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本バカ一代記 ――花の版元・蔦屋重三郎―― 第七話(中)

 【前回】

         *

 米の値はいつまでも下がらず、そろそろ飢饉になるとささやかれている。ような折、吉原よしわら遊里は振るわないのが常だ。昨今では客足もとお退き、どのろうも商売が三分目、二分目まで落ち込んでいるのだとか。
 然るに今宵、ここ扇屋は賑やかであった。
 重三郎は階段を上り、座敷の前に立って「やれやれ」と溜息をつく。そして障子の向こうへ声をかけた。
「もし。蔦屋ですけど」
 と、座敷の内に鳴っていた三味線がみ、如何にも上機嫌といった声が返ってきた。
「こりゃ驚いた。どうぞ」
 障子を開ければ、芸者や幇間ほうかんに囲まれて、きた政演まさのぶの姿があった。左手に女郎の肩を抱き、ほろ酔いに顔をゆるませている。
「どうしたんです? 挿絵の仕事、こないだ終わったばっかりでしょ」
「で、あんたはその代金で遊んでるって訳だ」
 この調子では、すぐに使い果たしてしまうだろう。いささかあきれながら中に入り、障子のきわに腰を下ろす。
「ま、あんたの金だからね。どう使おうと、あたしが口を出すことじゃない」
「何だ。うちの先生に頼まれて、小言でも言いに来たのかと思いましたよ」
 うちの先生――北尾重政しげまさは、確かに政演の遊び好きを憂えていた。とは言え、放蕩ほうとうそのものについての話ではない。
 政演は絵師であると同時に、さんとうきょうでんの名で戯作も手掛けている。師の北尾は、政演の才が絵よりも戯作に向いており、本物になれる男だと見ていた。ところが当人は至ってのんなもので、それなりに売れて吉原で遊べれば何でも構わないらしい。戯作に本腰を入れないというのが北尾の案じるところである。
 この点については重三郎も全く同感であった。北尾から「政演を鍛えて一人前の戯作者にしてやってくれ」と頼まれ、そのつもりでいたのである。ならば今こそだ。この男こそ、飢饉の中での切り札になると見込んでいた。
「小言なんぞ言うつもりはないよ。仕事を頼もうと思ったら、あんた三日も家に帰んないもんだから、ここまで押し掛けて来たんだ。お座敷の最中に無粋だとは思ったけどね」
 政演が「お」と笑みを弾けさせた。
「ありがてえや。実は鶴屋から、次の仕事は繰り延べにしてくれって言われて、弱ってたとこなんでさあ。旦那んとこだと挿絵だね。どんな絵を描きゃいいんです?」
 重三郎は「違うよ」と首を横に振った。
「北尾政演さんじゃなく、山東京伝さんに頼みに来たんだ。うちで黄表紙を書いて欲しい」
 すると政演――否、京伝は「何だ」と苦笑を浮かべた。
「物書きはねえ……。ちょちょいと書きゃ済むんだけどさ。俺の本って、ちまちま当たるばっかりでしょ? もうかんねえんだよなあ」
 それは「ちょちょいと」書いているからだ。いい加減に書いて「ちまちま」とでも当たるのなら、真剣に取り組んだらどれほどのものが出て来るか。この男を本気にさせるには――。
「ねえ京伝さん」
 えてその名で呼んだ。そして。
「その女郎さん、あんたの馴染なじみだろ?」
 途端、京伝はやにがった顔になった。
菊園きくぞのってんですよ。いい女でしょ? あ、でも駄目だよ。年季明けには俺が嫁に取るって約束してんだから」
 昨今の京伝は扇屋の菊園に入れ上げている。その話は北尾重政から聞いていた。
 重三郎はゆっくりと二度頷き、女郎に目を向ける。まんざらでもないらしく、はにかんだ面持ちだった。何とも初々しい顔を見て思った。きっと菊園は、女郎になって日が浅い。
「それじゃあ菊園ねえさんにきますけど、この人の女房に収まるって話、あんたはそれで構わないんですか?」
「もちろん。うれしいお話でござんす」
 素直な笑みと共に出た言葉である。うそはあるまい。そうと察し、今度は少し意地悪く問う。
