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本バカ一代記 ――花の版元・蔦屋重三郎―― 第八話(中)

 【前回】

         *

「はいはい、順番ですからね。本はまだ、たんとありますから」
 列を成す客に向け、見世の前に出た手代が声を張り上げている。並んでいるのは、ざっと百人だ。気短な江戸っ子がこれだけ集まると、順番待ちをさせるのもひと苦労らしい。
「いやはや、すごいね。ここまでとは」
 少し離れた辻から行列を眺め、重三郎はあっに取られた。小正月――一月十五日の晩を吉原じっけんみちの見世で過ごし、今朝一番で通油町に戻ればこの騒ぎである。
「ちょいと元八さん」
 客をさばいている手代へ声をかける。てんてこ舞いだった元八は、重三郎の姿を目にして安堵の面持ちになった。
「旦那様! お帰りなさいませ」
「この行列、喜三二先生のだよね?」
「そうなんですよ。もう皆さん、見世を開ける前から押し掛けて来ましてね。並ばせるのに苦労しましたよ」
 ぐったり、という顔である。重三郎は「ふふ」と笑いを漏らした。
「ご苦労さん。外は、もういいよ。あたしが相手しとくから。あんたは見世の中で、売る方を手伝ってくださいな」
「助かります。それじゃあ」
 元八が軽く頭を下げて中へ戻って行く。重三郎は「ようし」と大きく息を吸い込み、朗らかな大声で客の列に口上を述べた。
「お客様方、皆様方! 本のお求めありがとう! 通油の耕書堂、手前、主人の蔦屋重三郎でございます」
 客は順番待ちに退屈していたところである。この声に「おっと、たまげた」「こりゃまた蔦重本人かい」と歓声が上がった。
「皆々様がお求めあるは、江戸一番の朋誠堂! でしょう、でしょう、そうでしょう! 喜三二先生、筆も冴え! 書き上げたるは滑稽な、笑い笑いの物語」
 この天明てんめい八年(一七八八)一月、耕書堂は黄表紙『ぶんどうまんごくとおし』を売り出した。朋誠堂喜三二が「御公儀のやり様を哂ってやりたい」と言っていた、あの本である。
 とは言え戯作には、織田信長、豊臣秀吉以後の話に材を取ってはならないという決めごとがある。喜三二は鎌倉時代の物語を書き、それを今の世相になぞらえた。
「武士は武の者、剛の者。加えて文の者もいる。ところが世の中、ままならぬ! 文武に暗い武士もいて、そんな『ぬらくら侍』を、鎌倉将軍・頼朝公、憂い憂えて仰せになった」
 口上のとおり、この物語は源頼朝の下命から始まる。
 頼朝は御家人・はたけやましげただに命じ、鎌倉の武士たちを富士の人穴に入らせた。富士の霊験で、文武に秀でた者と能のない者を見極めるためである。これによって無能な「ぬらくら」と見做された者は、箱根の七湯で湯治をして文武いずれかの士に変わるよう命じられるのだが――。
「肩や腰には湯が効くが、果たして才への効き目や如何に! それで世の中良くなるか! さあて、話はここまでだ。あとは読んでのお楽しみ。三巻ひと組、袋入り。初春はつはるのひと笑い!」
 重三郎の口上に、客がやんやの喝采を浴びせる。道行く人まで、これを耳にして行列に加わるほどの騒ぎであった。
 この『文武二道万石通』には、巧みに今の幕政が織り込まれ、挿絵もそれを匂わせるものになっていた。たとえば登場する畠山重忠の着物には梅鉢紋が描かれているが、これが梅鉢を家紋とする人、すなわち老中首座・白河松平定信のことだと分かるようにしてある。
 物語が進むに連れ、世の中は畠山の――松平定信の力で改まってゆくが、そのために「ぬらくら侍」たちは困らせられる。これら無能者は松平定信の手で失脚させられた面々、ぬまおきつぐ松本まつもとずのかみもんのかみなどに擬えられ、やはり挿絵の着物にそれと分かる意匠が施されていた。
