見出し画像

逃げ水 #3|踊り場の窓

テナントビルの給湯室といえば、広く明るい貸室、気分の上がるエントランス、清潔感のあるトイレといった順に好環境を取られていき、残った場所に「給湯室」の文字を書いて出来上がる。

恣意的な操作の果てに偶然にできた空間のはずなのに、なぜか一番最初からそこに設計されていたようにしっくり馴染んでいたりする。こんな場所で毎日コーヒーを淹れるのは、カバンの中に入れていた芯研器のフタが外れていた時と同じくらいの絶望感を伴うだろう。

このビルの給湯室には窓がある。それも南向きの。
孤高の殺し屋が居を変える時に連れて行く、小さな鉢植えを置きたくなるような、明るい窓辺だった。

入ってくる光の強さは同じだとしても、壁や床の明度の違いで空間は全く違う雰囲気になる。明度が低い場合は、営業が終わり空が白むころ、遮光カーテンを開けたクラブハウスのような印象になる。

幸いにしてこの空間を構成する素材の明度は高い。
それを補強するように、キッチンの天板は釉薬がかかった30mm角の白いタイルが一面に貼ってあって、小さく面取りされたたくさんの角にハイライトが入っていた。艶やかなタイルとは対照的に、碁盤の目に走っている目地はマットで、ところどころにシミがあり、つくられてからの時間経過を感じられる。

コーヒーメーカーのスイッチを入れる。

窓にはスチール製のサッシがはまっていて、ガラスは透明だった。
改装のたびに内装に合わせて色を塗り重ねられてきたことが、剥がれたペンキの下に見える色と、鉄加工製品としての硬く冷たい精度が、薄い膜の重なりでやわらかく失われていることから見てとれる。
色の層とうっすら浮き出た錆のせいで開閉がままならなくても、自宅に唯一ある開口部にはまっているアルミサッシの排他的な存在感に比べれば随分とフレンドリーなものに思えた。

この窓は道路に面した2階にあるので、南船場の街を歩く人々が良く見えた。この街はかつては問屋街として隆盛していたが、産業構造の変化で徐々に活気が失われてきた。どの街でも同じような変化があるものだけど、このエリアはエッジの立ったファッションの街に取って代わろうとしていた。
量販される既製服を良しとしない人たちが自己表現としてお店を出して、それに共感する人々がやっていくる。そんな人々の文化に合うレコード店や飲食店が雨後の筍のように現れてくる、そんな現在に僕はいる。

根城が別の場所にある時は、どこか近寄り難いオーラをまとった街だったが、関わりが生まれた途端に、自分好みの色に変わったように見えた。でもそれは袋とじのグラビアアイドルが、自分を見つめてくれていると錯覚するのと同じであって、実際は街に馴染んでいるはずもなく、社会のことすら何も知らない駆け出しのアシスタントの欲求でしかなかった。

アキはどんな気持ちでここから街を見下ろしていたのだろうか。
僕と同じように街に感化されるような人だったら良いなと思ったが、おそらくそんなことはないだろう。

コーヒーの雫がマグカップに落ちる音が止まった。
立ち登るコーヒーの香りと踊り場に蓄積した匂いが混ざり、感情を刺激する。まだ居場所に慣れていない証拠だ。
ちょっとしたアルバイトでもなんでも、初めて訪れる空間は独特の匂いがする。そして場に慣れるほどに匂いは薄れていき、やがて無臭になる。友人と昔話に花を咲かせる時なんかは、空間に紐づいたこの匂いを思い出す。

ふと社長が使っている陶製のマグカップに目をやると、底から飲み口に向けて濃茶色から器の色へのグラデーションがかかっていた。
毎日同じようにコーヒーを淹れ美味そうに喉に流し込んだ後は、決まってロットリングを手に取りスケッチを描く。この一連のルーティンが器の中の景色をつくっている。
自分も同じようにこの仕事をつづけられるだろうか。何をやっても続かなかった過去を振り返り不安を覚えたが、まだ何も始まっていない人間がそんなことを考えたところで何にもならない。とにかく今は目の前の課題に全力で取り組む他ない。

コーヒーの渋に色付けされていない、真っ白な量産品のマグカップを手にデスクに戻った。

この記事が参加している募集

仕事について話そう

建築・インテリアなど空間デザインに関わる人へ有用な記事を提供できるように努めます。特に小さな組織やそういった組織に飛び込む新社会人の役に立ちたいと思っております。 この活動に共感いただける方にサポートいただけますと、とても嬉しいです。