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「空を飛ぶほどアイ・ラブ・ユー」【試し読み】

 困った。
 ブサイクなのにバク転ができるようになってしまった。
 一九九三年、中学二年生の夏休み。私はひょんなことからバク転をマスターしてしまう。地面に両手を着けて後方に一回転するアレである。うちの学年、いや、学校の中でもできる奴はそうはいない離れ業である。

 始まりはジャッキー・チェンだった。
 夏休みも残り一週間となった八月の終わり、宿題を無事に片付け、暇を持て余していた私は、前日に見たジャッキーの映画『プロジェクトA』の影響で、家のすぐ裏手にある空き地にて、ひとりでカンフーごっこをして遊んでいた。
 すみっこに積んである土管に駆け上り、ジャッキーの動きを真似まねてバク転をするフリをした瞬間、「あれ、これ本当にできるかも」という確信めいた予感が身体中を走った。その直感を信じることにした私は、夏の最後の思い出にバク転に挑戦しようと決心したのだ。
 もう使わなくなった古い布団を外に引っ張り出し、マット代わりに地面に敷く。簡素だが、これで練習環境は整った。
 しかし、器械体操の経験もなく、スポーツは陸上しかやったことのない私が、まったくの独学でバク転を習得するのはさすがに危険である。
 そこで、嫌々ながら、今回は親父の力を借りることにした。大学時代に関西アマレス界の猛者としてその名をとどろかせた親父なら、コーチ役として申し分ないだろう。
 二つ返事でオファーを受けてくれた親父の熱血指導が始まった。
「バク転は後ろに飛ぶ恐怖さえ克服すれば簡単や」という助言に従い、勢いよく後ろに倒れ込む練習からスタートする。
 恐怖感が薄れてきたら、補助付きでバク転の動きを体に覚えさせる。同じ動作を何度も繰り返すことで、地面に両手を着くタイミング、体重移動の感覚を摑んでいく。
 そして練習開始から三日後、ついに親父の補助がなくてもバク転ができるようになった。ひとつ上のレベルの人間に進化したかのような喜びで、私は思わず「ウォォォ!」とたけびを上げ、親父と抱き合ってしまった。
 その後も鍛錬を重ねた結果、夏休みが終わる頃には、側転からバク転というコンビネーション技に、その場飛びバク宙まで習得。アスファルトの上でも平気でバク転をできるぐらいの境地に達してしまった。
 息子の上達具合が嬉しいようで、いつもは辛口の親父も、このときばかりは手放しで褒めちぎってくれた。
「すごいやんか。学校が始まったら、みんなに見せてやれ。人気者になれるぞ」
「うん、そうやね……」
 ああ、親父は何もわかっちゃいない。適当に相槌あいづちを打ちながら私はそう思っていた。
 確かにバク転を身につけることはできた。これを学校のみんなに見せれば一時的に注目を集めることになるだろう。でも、それは普通の男子の場合に限った話である。
 中学二年生の時の私は、ひどいニキビに悩まされており、顔から首にかけての広い範囲がおびただしい量のニキビに覆われていた。表面がブツブツだらけの肌は、たとえるならイグアナかトカゲの皮膚、岩に貼りついたフジツボのように荒れ果てたものだった。
 こんな顔の私がバク転をできるようになったところで、学校生活に光など差し込みはしない。この世で革命が起きるのはトランプの大富豪だけの話で、私のバク転とイケメンのバク転は同じバク転でも受け取られ方が違う。
 同じ服を着ていても、イケメンは「それカッコイイ」ともてはやされ、私は「全然似合ってないよ」と馬鹿にされるのだ。
 それに、ブサイクが変に目立つことをすると、それに腹を立てたヤンキーにイジメられる恐れもある。「ニキビ大回転」とか「妖怪ニキビ車」といった最悪のあだ名をつけられることだって考えられるのだ。あいつ、もしかしたらバク転ができたら人気が出ると思って、夏休みの間に頑張って練習したんじゃないか、そんな陰口を叩かれたら、それこそたまったもんじゃない。
 忙しい中でコーチをしてくれた親父には申し訳ないが、私がバク転をできるという事実は、学校のみんなには内緒にしておこう。