 つまりは。
 ご老中首座のお陰で世の中は改まりましたが、我々「ぬらくら」は迷惑しております。文武を奨励して侍を引き締めたところで、誰の腹も膨れません。ああ、本当にいい世の中だ――。
 そういう物語である。喜三二の巧みな筆、さらには挿絵の示すところを以てすれば、これを察するのは難しくない。庶民は物語を読んで畠山の間抜けな差配を哂い、これを通して今の幕政と松平定信を大いに嘲笑った。
 この一作は、半年余りが過ぎた頃には一万部を超える大当たりを取った。
 そして七月の末、重三郎は吉原五十間道の見世に顔を出し、朝一番で奉公人たちを集めた。
「はいはい皆さん。もう聞いてると思いますけど、喜三二先生の『文武二道万石通』ね、ついに一万を超えました」
 江戸には武士と町人が五十万人ずつ暮らしているが、この本を喜んだのは大半が町人で、それを考えれば五人にひとりが買い求めてまで読んだということになる。
「これほど売れたのは、皆さんの働きの賜物たまものでもあります。そこで大当たりのお祝いに、金一封を出すことにしました。通油町の見世でも同じにしてますから、遠慮なく受け取ってください」
 奉公人たちが、わっと沸く。重三郎は満面の笑みで、ひとりひとりに半紙の包みを渡していった。包みの中には一両も入っており、中をのぞいた者の顔は驚きと喜びに彩られている。
「それじゃあ皆さん、今日も張り切って商売に精を出しましょう!」
 奉公人たちが活気に満ちた声で「はい」と返す。皆がそれぞれの仕事に散って行く中、おこうが静かに歩み寄って来た。
「ねえ、おまえさん」
 お甲もさぞ喜んでいるだろう。と、思いきや。
 向けられた笑みには、そこはかとなく陰があった。
「おい、どうしたんだい。何か、ちょっと……つまんなそうな顔じゃないか」
「つまんない訳じゃないよ。でも、ここまで大当たりになっちまうとね。本当に大丈夫なのかって……さあ」
 重三郎は「ははっ」と笑い飛ばした。
「大丈夫だよ。今んとこ、お上からは何も言ってきてない。それに喜三二先生も、はっきり『畠山は白河様だ』って書いた訳じゃないだろ?」
「まあね。でも何か言われたら?」
「んん……。何もこわかない! とは言えないけどね。でも」
 二人で幕府に勝負を挑もうと、喜三二と約束したのだ。喜三二は切腹覚悟、自分も処罰は覚悟の上だった。中途半端に退散して裏切る訳にはいかない。それでは男が廃ると、改めてはらを据え直した。
「どうにかなるさ。何しろ、これまで商人が咎を受けた時は大概が罰金で済んでんだから。今のあたしにゃ町衆が味方に付いてるし、鱗形屋みたいな話にはならないよ」
「そういうもんかねえ。世の中を読むのは、あんたの得手だけど」
 なお懸念を示すお甲に、重三郎はもう一度「大丈夫」と頷いた。
「喜三二先生は白河様にご当主を馬鹿にされて、肚に据えかねて書いた訳さ。けど、そういうんじゃなくても、白河様のなさり様を嫌うお武家様は結構いるもんなんだよ。たとえばこいかわはるまち先生だけど」
 恋川春町は朋誠堂喜三二と並ぶ戯作者で、この人もまた素性は武士であった。駿するじま藩・たきわき松平家の年寄で、実の名を倉橋くらはしいたるという。
「春町先生も、打ち毀しの起きる前から苦々しく思ってたらしい」
 そこへ懇意の喜三二が痛烈な風刺本を書いた。ならば、自分もそれに続くものを書きたいという申し出を受けている。
「ありがたい話だよ。来年の一月に出すから、これも大当たり間違いなしだ」
「しつこいようだけど、本当に大丈夫なんだろうね?」