「でも年季明けは、ずいぶん先なんでしょう?」
「あらまあ良くお分かりで。あい、あと九年もありいす」
 重三郎は「やっぱりね」と苦笑を浮かべ、再び京伝に目を向けた。
「あんた気が長いねえ。あと九年も待つ気かい」
「んなこと言ったって、しょうがねえでしょ。待たねえと年季が明けねえんだから」
「そうじゃないよ。身請けしてやったらいいだろうって言ってんだよ」
 京伝の顔が、この上なく渋くゆがんだ。
「だって二百両だよ。そんな金、俺が持ってる訳がねえ」
「こうやって遊ぶ金はあるのに?」
「いやまあ、今日は自分の金で遊んでんだけどさ。俺ぁ大和屋って札差ふださしと友達で、そいつが出してくれる日も多いんですよ。三日前から帰ってねえのも、そんな訳でしてね」
 札差とは旗本や御家人の俸禄米ほうろくまいを取り扱う商人である。幕臣たちの切米きりまい――幕府からの支給米を受け取ること、それを各々の屋敷へ運ぶこと、および幕臣が米を売って金に換えるのを代行すること、この三つで手間賃を稼ぐのが本業であった。
 だが、それもずいぶん様変わりしている。徳川幕府が開府して百八十年余、武士が金繰りに困るのが通例となって久しい。今の札差は、武士たちの次の切米を担保に金を貸し付けて儲け、その儲けを使って高利貸しを営んでいる。
 京伝と札差・大和屋の付き合いを、重三郎はかねて承知していた。何しろ大和屋は、遊里にとって二十年来の上客なのである。それにまつわる話を、吉原で育った身が知らぬ訳はない。
 だが、敢えて知らぬ顔を装った。
「じゃあ、その大和屋さんに身請け金を出してもらったらいい」
「あいつは自分が楽しみたいから俺を誘って、誘った手前、俺の分まで払ってくれるだけなんだよ。身請け金なんぞ出してくれる訳がねえでしょ」
 大和屋が京伝の遊ぶ金を出すのは、共に遊べば楽しいからだ。が、京伝のために身請け金を出したところで、大和屋には何ひとつ楽しいことがない。だから出さない。道理である。
 しかし――。
「なら、あたしが出してあげようか」
 にやりと笑みを浮かべて言う。重三郎には、身請け金を出すことで得られるうまみがあった。
 途端、京伝が目を白黒させた。
「え? ええ? 本当に? 噓じゃないでしょうね」
「噓や冗談で言いやしないよ。ただし、あんたが黄表紙を書いて、それが売れたらの話だ」
 まずは書いてもらって売り出し、これが当たって刷り増すことになったら、その数に応じて金を出す。京伝が使ってしまわないように、この金は重三郎の手許で積み立て、二百両になったところで渡すのではどうか――。
「そうだね、千を刷り増すごとに一両出そうか。あんた、その気になりゃ一年で四つ五つは書けるだろ? 当たる本を書きゃ、それだけ身請けが近くなるって寸法だ」
「分かった。やる。やります。ええと、年に五つ書いて、四千ずつ刷り増して二十両。そんでもって……」
 皮算用を始めている。だが京伝が本気になれば、決してらぬたぬきにはなるまい。
「じゃあ手始めに、来年の一月にひとつ出しましょう。十一月の半ばには彫りに掛かるから、それまでに仕上げてくださいな」
「あ、でも。でもね旦那。俺より先に身請けする奴が出てきたら、この話はどうなるんで?」
 それに対しても、重三郎は「大丈夫」と笑みを返した。
「あたしから、ここの旦那に言っとくよ。あんたが身請け金を持って来るまで、他から話があっても断ってくれって」
 その頼みを聞いてくれるくらいには、重三郎は顔が利いた。何しろ、かつて遊女評判記を作って吉原の宣伝を担い、以後も長らく吉原細見さいけんを作ってきた身なのだ。加えて養父は妓楼・尾張屋のあるじ、義弟はひくぢゃで客と妓楼をつないでいる。遊里の中で生きた年月と、そこで積み上げてきた人脈は伊達ではなかった。
 かくて翌天明五年(一七八五)一月、耕書堂は山東京伝の黄表紙『江戸えどうまれ艶気樺焼うわきのかばやき』を売り出した。
