考え方があるのかと驚いたと同時に、インテリアデザインの可能性を感じてとてもワクワクした。

そのワクワクした感覚を露ほども逃さぬと意気込んでデザインしたのが、問題の「揺れる」吊り棚だった。

接客と施術を兼用するカウンターと同じ長さで、カウンターの上空に浮いたように見える棚。スタッフ側と客側の間に間仕切り板が入っていて、スタッフ側には施術に使う小瓶を収納し、座ったまま手を伸ばしてそれらを手に取れるようになっている。
客側は共用廊下からも見えるので、何の店かを示すためのサインや小瓶を並べて間接照明を施し、店のデザインの「顔」になるように腐心した。

また、この吊り棚の存在によって、カウンターだけでは不十分だと感じていたスタッフ用空間と客用空間の分節の補強をしようというアイデアだった。

しかし、天井から頭上までの長さの棚にすると圧迫感が出そうだし、共用廊下から奥が見通せなくなって店内が狭く見えるのではないかと思った。
それならば「軽い」イメージにする必要があると考え、空中に浮いたように見せるために棚の高さ寸法を小さくし、天井からスチールの細いパイプで吊る計画としたのだった。

この計画が仇となった。

浮いたように見せるために極力細くしたスチールパイプ、それに加えて本数を少なくするために棚の中心軸1列だけに配置していた。

自分の書いた図面そのままに作られた実物を初めて目にしたら感動すると、誰に聞くでもなくそうものだと思っていたのだけど、そんなエモい感覚はわらび餅を食べながらくしゃみをして四散したきな粉のように、後始末の面倒さを残しながらどこかに飛んで行った。

なんでこんな図面描いたんや。
どう考えても揺れるやん。物理法則知らんのか。と自分にツッコミを入れるも後の祭り。

とにかく今は、スタッフが棚においてある小瓶に手を伸ばすたびに、客の頭上で発生する不気味な振り子運動を止める手立てを考えなければならない。

しかも明日の夕方までに。
(明日の夕方には社長とクライアント立ち会いのもと、完成検査が行われるのだ。)

いや無理だ。
考えついたとして、すぐに施工できるのか。
施工できたとして、追加になるだろう費用はどうした良いのか。

自分で払う?いやそれこそ無理だ。
試用期間中の薄給で払えるような余裕はない。
南船場や堀江で売っている魅力的な服や、毎月のように発売されるゲームの新作タイトルにお金を使っているので貯金もない。

家に帰って晩酌しながらゆっくりしているだろう社長に電話をして指示を仰ぐべきか。
そんなことをしたら正式採用の判断に大きなマイナスになるのではなかろうか。
こうなったら、目の前にいる無料のティッシュで鼻をかんでいる無表情の現場監督に土下座して、追加費用は出せないがなんとかして欲しいと懇願するか。

いろんな想いが問題の棚と同様に揺れ動き、挙句にはその動きに酔って気分が悪くなってしまった。
あぁ、どうしよう。どうしたものか。

<つづく>


─────────────────────

前回の話はこちら

全話はこちらのマガジンから


建築・インテリアなど空間デザインに関わる人へ有用な記事を提供できるように努めます。特に小さな組織やそういった組織に飛び込む新社会人の役に立ちたいと思っております。 この活動に共感いただける方にサポートいただけますと、とても嬉しいです。