 そして、二学期が幕を開けた。
 私は何事もなかったかのように変わらぬ学校生活を過ごす。ニキビ野郎が空を飛ぶ必要はない。ニキビ野郎ってだけでもキモいのに、空飛ぶニキビ野郎になってしまったら、そのキモさが倍増してしまう。
 心ではそう理解しているのだが、やはりどうしてもバク転を誰かに見せたいという欲望に駆られるときがあった。思春期の承認欲求はまことにたちが悪い。
 そんな時、私は神社や墓地に足を運び、人がいないところで思う存分バク転を披露していた。神社にまつられている氏神様、土の下で安らかに眠っている死者たちだけが私のバク転を見守ってくれていた。
 ありがたいことに、神と死者以外にも私の勇姿を見届けてくれる相手が現れた。その辺にたむろしている野良犬や野良猫の集団である。もっとも、私がバク転をすると、蜘蛛くもの子を散らすようにその場から逃げ去っていくのだが。
 そんなこんなで、一か月もすると、もう自分では抑え切れないほどの熱い感情が私の中に生まれていた。
「やっぱり女の子にバク転を見てもらいたい!」
 健全な男子なら当然の想いである。
 神や犬にバク転を見せるために、私は頑張ったんじゃない。男として生を受けた限りは、やっぱり女の子の前でかっこつけたい。
 だが、そうは言っても誰に見てもらえばいいのか。
「あの、ちょっと、俺のバク転見てくれないかな」
 こんな誘い方をしたら、ほぼ、不審者である。
 ほとんどの女子は私のことを不気味に思うだろう。ニキビ面で不潔な私のバク転を見てくれる女子など、この学校、いやこの世に存在するのだろうか。
 あ、いる。ひとりだけいる。
 同じクラスのとう瑠美子るみこさんだ。
 通称「沈黙の佐藤さん」である。
 佐藤さんは、授業中も休み時間もまったく言葉を発しないことから、この異名が付けられていた。
 当時は、とても物静かな性格の子なんだなと思っていたが、今になってみれば、彼女はおそらくめんかんもくしょうだったと推測される。
 自分の家では普通に話せるのに、学校や職場など特定の場所や状況において、極度の緊張からうまく話せなくなる状態。それが場面緘黙症だ。
 たぶんだが、佐藤さんは、入学以来一度も言葉を発したことがない。先生たちも無理に喋らせようとはしなかったし、なんとなくその空気を読んで、私たち生徒も彼女とは良い距離感を保っていた。
 そんな彼女だが、クラスでは人気者グループに属していた。
 だって佐藤さんはとっても可愛い女の子なのだ。
 中学生とは思えないクールな顔の作り、フワッとウェーブのかかった髪に、その無口さも合わさって、なかもりあきのようなミステリアス系の美少女だった佐藤さん。
 そうだ。佐藤さんに私のバク転を見てもらえないだろうか。彼女なら「キモい」とか「嫌だ」とか言わずに黙って見てくれるはずだし、クラスのみんなにこのことをペラペラと喋る恐れもないはずだ。
 うまく言葉を話せない彼女を利用するみたいで申し訳ないが、別にいじめるわけではない。たった一度だけでいい。可愛い女の子に私のバク転を見て欲しい。ニキビだらけの男だって、人生で一度ぐらい空を飛んだっていいはずだ。

 なんとも都合の良い解釈で無理やり自分の行動を正当化した私は、翌日の放課後、勇気を出して佐藤さんに声をかけた。書道部に所属している彼女は、部活に行く準備をしている最中だった。
「佐藤さん! あの、見て欲しいものがあるんだ。少しだけ付き合ってくれないかな?」
 とくに親しくもない私からの突然の誘いにも、嫌なそぶりを見せず、佐藤さんは黙ってコクリと頷いた。間近で見ると本当にお人形さんのような小さくて可愛い顔をしている。
 おそらく我が学校で最も人目に付かない場所。二階の端にある視聴覚準備室前の廊下に彼女を連れていく。私の後ろをテクテクとついてくる彼女。ああ、君のすべての動作が愛おしい。
 現場に到着。他の人に見られないように細心の注意を払い、私は準備に入る。
「危ないから少し離れて見ててね」と安全な距離を取り、充分な助走から側転→バク転のコンビネーションを狙う。
 失敗は絶対に許されない。
 私のこれから先の人生が失敗だらけのひどいものになってもいい。だから神様、このバク転だけは成功させてください。
 きっとオリンピックってこれぐらい緊張するんだろうな。
 でも、私は金メダルよりも可愛い佐藤さんの笑顔が欲しい。
 そして私は飛んだ、世界が回った。着地も成功だ。
「どうだ!」という表情で、佐藤さんの方を振り返ると、口をあんぐりと開けて驚きの顔をしている彼女。そしてすぐ「パチパチパチ……」と大きな音を立てて拍手をしてくれた。ああ、可愛い女の子が、私のためだけに拍手をしてくれている。これを奇跡と呼ばずして何と呼ぶ。
 もう少しこの感動にひたっていたいところだが、そうも言っていられない。私は佐藤さんに一方的に自分の気持ちを伝えることにした。
 どうか、クラスのみんなには言わないで欲しい。
 佐藤さんなら黙って見てくれると思ってお願いしたこと。
 もしそのことで嫌な気持ちにさせたなら本当にごめんなさい。
 思いのすべてを伝えると、佐藤さんはにっこりと笑ってくれた。たぶん「気にしないでいいよ」という意味なのだろう。彼女はまだ何か言いたいことがあるような顔をしていたが、私にはそれを理解することはできなかった。
 可愛い女の子にバク転を見てもらえた。可愛い女の子と二人だけの秘密を作ることができた。この事実だけで私は七十歳ぐらいまでは元気に生きていけそうな気がした。おお袈裟げさじゃなく本気でそう思った。

