性別変わる運命を背負い、甲子園目指す#02夏凪空さん
「ほかほか文庫。#02」では、『虹のような染色体』で第5回双葉文庫ルーキー大賞を受賞し、作家デビューを果たした夏凪空さんにインタビュー。本作の主人公は、性別が徐々に女性に変異してしまう病に罹った高校球児。身体的なハンディキャップ、アイデンティティの喪失、性的マイノリティに対する差別など、様々な苦難に襲われながら、それでもめげずに甲子園の夢を追います。彼の成長を通じて「変化を受け入れ、苦しみを乗り越えていく人間の強さを描きたかった」と、夏凪さん。その真意とはいったい――?
男性と女性の"間"、描きたかった
――主人公・勇実真赤は、野球に打ち込む男子高校生。ところが、性別が徐々に女性に変異してしまう奇病・ASM(後天性性染色体変異)に罹ったことで、すべての生活が一変してしまいます。"俺"が"私"になるまでの1年間を切り取った、この異色の青春譚はどのように誕生したのでしょうか。
夏凪 主人公がだんだん変化していくお話を書こうと思ったのが最初です。実は、ダニエル・キイスさんの『アルジャーノンに花束を』という作品が大好きで。知的障害を持つ青年が手術を受けて天才になり――というSF小説なんですが、その主人公の知能の変化に合わせて、地の文の語りがどんどん変わっていくのが面白くて、いつかそういったお話を書きたいと思っていました。そこで思いついたのが、主人公の性別が徐々に変わっていくストーリーだったんです。
どちらの性別にも属さない自分と、主人公がどう向き合っていくのかを大事に描きたい、というのもありました。私は、身体も性自認も女性なのですが、「女性って一般的にこういう考え方をするよね」というような発言を聞いたときに、首をかしげることが多いんです。自分のなかにも男性的な部分はあるし、男性と女性の間にはグラデーションがあるはずで。性別をテーマにしたフィクションとしては、ある朝突然性別が変わっていたり、男女ふたりの身体が入れ替わったり……という設定の作品もありますが、男性から女性へと変化する”間”の部分を描きたいという思いから、今回のような設定にしました。
――真赤は、胸が大きくなったり、初めての生理がきたりと、身体変化に戸惑う一方で、野球部の練習には欠かさず参加します。今まで通りには投げられないと悟りながらも、めげずにスローカーブを練習する姿には、胸に熱いものが込みあげてきました。この主人公・真赤のイメージはどのように膨らませていったのでしょうか。
夏凪 男性から女性になったとき何が困難になるだろうと考えたときに、思い当たったものの一つがスポーツでした。また、かつて「ナックル姫」と呼ばれた吉田えり選手のように、女性でも変化球を使って、男性と試合をされている方がいるのを知っていたので、そこから野球部に所属している男子高校生を主人公にしようと決めましたね。ただ、子どもの頃にプロ野球をテレビでちょこちょこ見ていたくらいで、野球にはあまり詳しくなくて……。スポーツものを書くのも、野球を題材にするのも初めての挑戦でした。
好意と不安は表裏一体
――身体も、心も次第に女性的になっていくなかで、真赤を一番に苦しめたのは、周囲の何気ない反応だったように思います。特に、チームメイトからスランプに陥っていると思われて励まされる場面は、実情を知る読者として、心が痛みました。
夏凪 真赤が病気のことを打ち明ける前は、チームメイトとの間で擦れ違いがたくさん起こっていて、私自身も書きながら苦しい気持ちになりました。チームメイトも、真赤がASMに罹っていることを知っていたら「負けるなよ、このくらいのスランプで」なんて、励ましたりしないと思うんです。知らないからこそ善意で発した言葉が真赤を傷つけていく。傷つけられた真赤も、みんなに悪意がないのは明らかなので、嫌いになることすらできない。ひっそりひとりで悲しむことしかできないんです。「自分は男である」というもともとのアイデンティティを喪失するのと同時に、チームメイトとも関係がギクシャクしてしまって、この時期の真赤はほんとうに苦しかったと思います。
――ASMのことを周囲に告白してからも、真赤の受難は続きます。合宿中、チームメイトが誰も真赤の投げた球を本気で打とうとしなくなるというシーンが衝撃的でした。「馬鹿にするな!」と怒ってもおかしくない状況ですが、真赤は「女の俺に気を遣っているんだ」と自分に言い聞かせていますね。
