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【関口修平のプロフィール/生い立ち/展望】ITベンチャーで上場を目指していたところから起業までのストーリー

はじめまして!
関口修平です。

現在は私は、株式会社ファミここという会社を立ち上げて、
SES事業、フリーランス支援、ITの受託開発、営業代行そしてエンジニアコミュニティの立ち上げに取り組んでいます。

また、友人と福島の魚を仕入れて本格的な魚料理を楽しむ『ツナグ魚会』というのを月一回開催しています。人との繋がりを大切に美味しい魚とお酒を楽しんでいます。

今回は、私の生い立ち、現在のコト、そして今後の展望を書いてみました。


高校野球の挫折とローラーホッケーの挑戦!スポーツ少年だった学生時代!

小学校の頃、画面に映る「イチロー」選手に憧れて野球を始めました。
私の子供の頃は、テレビをつければ野球中継が流れていた時代で、その中でもイチロー選手は別格の存在でした。

そんなイチロー選手に憧れて野球を始めた私は、
最初の頃は、隣に住んでいる私の『おじいちゃん』とよく練習をしていました。私の『おじいちゃん』が野球が好きで、私に野球を教えてくれて、練習に付き合ってくれました。

小学校4年の頃に、近所の友達からの誘いで、少年野球のチーム『小原メイズ』に入り高校まで野球を続けました。

初めての挫折を経験!高校野球の壁が高かった

少年野球と中学校の軟式野球部では、レギュラーが当たり前でした。
強豪校という訳ではないですが、中堅ぐらいの実力があり、その中でも上の学年の先輩と混じって試合に出ていました。
当日は、自分の実力をかなり過信していたと思います。。。

私の出身は、神奈川県で、進学した高校も神奈川県の公立高校でした。
野球が少し詳しい人なら知っている高校野球の激戦区であります。

私の入部した野球部は、公立高校の中では強い方で、高校を選んだ理由も野球部が強いという理由で選びました。

高校1年の夏頃に野球で初めて挫折を経験をしました。
自分より野球が上手い人ばかりで、自分がぜんぜんうまくいかない時期が続きました。そして、高校1年の冬に全治1年半の大怪我をしてしまいました。

野球において、初めての挫折で、悔しさと情けなさ、色々な感情がありました。大人になって振り返ると、とても良い経験ができたと思いますが、その当時はとても悔しかったのを今でも覚えています。

『このまま終わりたくない』『みんなとまた一緒に野球がしたい』そんな想いで苦しいリハビリに耐えて3年の春に復帰できました。

高校3年間の野球は、順風満帆ではなかったですが、人生においてとても意味のあった3年間になりました。

日本代表を目指し「ローラーホッケー」に打ち込んだ大学生活

高校野球は不完全燃焼で終わりました。
チーム自体は、最後に神奈川の強豪と対戦し延長まで戦い僅差で敗退しました。その試合はテレビ神奈川で中継されたので、今でも見返すことがあります。

大学は、専修大学に進学しました。
中央大学か青山学院大学に行きたかったですが、どちらも落ちてしまいました。

大学生活では、スポーツに打ち込もうと決めていて、特にマイナースポーツに目をつけ、ラクロスやスカッシュなどカレッジスポーツと言われる部活を探してました。

そんな時、ローラーホッケーというスポーツに出会いました。
入部の決め手は、先輩たちの試合を見て感動したことです。初めて見るスポーツでしたが、そのスピード感やテクニックなどが凄くカッコよくて、自分もこんなプレーをしたいと胸が熱くなりました。またマイナースポーツなので、頑張ったら日本代表になれる可能性があることも入部の決め手でした。

自分の人生を振り返ると、何か熱中していること、何かに本気で目指してきた人生でした。
社会人でも部活みたいな働き方ができそうなイメージでベンチャー企業に就職しました。

ITベンチャーで働いた激動の3年から会社で働く選択肢を捨てて独立に向けて進んだストーリー

社会人の経歴は、
IT系のベンチャー企業→NTTグループでの法人営業→NTT docomoでの法人営業→外資系コンサル→起業という流れでキャリアを歩んできました。
起業したのは、29歳の時であります。

ITベンチャーへ就職!上場を目指して走った激動の社会人がスタート!

学生時代から、起業願望がありました。
ただ、崇高な理由があるわけでもなく、『カッコ良さそう』『稼げそう』『モテそう』『自由そう』などの理由ぐらいでした。
なので、すぐに起業に動き出すことはありませんでした。

会社が第二創業期を掲げていて、自分たちが初めての新卒採用で、社長同期と会食した時に『部活のように働けそう』『将来的には、起業したい』という理由からベンチャー起業を選びました。
若いうちからバリバリ働ける環境は自分のとっては、魅力で的でした。

会社は、上場を目指す!と打ち出していてその一員になると心躍ってました。そんなドキドキの社会人は大学4年生から始まりました。

『同い年に負けたくない!周りより差をつけたい!』という想いから
部活が引退した4年の10月からインターンで働き始めました。
大学の頃のインターンはとにかく苦しかった記憶しかありません。。
営業として成績が上がらない、同期は数字を出している中、自分の数字が上がらない状況が続きました。

