結婚式について
2022年2月5日。
結婚式を終えました。
2020年2月2日に入籍して、
2020年11月、2021年5月に二度の延期を余儀なくされました。
ワクチンの接種が浸透し、東京都の感染者数は激減し、
コロナ禍の収束を微かに感じさせる世の中で少しずつ打ち合わせを進めていました。
そんな中、直前になってオミクロン株のまん延が広がり、僕たちは不安に駆られながら日々を過ごしました。
招待した皆様を信じ切ることができず、電話やラインが鳴る度に欠席の連絡ではないかと怯えながら。
実際にコロナを理由に欠席したいという連絡がいくつかありました。
それは個人個人が決めること。
様々な事情があり、その人が決断したこと。
「こんな時期に結婚式をするなんて非常識だ。」
「なぜ延期しないのか?無責任で何も考えていない人間だ。」
直接言われたことはないけど、そう囁かれているような気持ちで常に過ごしていました。
そしてそれは事実ではあるのでしょう。
実際に僕は自分の為、先は長くないであろう祖父母の為、度重なる延期に不安になる妻の為、人を集めようとしているのだから。
一生に一度の美しくなくてはならない1日。
その1日を欲して僕たちは式を決行しました。
結果として、田舎での開催に関わらず招待した方々の9割を超える出席者に恵まれました。
僕たちの不安やもやもやを吹き飛ばさんとする祝福を受ける事が叶いました。
帰宅後のホテルでの自主隔離を条件に祝辞を述べに来てくれた大学の後輩。
何の後ろめたさも不安も感じさせず、堂々と素晴らしいスピーチをしてくれた親友。
時間をかけて試行錯誤したであろう最高のサプライズを用意してくれ、
2年前からこの日を待ち望んでいたと言ってくれた仲間たち。
あいまいで美しく、それなのに何よりも確かな祝福と涙を僕に残してくれた一生涯の友。
皆が掛け値なしの愛を注いでくれた。
少なくとも僕たちの目にはそう映った。
恥ずべきことに、足を運ぶと決めてくれた皆の心情を疑ってしまっていた僕の目に。
両親は時勢の事、僕たちの事、結婚式をするという事、すべてを理解したうえで背中を押してくれました。
祖父母は杖をつきながら来たにもかかわらず、僕たちの姿を見て、幾分か軽やかな足取りを取り戻してくれました。
そして友たちは、疑いようのないほどの愛と祝福で僕たちを包んでくれました。
一片の後悔もない、本当に美しい1日に恵まれました。
こんな世の中でも僕たちは不幸ではなかった。
こんな僕たちでも決して孤独ではなかった。
これまで生きてきた痕跡をより確かに、より鮮明に思い出させてくれる最高の家族と友に恵まれていた。
皮肉にも自分で招待し、疑心暗鬼になりかけていた僕の心を
皆は晴れやかに照らしてくれた。
雪の珍しい地域で舞っていた粉雪を、祝福の花びらだと言ってくれた。
このような世の中で、家族が、親友が、恩師が、
一堂に会することは本当に貴重で、ありがたく、尊い事だった。
このような世の中だからこそ、来てよかったと言ってもらえることを望み、
多くの友にそう言ってもらえた。
来なければ一生後悔していたと、そう言ってもらえた。
会えない世の中で、会うことを選択するか、会わないことを選択するか。
それは僕に決められることではない。
僕にはどうしようもない事だからこそ、
信じられる人々の存在を、温かさを、
より強く感じることができた。
マスクを、消毒を、PCR検査を、換気を、ソーシャルディスタンスを、
節度ある会話と温かいまなざしを。
ゲストとスタッフは自ら徹底して僕たちの門出に立ち会ってくれた。
今、コロナ禍での結婚式に悩む夫婦は本当に多いと思います。
僕とは違い、決行するという意志だけでは解決しない問題を抱えた方も多いと思います。
それでも人と人が出会い、その温かさを再認識する大切さを思い出すことができました。
結婚式を開催するという決断を恥じないでほしい。
それを笑う者も、憤る者も、すべて受け入れて何物にも屈しない気持ちで判断してほしい。
その結果が僕とは逆であったとしても、それは胸を張っていい事だと思う。
2人だけの門出だとしても、ささやかな式だとしても。
笑う権利も、憤る権利も他人は持っているかもしれないけれど、
それでもあなたの「美しくなくてはならない1日」を汚す権利は誰にもないのだから。
本当に大切なことは自分の心で決めるべきだと思うから。
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