 もっとも、初めは捗々はかばかしくなかった。やはり世の中が飢饉になってしまったからだ。米の値はなお上がり、それが他の食いものの値までり上げてしまう。庶民は食い繋ぐのにも苦労して、進んで本を買おうとはしなかった。
 ただ、かねてにらんでいたとおり、それは初めのうちに過ぎなかった。
「こんちは。山東京伝の新しいの、ある?」
「はいはい、こちらでございますよ」
 四月を迎える頃、重三郎は自ら見世先にあって、客の女――二十歳過ぎだろうか――に本を手渡した。
「これ、これ。こないだ初めのとこだけ読ませてもらったんだけど、もう面白くって」
 艶を失った頬を見れば、日々のかてが貧しいのだろうことが分かる。それでも京伝の本を手にすると、女の面持ちはパッと明るさを増した。
「お買い求め、ありがとうございます。まあ世の中は飢饉ですけど、気持ちくらいは楽しくありたいですよね。お互いに」
 客の女は「本当、そうだね」と嬉しそうに笑って、帰って行った。重三郎も満面の笑みでそれを見送る。人々は、ようやく日々の憂さにみ始めていた。
 以来、日を追うごとに本の売れ行きは増してゆく。
 中でも京伝の『江戸生艶気樺焼』は特に売れ行きが良い。主人公のえんろうが「世にうわさされるような色男になりたい」と願い、滑稽極まりない奇行を繰り広げる物語であった。
 たとえば、艶二郎は自分を色男に見せようとして、居もしない情婦をでっち上げる。その情婦の名を自らの体に入れ墨として彫ってしまう。しかも「別の情婦に嫉妬されて入れ墨を焼き消された方がもっと色男らしい」と考え、熱さを我慢して自分で焼き消してしまう。
 奇行はとどまるところを知らない。次は、人気役者の家に女が押し掛ける様子をうらやましく思い、女を雇って自らの家に押し掛けさせた。さらには自分が女郎を買ってもく女がいないと嘆き、焼餅を妬くだけで良いからと、金を払って年増のめかけを囲う。そうかと思えば、芝居を見て「どうも色男は他の男に殴られるものらしい」と考え、自分を殴ってくれる男を雇う。
 などなど、全編通して艶二郎の奇行を馬鹿馬鹿しく描き、小気味良く笑える物語に仕立てながら、その実は人の見栄や愚かさを一刀両断に斬って捨てるという鮮やかな筆であった。
 この本は狙いどおりに大当たりを取り、七月の新刊が売り出された後になっても、なお版を重ねていった。
 そして――。
「はい皆さん、そろそろ見世を開けますよ」
 八月一日の朝一番、重三郎は今日も見世の皆を前に声を上げた。
 飢饉の中ながら奉公人の数も増やし、今では番頭ひとりに手代五人、小僧六人と飯炊きの女二人を抱えている。こんなご時世でも日々の仕事があり、飯にあり付けるとあって、皆の顔には活気があった。
 そこに向けて、さらに言葉を継ぐ。
「でね、今日はひとつ嬉しいお話があります。この蔦屋耕書堂、ついに黄表紙で江戸一番になりました。取次さんに聞いたことだから間違いありません」
 奉公人たちの気配が、ざわ、と変わる。確かな歓喜の熱があった。
「それも、ひとり勝ちです。絵ではまだ西村屋にかなわないけど、今に追い抜いてやりましょう。さあ皆さん、今日も張り切って商売ですよ」
 皆が「はい」と応じ、見世の間口を開けに掛かる。その動きには喜びがにじみ出ていた。
 この年、各々の版元は黄表紙の新刊を大きく減らした。昨年は各版元合わせて九十二作も売り出されたのに、今年は五十作しか刊行されていない。
 そうした中で、重三郎だけが数を増やしていた。昨年は九十二作のうち、耕書堂の黄表紙はたったの九作だった。然るに今年は五十作中の二十一作を占めている。
 町人が日々の憂さに倦み、娯楽に逃げ道を求めたのは四月から五月の頃だった。その時、ちまたの本屋に並ぶのは耕書堂の黄表紙ばかりである。他の版元は七月の新刊で巻き返そうとしたが、とても追い付けるものではなかった。
 天明五年、耕書堂は名実共に江戸の大手版元と目されるまでになった。 