「きっと、お上も身構えてるよ。町衆がこんなに喜んでんのを下手に取り締まったら、打ち毀しの二の舞になるんじゃないかって」
「そうだと……。うん。そうだね」
 お甲が小さく笑みを見せた。先ほどと比べれば少し和らいでいたが、まだ幾らかの憂いが残っている。どうにか自分を納得させた、という顔であった。

         *

 打ち毀しの後、幕府が町人に米を配ると決めた時に、重三郎は「もっと早くにできなかったのか」と不満を抱いた。
 自分と同じ不満、幕府のやり様に対する不信を、多くの町人も抱いている。喜三二の『文武二道万石通』が大当たりを取ったことで、その確信を得た。
 そして年が改まり、天明九年(一七八九)一月を迎えた。耕書堂が売り出した新刊のうち、黄表紙はその多くが風刺本であった。
 今や風刺本は「出せば売れる」の勢いである。自分たちの不満を、名のある戯作者が代わりに言ってくれる――そこに、町人たちは大いに酔った。
 中でも、恋川春町の『おうがえしぶんぶのふたみち』は大いに注目を集めている。喜三二の『文武二道万石通』に続く一作で、登場する人物や時代は全て異なるが、松平定信に対する皮肉、であるのは同じだった。
「はい、こちら様『鸚鵡返』ですね。そちら様は? あ、同じですか。ただ今、お出しします」
 見世先は今日も忙しい。飛ぶように売れる様子を帳場から眺め、重三郎は満悦の面持ちであった。
 ちょうどこの頃、一月二十五日を以て天明から寛政かんせいに改元されると聞こえてきた。昨年から西国の天候が良好になり、関東でもあさやまの灰で傷んだ土が回復してきたのだという。
 数年来の飢饉も、ついに終わりが見えてきた。それが庶民の心をゆるめたのだろう、本の売れ行きはさらに勢いを増してゆく。四月の声を聞いた頃には、黄表紙の風刺本は全て一万を超えるほどの大当たりとなっていた。
 しかし。この大当たりが、次の逆風を呼ぶことになってしまった。
「だ、旦那様」
 四月十日、昼前のこと。自室で帳簿に目を通していると、ひとりの小僧が慌てて駆け込んで来た。
「何です小介さん。廊下を走っちゃいけないよ」
 苦言を呈した重三郎に、しかし小介はびもせず、ただかすれ声を震えさせた。
「お、お役人様が。北の旦那がですね、いらしてまして」
「北の?」
 大きく、目が見開かれた。
 江戸の町奉行所には北町奉行所と南町奉行所があり、それぞれ管掌に違いがある。南町は呉服や木綿、薬種などに関わる話を取り扱い、北町は廻船に材木、酒、そして書物に纏わる話の窓口となっていた。
 その北町奉行所から同心が来たとは、耕書堂にとって良くない話である。もしや――重三郎の眉が軽く寄った。
「……ともあれ、お通しして。あと、お茶の支度を」
 帳簿を片付けて隣の応接間に移る。来客用の座布団を出しているうちに、開け放った障子の陰から大柄な同心が顔を出した。
「おめえさんが蔦屋重三郎か。俺は北の中島なかじまもんだ」
 中島と名乗った同心は、ずかずかと部屋に入り、当然のように座布団に腰を下ろした。面持ちは堅苦しいが、気持ちに波が立っている訳ではないらしい。
 ならば、相手の機嫌を損ねてはならじ。重三郎は言葉を選びながら頭を下げた。
「わざわざのご足労、痛み入ります。本日は手前共に如何なご用件でしょう」
「ああ、これだ」
 中島は風呂敷包みをひとつ携えていた。それがほどかれると、中には恋川春町の『鸚鵡返文武二道』全三巻が収められていた。
 やはり、と胸に不安が満ちてゆく。それでも重三郎は、努めて平らかに問うた。
「春町先生の本が、何か?」
「御公儀からお達しがあった。この先、この本を売ることはまかりならん。版木も処分しろ」