夏凪 真赤自身の不安の表れだと思っていて。真赤は、自分が女性になっても野球部の一員でいられるか、とても不安なんです。だから、チームメイトの言動をポジティブに受け取ることによって、「みんなは自分を大事にしてくれている」「俺はまだ野球部の一員に間違いない」と信じようとしたんじゃないでしょうか。人間関係って、そういうことが往々にしてありますよね。たとえば、付き合っている恋人の言動にちょっとした違和感を覚えても、「いやいや、きっと彼は私のために!」と思い直すみたいな。仲良くしていたいから、好意的に受け取る……そういう側面が真赤にもあったんだと思います。
手に汗握る、夏の地方大会
――そしていよいよ迎えた夏の地方大会。ここまでの精緻な心理描写、波乱の人間模様とは打って変わって、手に汗握る白熱の試合模様が展開されていきます。スポーツ小説としての面白さが存分に詰まったクライマックスシーンですね。
夏凪 配球の本などを買って調べながら書いたんですけど、担当編集の方にチェックしていただいたところ、いろいろとミスが発覚しまして……。球速がメジャーリーグ級の数値になっていたりだとか、応募原稿の段階ではとんでもないことになっていました(笑)。この大会のシーンでは、登場人物それぞれに見せ場を作りたかったんです。特に金本くんという脇役の子が、ここまであまりにも不憫な扱いだったので、絶対彼に大活躍してもらおうと思って。代走で出てきた彼が、一塁からホームベースまで激走するところは、一番熱くなって書きましたね。
――「球はまるで虹をかけるように、ゆっくりと弓なりの軌道を描き」という一文が大好きです。
夏凪 実は、応募段階では『スローカーブは虹のように』というタイトルも候補にあったんです。ただ、もしこの作品が大賞を受賞して書籍化したら、本屋さんに並んでいるのを見たひとは、野球がメインの小説だと思うだろうな、と。それで、作品全体を象徴する『虹のような染色体』にタイトルを決めました。
ネーミングには凝るタイプですね。作中の球団を「デイジーズ」とか「リコリス」とか、お花の入った名前にしたり、登場人物に色の入った名前をつけたり、いろいろと遊んでいます。一つ失敗したのが、執筆時、虹の一番外側と内側の色を赤と紺だと勘違いしていて。それで、バッテリーのふたりを真赤と紺埜って名前にしたんですけど、あとから調べ直したら、虹の一番内側って紺じゃなくて紫だったんです! ……やっちゃいましたね(笑)。
変化を乗り越える、人間の強さ
――バッテリーの紺埜先輩の名前が出ましたが、真赤がASMのことを打ち明けたときの彼の言葉が印象的でした。「真赤はたぶん、女になることが嫌というわけじゃないんだろうな」と。夏が過ぎ、女性になった真赤は「言いたいことが何となく伝わった気がした」と、その言葉を反芻しますね。
夏凪 真赤は当初、紺埜先輩の言葉を全力で否定しているのですが、実は、真赤って女性に腹を立てることはあっても、女性そのものに嫌悪感を持っているわけではないんですよね。女性を差別的な目で見たりはしないので。真赤は、今までの自分でなくなってしまうことが怖かっただけなんだと思います。だからこそ、いざ女性に変わったとき、女性としての自分も受け入れ、愛することができたんじゃないでしょうか。
多くの人間は、変わることに対して物凄い抵抗感や恐怖を抱きますよね。一方で、変化した先に徐々に慣れて、最終的には受け入れられるようになる、そんなタフさもあるように思っていて。変化していくときの苦しみもいつかはなくなる。そういったメッセージを込めたので、今なんらかの変化の途中で苦しんでいる方に、この作品を通じて「『意外と大したことなかった』って思える日が来るかも」と希望を持っていただけたら、ほんとうに嬉しいです。
――次作はどんな作品になりそうですか。
夏凪 デビュー作とはまったく違うお話になりそうです。正反対の特異体質を持った兄弟が、ふたりの能力を合わせてさまざまな事件を解決していく、一風変わったバディものを書いています。ファンタジックな設定ではありますが、具体的に起こる事件は、現実社会を反映したリアルなものになりそうな気がしますね。まだまだ未知数なところがたくさんあるのですが、お披露目できるように頑張りたいです。
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