         * 

 今の勢いを手放してはならじ。重三郎は翌年一月の新刊に向け、日々戯作者たちを訪ね歩いている。九月一日、晩秋を迎えた今日は大田南畝の屋敷にあった。
「――そんな訳でしてね。お忙しい中で恐縮ですが、先生にもまた何か書いていただきたいんですよ」
 南畝は「分かりました」と応じつつ、少しばかり顔を強張らせた。
「蔦屋さん、最近は京伝さんにご執心ですからな。私も、そろそろ何か書かないと忘れられてしまう」
「いやいや、そんな畏れ多い! お忙しそうだから、お願いしなかっただけなんですって」
 泡を食って返す。と、南畝は軽く笑った。
「冗談ですよ。何しろ今年の黄表紙では、歌垣うたがきに幾つも書かせてくれたでしょう?」
 歌垣とは南畝の狂歌の弟子・四方歌垣である。この人は、一方では戯作の大家・恋川春町に師事し、恋川好町すきまちの名で筆を執っていた。
「それとて歌垣の力をお認めあればこそ。されど歌垣に多く書かせたのは、私との繋がりを切らぬためでもある。違いますか」
「違いません。そのとおりです。もう……分かってて、からかうんですから。お人の悪い」
 互いに笑い合う。和やかな空気にあんして、重三郎は「ところで」と問うた。
「歌垣さんで思い出したんですけど、最近は狂歌の集まりが少ないですね」
「ん。まあ、それは……」
「あれですか。今は飢饉の真っ只中ただなかだからって、世間の目を気にしていらっしゃるんで? だったら大丈夫ですよ。うちから出した狂歌本、軒並み当たってんですから」
 本を買って読む、あるいは借りて読む以上に、狂歌は安上がりな娯楽である。だからだろう、今や江戸町人の間でも流行りに流行っている。
 それを言うと、南畝は意外な返答を寄越した。
「町衆が狂歌に興じておることは承知しております。蔦屋さんの狂歌本で本当の面白さが分かって、皆が楽しめるようになった。それは喜ばしいのです。とは言え」
 皆が楽しめるからこそ、逆に厄介なのだという。
「誰もがたしなむようになったから、なのでしょうな。そもそもの素養を持たぬ人が、ただ言葉を並べて悦に入るような……左様な歌が溢れ返るようになりました」
 言ってしまえば、裾野が広がりすぎたせいで下手の横好きが増えた。以前は教養を基に洒落しゃれた歌が詠まれていたのに、今はぎょくせき混淆こんこうである。それも大半は石だ。全体の質が著しく下がってしまったと、南畝は嘆く。
「そういう歌が得意げに詠まれるのを見て、元々の狂歌連が鼻白んでおりましてな。どうにも興が乗らないようなのですよ」
「そんな話……なんですか? だから歌会も少ないって?」
 がん、と頭に響いた。
 狂歌は、確かに本当の流行りになった。その流れを作ったのは間違いなく自分、この蔦重だという自負がある。然るに南畝は言うのだ。それが狂歌というものを潰しかけている、と。
「でも先生。でも」
 黄表紙の流行りでは、そんなことは起きていないのに。
 そう続くはずの言葉が、止まった。歌と戯作は共に言葉を使った娯楽である。だからと言って両者は同じではない。
 歌は五七五七七のひと文字をひねり出せば一応の形になる。良い歌を詠むのは極めて難しいものの、形を整えるだけなら誰にでもできるのだ。
 対して戯作は、まず山ほどの言葉を連ねなければならない。その言葉で読む者の頭の中に絵を描き、物語を紡いでいくのである。形を整えるだけでも相当に骨が折れよう。誰にでもできるとは言い難い。
「……狂歌は、入り込みやすいから。だから誰彼構わず入って来て」
 愕然がくぜんとした顔の重三郎に、南畝は苦い面持ちで頷いた。
「そういうことです。裾野が広いというのは、良いことばかりではない。私も学びましたよ」
「いや。でも。そんな中で珠玉の一首を詠むのが生粋きっすいの狂歌人じゃないですか」
 せっかく作り出した流行りなのだ。あっという間に廃れさせて堪るものか。その思いで発したひと言に、南畝は軽い溜息で応じた。
「そこは申されるとおりでしょう。されど狂歌は元々ただの遊びだった。詠み捨てていたから楽しかったように思うのです。それを本にして世に送り出すとなると……もう遊びでは済まされない。仕事になってしまう」
 働いても良い、遊んでも良い、どちらでも日々の飯は食えると言われたら、ほとんど全ての人が遊ぶ方を選ぶだろう。人とは元来が怠惰な生きものなのだ。だとしたら、と南畝は言う。心が沸き立つような活力というのは、遊びの中からしか出て来ないのではないか――。
「どう思われます。地本は遊びを売る商売ゆえ、蔦屋さんのお考えもお聞きしたい」
「……いえ、何も。先生の仰るとおりです」
 何たることか。元々の狂歌人こそ、狂歌への熱が冷めてきている。遊びでなくなった狂歌に於いて、優れた一首がどれだけ生まれ得るだろう。