 絶版の、下達。
 総身に嫌なしびれが走った。咎めを受けるかも知れないことは覚悟していたが、いざ現実になってみると、血の気が引く思いがする。
 覆すことはできないはずだ。しかし、だからと言って二つ返事で受け容れる気にはなれない。商売の都合もることながら、何より江戸の町衆が風刺本を求めているのだ。そう思って心を支え、やはり言葉を選びながら食い下がった。
「それは……どのような理由か、お聞きしてもよろしいでしょうか」
 中島は「おいおい」という顔になった。
「分からんはずはなかろう。御政道を小馬鹿にして、町衆をき付けておる」
「焚き付けるなんて。あ、いえ」
 むしろ喜ばせたいのだ、と続くはずの言葉を呑み込んだ。同じことだと言われるのは目に見えている。
「このお沙汰は、白河様が?」
「白河様に限った話じゃねえぞ」
 かつては、幕政を握っていた田沼意次によって商業に重きが置かれた。今はそれが過ぎていたと判じ、改めようとしている。その一環として世の風紀を一新すべく、このようなまいごとの本は取り締まられることになった。そう言いつつ、中島は溜息をつく。
「……まあ、町衆がどういう気持ちでいるかは俺にも分かる。だがなあ蔦屋。そういう気持ちをあおって、またぞろ世の中に乱暴が蔓延はびこったらどうすんだ」
「それは! それは、逆でございます。こういう本で気を紛らわせれば、乱暴に及ぶこともないでしょう? 少なくとも手前は、それが春町先生のご意向だと思っておりますよ」
 申し開きをする重三郎に、中島は苦笑を返した。
「おめえさんの立場じゃあ、そう言うしかなかろうな。自分の商売と、書いた奴を守らにゃならん。けどなあ」
「けど?」
「これを書いたのが恋川春町だってえのが、どうにもまずいんだよ」
 駿河小島藩の年寄、倉橋格。それが春町の素性である。小島藩を治める滝脇松平家は、これはとうしょうしんくん・徳川家康の四代前に分家した同祖の家柄なのだ。その家に仕える者、しかも年寄が御政道を腐すというのが、幕府――松平定信の逆鱗げきりんに触れたらしい。
「春町……倉橋殿には、遠からず御公儀から出頭が命じられるだろう」
「手前共への処分も、春町先生の詮議次第ってことですか」
 それに対しては、首を横に振られた。
「今んとこ、風刺本を取り締まる法度は出されてねえ。取りあえず、おめえさんはお咎めなしだ。もっとも、言われたとおりに『鸚鵡返』を絶版にすりゃあの話だぜ。分かったな。御公儀に逆らうんじゃねえぞ」
 中島は「やれやれ」と腰を上げ、小僧が茶を運ぶよりも早く帰って行った。
 絶版の下達に従えば、お咎めなし。
 しかし重三郎は、即座に従いはしなかった。春町がこの沙汰をどう思っているか、確かめないまま絶版を決めては版元としての信義にもとる。かくて、その日のうちに城北のいしかわへ出向き、小島藩の屋敷を訪ねて春町に面会を申し入れた。
 だが、聞き容れられなかった。
「倉橋様へのお目通りは罷りならん。早々に立ち去るが良かろう」
 門衛の返答はどこまでも冷淡であった。やはり重三郎は一介の町人に過ぎない。版元と戯作者という立場こそあれ――否、その立場があるからこそ許可できないのだろう。
「左様でございますか。でしたら……せめてこの文を」
 かつて喜三二を訪ねた時とは訳が違うのだ。すんなり藩邸に入れてもらえるとは、はなから思っていなかった。こんなこともあろうと、あらかじめ春町に宛てて文をしたためてあった。
 門衛は、この文は受け取ってくれた。中をあらためて障りがなければ当人に渡す、と。
 障りなど、あるはずがない。絶版の沙汰に従って良いかどうか、伺いを立てるだけの内容である。間違いなく春町の手に渡るはずであった。
