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【『パンと牢獄』連載⑤】3年前のクリスマス、ドゥンドゥップと家族は10年ぶりの再会を果たしました。

『パンと牢獄 チベット政治犯ドゥンドゥップと妻の亡命ノート』の著者、小川真利枝さんが、ご自身が体験したチベットにまつわるあれこれを語る連載第5回。今回は、ドゥンドゥップが亡命に成功し、10年ぶりに家族と再会した、あの日のこと。

 2017年12月25日。ひとりのチベット政治犯が米国に到着しました。そのひとの名は、ドゥンドゥップ・ワンチェン。彼が中国で拘束されてから、10年の歳月が経っていました。

 「亡命できるかもしれない」という知らせが届いたのは、奇しくも妻のラモ・ツォが日本に滞在しているときでした。映画『ラモツォの亡命ノート』を日本で劇場公開するため、主人公である彼女が来日していたのです。わたしはその一報を受けるラモ・ツォ、そして家族が10年ぶりに再会するこの成り行きに立会い、すべてをカメラに収めることができました。
 
 あのとき、亡命の一報をうけて、泣きながらわたしの部屋をノックしたラモ・ツォ。涙を流していましたが、頰が紅潮し晴れやかな顔をしていて、これまで見たことがないような美しい表情をしていました。やはり、ラモ・ツォはこれまでずっと気を引き締めて、気丈にふるまっていたのだなと思い、胸が熱くなりました。

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 「ドゥンドゥップが安全な場所に着いた」と連絡が来たのは、12月15日。最初の一報からおよそ1ヶ月が経っていました(その間、ラモ・ツォは米国へ帰り、わたしも撮影のために渡米)。夜の10時にラモ・ツォの携帯電話に連絡が入りました。ところが、なかなか本人と話すことができません。痺れを切らしていたラモ・ツォやわたしを尻目に、娘たちは『北斗の拳』ごっこで大盛り上がり。拙著のあとがきにも書きましたが、「お前はもう死んでいる」なんていう不謹慎な日本語が飛び出して、ラモ・ツォもわたしも苦笑いしながら、連絡を待ちました。どんなに深刻な状況にいても、途端に笑いに変えてしまえるのが、ラモ・ツォたち家族です。なんだかとても温かい空間で、スイスからの連絡を待っていたのを覚えています。

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 ようやく話ができたころには、日付が変わって深夜12時を過ぎていました。ドゥンドゥップとスカイプが繋がり、ラモ・ツォと娘ふたりが、ぎゅっと顔を寄せ合いスマートフォンの画面を見つめます。娘たちはあふれるばかりの喜びを噛み締め、「もう、心配したんだからね」と言いつつも、親指を力強く立て、父の偉業を讃えていました。

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 ドゥンドゥップは、ずっと黙ったままでした。画面をのぞくと、優しい表情をして目頭を手でおさえていました。本人は「頭が痛い」と言っていましたが、涙を隠しているように見えました。そしてラモ・ツォは、ずっと静かに、気丈にやりとりを見守っているだけでした。きっと心の底で、深い安堵があったと思います。表情が、それを物語っていました。

 「これからは自由に話せるよ!」

 娘たちが嬉しそうに語りかけていたのが印象的でした。そうか、これまでこの家族は、ずっと誰かに盗聴されているかもしれないという緊張感のなかで会話していたのだと改めて気づかされました。ようやく、心置きなく会話ができます。なんとはなしの会話が、どれだけ尊いのだろう。冗談を言い合う家族のやりとりを撮影しながら、わたしも目頭が熱くなりました。

 そして、12月25日。ドゥンドゥップがサンフランシスコ国際空港に到着しました。このときの光景は、一生忘れられません。10年ぶりの家族の再会。ラモ・ツォはようやく肩の荷が降りたのか、泣き崩れ、娘たちに支えられていました。「ようやく会えたのだから、笑おう」。長女のダドゥンが、嗚咽する母に寄り添い、明るく励まします。いつのまにか、子どもたちが頼もしくなっていて、ドゥンドゥップは驚いていました。その夜は、娘たちが肉のたっぷり入ったテントゥク(チベット風きしめん)をつくり、みなでほくほくとご馳走を食べながらお祝いをしました。ここで、娘ふたりからのサプライズで家族全員へクリスマスプレゼント。母ラモ・ツォには、赤い口紅とスカーフ。そして父、ドゥンドゥップには革靴を。

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 チベットでは、靴は縁起がいい贈りものといわれています。“口が上を向いている”からだそうです(逆に帽子は口が下を向いているので縁起が悪いそう)。“より先へ進む”という願いが込められた贈りものになるんだとか。

 ドゥンドゥップが米国に到着した翌日、みんなでゴールデンゲート・ブリッジへ向かいました。サンフランシスコ湾と太平洋が交差するこの橋を背景に、丘の上で、家族そろっての記念写真を撮るためでした。まだ“自由”に慣れないような、どこか居心地の悪そうなドゥンドゥップを家族が温かく囲みます。笑顔が絶えない、でも少しぎこちない、そんな時間を過ごしながら、きっとこれから離れていた10年の歳月を埋めていくのだろうと、丘の上に立つ家族を見て思いました。

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 このドゥンドゥップの奇跡の亡命劇を知らせるため、ホテルの部屋でFacebookに文章を書いていたときのこと。偶然にもiTunesから、ボブ・ディランの『I Shall Be Released』が流れてきました。囚われの身である「わたし」に光が差し、“いつか、解放されるんだ”と自由の世界に焦がれる歌です。はじめてこの歌を聴いたとき、この「わたし」が、牢獄にいる囚人のことなのか、何かのしがらみに囚われたひとなのか、曖昧に聴いていたように思います。けれど、ドゥンドゥップと家族との再会に立会い、わたしはこの美しい旋律を聴きながら、サンフランシスコのあの丘を思い出していました。

 自由の世界へと踏み出し、希望に胸ふくらませ、丘の上に立つドゥンドゥップ。そして彼を迎え入れたあたたかい家族たち。もちろん、彼の足には娘からもらった“より先に進む”という願いが込められた靴。その彼らの進む道に、これまでとこれからをどこかの神様が祝福してくれているかのような、優しい光が降り注いでいるように見えました。きっとこの歌は、すべての苦しみや囚われ、呪いから解き放たれ、自由を手に入れていく歌なのだ、そんなふうに思いました。

 「命より大切なものは、自由」。ドゥンドゥップが導き出した答えが、この丘に刻まれたように思います。
 
 次回は、年を越しての新年。不思議な夢のお話をご紹介します。輪廻転生にまつわるお話です。みなさんは、輪廻転生を信じますか? それでは、よいクリスマスと新年をお迎えください。

 ●著者プロフィール
小川真利枝(おがわ・まりえ) 
ドキュメンタリー作家。1983年フィリピン生まれ。千葉県で育つ。早稲田大学教育学部卒業。2007年テレビ番組制作会社に入社、2009年同退社、フリーのディレクターに。ラジオドキュメンタリー『原爆の惨禍を生き抜いて』(2017)(文化庁芸術祭出品、放送文化基金賞奨励賞)、ドキュメンタリー映画『ラモツォの亡命ノート』(2017)などを制作。 『パンと牢獄 チベット政治犯ドゥンドゥップと妻の亡命ノート』が初めての著作。

パンと牢獄_書影オビあり

<書影写真>

『パンと牢獄 チベット政治犯ドゥンドゥップと妻の亡命ノート』
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