本バカ一代記 ――花の版元・蔦屋重三郎―― 第九話(上)
かつて女郎・菊園だった女――今では山東京伝の妻となったお咲が、茶を運んで来た。
「どうぞ、旦那」
「ありがとうございます」
重三郎は会釈をひとつ返した。お咲が下がると湯呑みから少し啜り、正面の京伝に向いて口を開く。
「今日来たのは他でもない。次の本の話なんだけどね。洒落本を書いちゃくれないか」
「へ? 黄表紙じゃないんですかい?」
少し驚いた顔である。分からぬでもない。ずっと黄表紙を書かせてきたのが一転、遊里に材を取った艶話を書けと言われたのだから。
「どうだろう。嫌か