本当に逃げ出したくてツラかった。。。

当時は、ウォーターサーバーの販売や不動産会社向けにシステムの提案、飲食店に向けたHP制作の提案などやっていました。
来る日も来る日も怒られ、空回りの毎日。

転機は部署移動で訪れました。
移動した部署がSES事業をメインにやっている部署に移動しました。

そこから数字がつくれるようになり、個人で月に1000万、2000万、3000万と売り上げを上げれるようになりました。
社会人1年目の10月頃には、リーダーに役職が上がり、2年目の頃にマネージャーへ昇格しまいた。
毎日残業が当たり前で、土日も仕事をしていました。

最初は、毎日忙しくても仕事が楽しいと感じてました。
ただ、役職がついてからは責任やプレッシャー、人の管理など仕事の幅が増えて、楽しいからツラいに変わってきました。

結局、新卒の会社は、約3年在籍して転職しました。

成長しているようで成長が見えなくなった苦しい時期

新卒の会社では、役職も上がり、給料も周りの人よりもらってました。
責任あるポジションで、他の同期では任されない仕事もやってました。
ただ、どこか自分の成長に限界を感じていた時期でもありました。

漠然とした将来の不安が押し寄せてきました。
一生懸命頑張ってきたはずなのに、手応えがない。自信がない。

不思議な感覚でした。でも目の前のことを頑張るしかない。。
そんなモヤモヤが解消できたのは、社会人の先輩たちの経験、アドバイスでした。

振り返ってみると人に頼らない人生でありました。
ただ、ここで初めて自分の将来について社会人の先輩たちに相談しました。

初めて自分のキャリアを描き、人生のゴールセッティングをしたのが24歳のころで、そこから起業に向けての歩みが始まりました

転職を繰り返して見えてきたこと!

ベンチャー企業を離れてからは、大手に転職しました。
NTT系列の会社、docomoなどで法人営業として働きました。

どの会社もとても良い会社で、大手ならではの大きな仕事やオフィスの豪華さなどベンチャーにはなかった新鮮さがありました。

ただ、自分にとっての転職は将来起業するための準備でありました。
自分の将来の展望、かっこよく言うとビジョンに転職が合わないことは、分かっていたので、その当時から着々と起業に向けて頑張っていました。

29歳でたどり着いた株式会社ファミここの立ち上げ!

詳細は、別の機会で書きますが、29歳で会社を立ち上げることになりました。

会社名は、『株式会社ファミここ』

株式会社ファミここの由来は、
「家族=ファミリー」と「居場所=ここ」を合わせてつくった造語であります。
またもう一つの由来で、独立する少し前に尊敬していた父親が他界し、私が実家を出た後に、私たち家族の一員になった「ココア」という愛犬がいます。父親が溺愛していた愛犬ココアを社名に入れようと思い「愛犬ココアは自分たちの家族」という意味も込めて「ファミリーココア」で「ファミここ」という社名にしました。

SES事業

新卒の頃の経験を活かしてフリーランスへの案件紹介をメインとした、SES事業を展開しています。

20代後半〜30代のエンジニアのフリーラス転身の支援が中心になってます。
自分自身がフリーランスの経験もありますし、転職の経験、IT業界での経験から共にキャリアを描く関わりをしています。

フリーランスの転身は、タイミングが重要であります。遅くても早すぎてもダメです。ここを本人の状況を踏まえて見極め提案しています。

また、ITコンサルをやってきた経験もあるので、お客様の困りごとを解決する提案を行っています。

キャリア支援として多くの人の転職相談もしています。
その中でも異業種転職に強みがあるので、そのことを記事にしてますので、一読してみてください。

ITの受託開発

人のご縁が仕事になるなと感じています。

実績のないところから、実績を作るのは難しいです。
お客様としては、実績のあるところに仕事を発注したと当たり前に思います。
最初の実績を作れたのは、人とのご縁でした。

最初は小さなHP制作から、今では小規模のシステム開発まで任されるに至りました。
これからもお客様が喜ぶ仕事を心がけていきます。

エンジニアコミュニティの立ち上げ

エンジニアの方と関わることが多かったので、エンジニアの方の勉強の場、出会いの場、仕事の場をつくるためにエンジニアコミュニティの立ち上げをしています。

東京ITエンジニアコミュニティ

まだまだ、コンテンツや規模、そして仕事につながる動きなどやることは盛り沢山ですが、若手エンジニアを中心に毎回意見交換や相互学習での勉強の場をつくっています。

今後の展望

現在、様々な事業や仕事をできている状況に幸せを感じています。
もともと、”副業”ではなく、”複業”に興味があり会社で働きながら週末起業のような形で起業を目指してきた。

目指す5年先は、今の事業を拡張していくこと。
起業を目指していく中で、出会う方も素敵な人ばかりで、事業の幅が広がるとコラボレーションできる人が増えていくのも楽しさを感じているところです。

次の5年では、独立支援をしていきます。

私自身が、方向性を変えて起業へシフトしてきたので、私が感じたことを他にも多くの人が感じていると思います。
また、私自身が経営者の方との出会い、経営者の方に育てられて一人前になることができました。

起業は、リスクもありますが自由もあります。
全ての人にとって合っている道ではないですが、起業という道も選択肢に入ると人生の選択肢が広がると感じています。

自分自身の経験を分かち合い、チャレンジを後押しできる経営者になります。

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