 そして、二日後。
 重三郎のもとに文が届いた。恋川春町ではなく、倉橋格の名で寄越された一通であった。
「……思ったとおりだ」
 文にはこう記されていた。自分、倉橋格は自らの心に従って風刺本を書いた。重三郎はそれを世に送り出してくれたに過ぎない。御公儀からこういう沙汰が下った以上、自分が絶版を拒めば耕書堂に迷惑がかかるだろう。それは望まない。素直に指図に従ってくれ――。
 当たりに当たった一作は、この日を以て世の中から消えた。
 数日の後、春町は松平定信から出頭を命じられた。だが病を得たと偽って拒み、四月二十四日を以て隠居してしまった。

 寛政元年は秋七月を迎え、耕書堂にも新刊が並んでいる。が、春町の『鸚鵡返』に絶版の沙汰が下ってからというもの、風刺本を書く戯作者はめっきり減った。それでも庶民は娯楽を求め、本を買って行く。早いところでは既に米の刈り入れが始まっているが、今年は不作にならなかったと聞いて、財布のひもも弛んでいるようである。
「とは言いつつ」
 七月九日の早朝、まだ間口を閉めたままの見世に立ち、重三郎は溜息を漏らした。売り場を見れば、あれこれの黄表紙や洒落本、伝奇のよみほん――表紙の色から青本と呼ばれる――が積まれている。その中に、恋川春町の名がないことが寂しく思えた。
 と、間口の戸板を荒くたたく音がする。ドンドン響く音に、聞き知った声が重なった。
「おい重三郎、俺だ。きただ。開けてくれ」
「重さん、わしだ」
 北尾しげまさと朋誠堂喜三二の声である。明け六つ(午前六時頃)のような早い時分に訪ねて来て、しかも二人の声は重苦しい。
「北尾先生。それと喜三二先生ですよね? 今、開けます」
 ただごとでないと察し、間口の戸板、下の方にある小さな扉のかんぬきを外す。北尾と喜三二は身をかがめてそこを抜け、中に入って来た。そろって蒼白な顔であった。
「何か……あったんですか。ですよね? 何が?」
 神妙な声で問う。北尾がやる瀬ない面持ちで頷き、しわがれた声で小さく告げた。
「良く聞け。春町さんが……死んだ。一昨日、七夕の晩だ」
「はい。え? いや」
 何を聞いたのか分からず、重三郎は顔をほうけさせる。北尾の言葉を幾度も嚙み砕き、そして、しばしの後。
 否も応もなく、がたがたと身が震えた。
「死んだ……って。どういうことなんです」
 喜三二が右手を伸ばし、重三郎の左肩を軽く押さえた。そして沈鬱な顔で口を開く。
「病だと聞いた。が、恐らく表向きの話だ」
 それだけで分かった。恋川春町こと倉橋格は腹を切って果てたのだ。
「やはり、小島藩の家柄……なのだろうな」
 著作が咎められたことは、主家に迷惑をかけたのに他ならない。春町は進退を明らかにせねばならなかった。そう続いた喜三二の声には、涙の匂いがした。
「あたしが。あたしが、春町先生の本を出したから」
 湧き上がる悔恨に、重三郎はうつむいて声を震わせた。北尾が「そうじゃねえよ」としょうぜんとした声を寄越す。喜三二も「重さんのせいじゃない」と目元を拭った。
「わしのせいだ。風刺本を書いて、春町さんを引きり込んでしまった」
 重三郎は「何を仰るんです」と勢い良く顔を上げた。両の眼から、ぼろりと涙が落ちた。
「先生はご主君をないがしろにされて。ならば、って――」
 発して、ぞくりと寒気を覚えた。喜三二の顔をまじまじと見る。
「まさか……。まさか喜三二先生も」
 腹を切ってしまうのか。そのまなしに、苦い笑みが返される。
「安心してくれ。腹を切ってはならんと、殿に命じられた」