 図らずも、自分こそがそう仕向けてしまったのだ。狂歌絵双紙で裾野を広げ、本当の流行りを作り出したことで、かえってちょうらくを早めてしまうとは。
「でも。先生」
「分かっています。蔦屋さんの商売を潰す訳にはいきませんし、歌麿さんも狂歌本の挿絵で腕を磨いておられる。私たちにしても狂歌を捨てきれるものではない。歌会はまた開きますよ」
「ありがとう……ございます」
 だが、果たしてそれで良いのだろうか。元々の狂歌連がこの調子では、自分もどこかで狂歌本から手を引かねばなるまい。歌麿の腕は、その間にどれくらい磨かれるだろう。
 と、南畝が声をかけた。
「蔦屋さん。たびの読み違いを悔いておる暇はありませんよ」
 人というものを良く見ており、人の心を承知していなければ、世の流れは作れない。重三郎がし上がってきたのは、まさにその力を持っていたからだ。南畝はそう言って励ます。
「この先も同じです。狂歌の流行りがどうなるか、その商売がどうなるのか。如何に転ぶか分からぬ流れは、あなたのような御仁にしか読めないのですから」
「……はい。次こそ、きちんと読みきってご覧に入れます」
「ええ」
 南畝は軽く頷いた。もっとも、その後に「ただ」と続け、いささか難しい顔である。
「先生? どうなされました」
 怪訝な声に、伏し目がちに言葉が返ってきた。
「ひとつ忠言を。この先は、もっと読みにくくなるでしょう。あなたの商売には、きっと御政道の動きが絡んできます」
 御政道。これまで全くと言って良いほど考えてこなかった話だ。南畝は下級ながら武家の家柄で、ゆえにまつりごとの流れにも敏感である。その男がこう言う理由とは。
「耕書堂が大きくなったから、ですか」
「それもあります。が、やはりこの飢饉ですよ。江戸と関東ばかりに目が向きがちですが」
「西国も、陸奥もですよね。何年か前からお天道様の機嫌が悪いって」
「ええ。関東は浅間山が焼けたせいですな。どれも人の力の及ぶ話ではなかった。だからと言って、此度の飢饉は御政道に責任がないとは言えません」
 今までの政は老中・ぬま意次おきつぐが動かし、商業に重きを置いてきた。それゆえ米問屋も、米の売買より先物相場で――百年近い歴史がある――儲けようと躍起になっていた。
 つまり米の値が上がり過ぎていたのは、政の方針のせいでもある。飢饉に於いて、これは大きな問題になり得るだろう。今後の政はそれを改める形に変えられると見て良い。
「斯様な時には、お決まりの質素倹約です。蔦屋さんのように立ち回りの派手な人は、特に目を付けられやすい」
「……重々、気を付けます」
「とは申せ、気負いすぎも良くない。御政道について私が知り得るところはお教えしますし、喜三二さんは秋田藩のご重職ですから、あの方にも同じように頼んでおきましょう」
「是非とも。頼りにしています」
 神妙な重三郎を目にして、南畝はっすらと笑みを浮かべた。
「申し訳ない。黄表紙の依頼の話だったのに、あらぬ方に行ってしまいましたな」
「とんでもない。ご忠言、感謝します」
 深々と一礼して、重三郎は南畝の屋敷を辞した。
 以後、世の中は南畝の言葉どおりに変わっていった。
 まずは翌年、天明六年(一七八六)八月である。老中・田沼意次が任を解かれ、政は倹約を旨とするものに変えられた。世の中が飢饉である以上、致し方ない話ではあったろう。
 だが、倹約すれば済むというような、生易しいものでもなかった。
 西国や陸奥の不作は天候ひとつで好転するのだから、まだ良い方である。対して関東は深刻である。噴火の灰で傷んだ土が、いまだ回復していないからだ。
 その上で、この天明六年には利根とねがわが氾濫し、さらなる不作を招き寄せた。これも浅間山の噴火が遠因である。噴火の折に吾妻川あがつまがわに溶岩が流れ込んでいたが、これが冷えて固まったものが下流に当たる利根川に運ばれ、川底を浅くしていたせいで起きた洪水であった。
 斯様な次第では、農作が旧に復するには今しばらくの時を要する。
 しかし、世の中はそれを待てなかった。

次回に続く〉

【第一話】  【第二話】  【第三話】  【第四話】  【第五話】
【第六話】

【プロフィール】
吉川 永青(よしかわ・ながはる)
1968年、東京都生まれ。横浜国立大学経営学部卒業。2010年『戯史三國志 我が糸は誰を操る』で第5回小説現代長編新人賞奨励賞、16年『闘鬼 斎藤一』で第4回野村胡堂文学賞、22年『高く翔べ 快商・紀伊國屋文左衛門』で第11回日本歴史時代作家協会賞(作品賞)を受賞。著書に『誉れの赤』『治部の礎』『裏関ヶ原』『ぜにざむらい』『乱世を看取った男 山名豊国』『家康が最も恐れた男たち』など。

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