 神や野良猫にバク転を見せる生活に戻ってから二か月後、うちのクラスで一番運動神経の良いよし君が「俺、バク転できるようになったぞ!」と騒ぎ出した。目立ちたがり屋の彼は、教室前の廊下を使って、クラスメイトの前で綺麗なバク転を決める。さすが吉田君、まるで体操選手のような美しい姿勢での後方宙返りである。
 やっぱり発明でもパフォーマンスでも何でもそうだ。早くやればいいってもんじゃない。それをするのにふさわしい人がやるからこそ意味がある。大喝采を浴びる吉田君を見ながら私はそう思った。変な色気を出して、みんなの前でバク転しないで本当によかった。
 そのとき、佐藤さんが私の方をチラチラと見ていることに気がついた。あの日と同じように、何か言いたそうな顔をしている。何かあるならそれをちゃんと言葉にして言って欲しい。私には君の思っていることがわからないんだ。
「俺もできるんだよ」ってみんなの前でバク転をしろとでも言うのか。私みたいなブサイクはそんな目立つことしちゃダメなんだよ。
 佐藤さん、私は絶対に間違っていない。間違っていないはずなのに、君に見つめられると胸がチクチクと痛むのはなぜなんだ。
 でも君から「もう一度バク転をして」と言われたら、私は何度だって空を飛ぶつもりなんだ。吉田君にだって負けないぐらいに。
 君がハッキリと自分の意見を言葉にして言える人だったら、私の学校生活も、いや人生すら変わったのかもしれない。こんな風に責任を君になすりつける卑怯者には元々無理な話なんだろうけど。

 佐藤さんとは三年生でも同じクラスになったのだが、とくに仲良くすることはなかった。正しく言えば、私の方から接触を避けていた。あの悲しいバク転を思い出さないように。
 なんとか人間の女性にバク転を見せたかった私は、近所で農作業している農家のお婆ちゃんの前でバク転をするようになっていた。何回も披露していたら「すごいな、これ、ご褒美や」とミカンをもらったこともある。心はむなしいのにミカンはやけに甘かった。

 そして卒業式の日。
 運命というものは残酷なもので、卒業間際になって私の顔からニキビは綺麗さっぱり消えていた。あんなに苦しんだ三年間はいったい何だったんだ。
 だが、ニキビがなくなったからといって、「第二ボタンをください」なんて素敵なイベントが起きることもなく、卒業式はつつがなく終わった。
 下校前の教室では、クラスメイトたちがお互いの卒業アルバムにメッセージを書き込み合っている。私も仲が良かった男友達何人かとくだらない言葉を交換する。そのとき、不意に佐藤さんが近くにいることに気づいた。あの日のように私の方をじっと見つめていた。
 どうせ同じ高校にも行かないし、もう人生で会うこともたぶんないだろうなと思った私は、最後にもう一回恥をかいておこうと、メッセージ交換をお願いした。
 佐藤さんは、前と変わらぬ笑顔で頷いてくれた。
「卒業おめでとう。高校に行っても元気でね」と無難な文章を書き込む私。少し照れ臭そうに佐藤さんがアルバムを渡してくる。
 私はすぐにメッセージを確認する。そこには書道部らしい達筆でこう書いてあった。
「バク転カッコ良かったよ。またいつかバク転を見せて欲しいな」
 読み終えた私は佐藤さんに向かって目で合図をした。
 そして私は卒業式の日に、もう一度彼女の前で飛んだ。

 佐藤さん元気にしていますか。
 信じられないことに、私の体重は今、一〇〇キロ近くになりました。
 もう見た目はほぼ球に近いです。
 あなたに褒めてもらえたバク転など、もうできるわけがなく、側転すらも怪しいところです。
 もし嫌じゃなければ、あの日の私のバク転を忘れないでいてください。
 自分が空を飛べていた時のことを、佐藤さんに覚えていてもらえたら、なんか嬉しいです。
 そういえば佐藤さんの声を私は一回も聴いたことがありません。
 もし、私がまたバク転をできるようになったら、君の声を聴かせてくれますか?
 ああ、今ならわかる。
 佐藤瑠美子さん、私はあなたのことが好きでした。
 好きな女の子のためなら、男の子は何度だって空を飛べるんです。

爪切男(つめ・きりお)
1979年香川県生まれ。2018年『死にたい夜にかぎって』でデビュー。同作が賀来賢人主演でドラマ化されるなど話題を集める。著書に『もはや僕は人間じゃない』『働きアリに花束を』『きょうも延長ナリ』など。

【初回:「本当にクラスメイトの女子、全員好きでした?」鈴木涼美×爪切男〈特別対談・完全版〉】

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