 喜三二が春町の死を知ったのは、昨晩だったという。悩んだそうだ。自分が風刺本の先鞭せんべんを付け、春町を巻き込んだ挙句に死なせてしまった。そんな身が、のうのうと生きていて良いのだろうかと。
「そんなことを思っておったら、殿からお召しがあった」
 諸藩の後継ぎは全て江戸屋敷に詰めることになっている。佐竹義和は江戸詰めのまま家督を継いで藩主となり、以来、まだ国許に戻っていないそうだ。
たび『鸚鵡返』が咎められたのは、言ってしまえば御政道にも関わる話だからな。春町さんが死んだことも、当然ながら殿のお耳に入っておった」
 その上での召し出しである。喜三二は、自分も切腹を命じられるのだろうと思ったそうだ。何かしら咎めを受けたら腹を切る覚悟で風刺本を書いている。ならば主君に最後の挨拶をと、部屋を訪ねた。すると――。
「殿にただされた。そもそもの始まりはわしの風刺本だが、なぜそんな本を書いたのかと。春町さんのことがあったからには、隠す気にもなれんでな。それで、白河様に愚弄された一件を明かしたら……きつく、お叱りを頂戴した」
 主君が軽んじられて怒ってくれるのはうれしい。しかし、だからと言って御公儀を腐すのは、忠義とは呼べない。むしろ不届きであると言われたそうだ。
 喜三二は「はあ」と熱い息を吐いて続けた。
「腹を切って詫びると申し上げたんだ。だが殿は……それだけは許さんと。自分が責めを負うべき身だと思うなら、生きて世に尽くし、それを以て償えと仰せられた」
 重三郎の胸に、ドスンと響いた。
 切腹を禁じたのは、喜三二――平沢常富が重臣だから、ではあるまい。春町の例を見ても分かるとおり、重臣だからこそ、けじめを付けなければいけないのが武士というものである。人の命こそ何より大事、佐竹義和は、そういう思いではなかったか。
「いい……お殿様じゃないですか」
 喜三二は「ああ」と頷き、そして、立ったまま深々と頭を下げた。
「重さんにも詫びねばならん。斯様な次第だ。わしは……筆を折ることにした」
 驚くには値しない話だった。端から切腹覚悟で風刺本を書き、御政道を嘲笑った人である。春町が死に、自分に同じ道が認められなかったのなら、せめて戯作者としての命を断とう。そう考えるのは人としての誠である。
 重三郎は「分かりました」と頷いた。
「先生が決めたことですからね。あたしには口出しできません。いいお付き合いをさせていただいたこと、心から感謝いたします」
 喜三二が「痛み入る」と声を詰まらせる。その傍らから、北尾が穏やかに声を向けてきた。
「なあ重三郎。その上で俺からひとつ忠言だ。お上にけん売るの、もうめにしとけ」
「そのつもりです。今回うちはお咎めを受けなかった。春町先生が何もかも背負ってくださったんですから、拾った命は粗末にできませんよ」
 北尾が「よし」と肩の力を抜く。喜三二の頬にも安堵の笑みが浮かんだ。

次回に続く〉

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【第六話】  【第七話】

【プロフィール】
吉川 永青(よしかわ・ながはる)
1968年、東京都生まれ。横浜国立大学経営学部卒業。2010年『戯史三國志 我が糸は誰を操る』で第5回小説現代長編新人賞奨励賞、16年『闘鬼 斎藤一』で第4回野村胡堂文学賞、22年『高く翔べ 快商・紀伊國屋文左衛門』で第11回日本歴史時代作家協会賞(作品賞)を受賞。著書に『誉れの赤』『治部の礎』『裏関ヶ原』『ぜにざむらい』『乱世を看取った男 山名豊国』『家康が最も恐れた男たち』など。

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