見出し画像

13歳からのアート思考

「すべての子供はアーティストである。問題なのは、どうすれば大人になったときにもアーティストのままでいられるかだ」

①「自分だけのものの見方」で世界を見つめ、
②「自分なりの答え」を生み出し、
③それによって「新たな問い」を生み出す

Ⅰ)目の前に咲いている完全なタンポポ

画像1

アート思考を構成する3つの要素
①表現の花 ②興味のタネ ③探求の根

ダ・ヴィンチの「興味のタネ」は、「目に見えるものすべてを把握する」

CLASS 1 「すばらしい作品」ってどんなもの?

Ⅱ)自画像

画像2

Ⅲ)緑のすじのあるマティス夫人の肖像
ⅰ)色について
背景は桜、深緑、橙。左側がより濃く塗られてる。髪は紺、濃紺、橙。人体は、紺で縁取らてる。右側が肌色、左側が薄黄緑色。中央に緑の線が引かれてる。影の線を緑で描いている様。服は右側が橙で、左端は薄赤。
ⅱ)形や輪郭について
線で下書きをした上から塗っている様。全体的に丸みを帯びている。鼻の立体差がない。
ⅲ)筆の使い方について
決まった方向に筆を走らせている訳ではない。右顔は筆の跡が残っているが、左顔は筆の跡があまりない。髪は、紺の上から濃紺を塗っているように見える。

アートの答えは「変わること」に意味がある。

before 綺麗に描けるだろうか。見たままだけを意識していた。
after 見た目だけじゃない。見る人に新しいものの考え方を示せるもの。
beyond すばらしいモノは、人によっても時代によっても常に変化してる。だからこそ、正しい答えを出そうとするのではなく、人の価値観を広げられるようなモノを作っていくことがいいのではないか。

CLASS 2 「リアルさ」ってなんだ?

Ⅳ)リアルなサイコロ

画像3

Ⅴ)アビニヨンの娘たち
顔の形がおかしい。身体の形がおかしい。空間がおかしい。顔が歪んでいる。色合いがおかしい。鼻が長すぎる。人の顔じゃない人がいる。果実の色がおかしい。足が壁に埋め込まれている人がいる。

遠近法で描かれた絵は、つねに「半分のリアル」しか写し出せない。

ピカソが「アビニヨンの娘たち」で出した答え
さまざまな視点から認識したものを1つの画面に再構成する

古代エジプト人たちのリアル
さまざまなものをその特徴が明確になる向きで組み立てること

before 遠近法と影を使って、立体的に描こうとしていた。
after 自分にとって大事なモノ(内面や裏側など、目に見えているものとは限らない)を描くこと。
beyond 「リアルさ」には万人に対する答えはない。ただ、個人に対しての答えはある。その人が何を第一に考えているか、それを描けているかが「リアルさ」だと思う。

CLASS 3 アート作品の「見方」とは?

Ⅵ)コンポジションⅦ
天国のような地獄のような感じ→明るい色が多く使われている箇所と暗い色が多く使われている箇所がある。
識別できる形がない→「これは〇〇だ!」と言い切れない。モノに縛られていない自由な感じ。
豊富な色が使われている→異世界のような印象をうける。

カンディンスキー
具象物が描かれていない絵

「背景とのやり取り」
作者の考え、人生、歴史的背景、意義など。

「作品とのやり取り」
音楽を聴くとき、自分の経験に当てはめて聴く瞬間と同じ。

Ⅶ)100文字ストーリー
研究をしていると、大きな壁にぶつかることがある。目指すべき場所は分かっていても、そこへ辿り着く方法が分からないのだ。ただし、その出口は綺麗なモノであるとは限らない。やっとの思いで辿り着いた出口さえも不確かなモノなのだ。

松林図屏風
「作品とのやりとり」を許す「空白」が残されているほうが、作者と鑑賞がともにつくり上げる作品になりやすい。

before 作者がなにを言おうとしているのか読み取ることだけを考えていた。
after 作者が何を言おうとしているのか読み取ることも見方としてはある。しかし、それ以外にも、音楽を聴くように、自分の経験に当てはめて作品を見てみたり、自分の想像を足してみたりするといった方法がある。
beyond 一つのモノに対して、何を思うかは自由。逆に、一つのことに縛られていると、違う可能性に気づけなくなってしまう。

CLASS 4 アートの「常識」ってどんなもの?

20世紀のアーティストたちに共通する特徴
従来の「あたりまえ」に気づき、そこから脱出するなかで「自分なりの答え」を生み出すという姿勢

Ⅷ)アートの常識をめぐる5つの質問
①NO 美は何を追求するのも自由であるべきだと思うから。
②NO 大規模な作品で、色々な人の手を借りて形作ってもその人の作品と呼べると思う。ただ、まとめ上げたりするのは作者本人であるべきだと思う。
③NO 作品で大事なのは、どれだけ探求したか。技術は、必ずしも必要ないと思う。
④YES 手間暇がかかっていなければ、そもそも新しい答えを表現できないと思う。また、描く前の探求は手間をかけるべきだと思う。
⑤NO 5感のどれで味わえてもアート作品だと思う。

Ⅸ)Fountain
トイレに見える→5つの孔や、陶器、形から。
手前に何かが通るための孔がある→ここから噴水がでるのか。
左右に少し飛び出ているものがある→台に固定するため?

デュシャン
自分たちの探求の過程は、あくまでも「視覚で愛でることができる表現」に落とし込まれるべきだという前提」に目をつけた
Fountainは、「表現の花」を極小に、「探求の根」を極大にした作品

それまで誰も疑うことがなかった「アート作品=目で見て美しいもの」というあまりにも根本的な常識を打ち破った。

before 手間暇がかかっていなければ、優れたモノを生み出せないという考えにとらわれていた。知らない間に、作ることが当たり前だと考えていた。
after 「アートの常識は壊すべきモノだ」という考えに変わった。
beyond 今まで、常識は身につけるべきものだと思っていた。しかし、この授業を受けて、常識は可能性を閉ざすものであるとも思った。常識だからと素通りせず、疑ってかかることが大事なんだと気づいた。

CLASS 5 私たちの目には「なに」が見えている?

Ⅹ)5分間ラクガキ

画像4

Ⅺ)ナンバー1A
ペンキをぶちまけた様→無秩序に色が塗られている
赤点、黄点、紺点が何か所かにある→3色で争っている様
左下の薄赤が手で塗ってるよう→筆の太さでない
右上に手形がある→力強さを感じる

私たちが絵を見るとき、私たちは「絵そのもの」を見ていない

ポロック
アートを「なんらかのイメージを映し出すためのもの」という役割から解放した。

そもそも「何か」を描く必要などない。

before 何かのイメージ。人の顔や風のイメージ。
after 「なに=イメージ」と勝手に決めつけて考えていた。なんでも見えていると思い込んでいたが、実際には何も見えていなかった。
beyond ディスプレイが周りに増え、今まで以上にイメージを相手にすることが増えた。これは、そのモノ自体を見る力が衰えていく要因にもなっていると感じた。

CLASS 6 アートってなんだ?

Ⅻ)アートの仕分け
①②③アートである モノを通して、「あること」を表現しているから。 
④アートでない 表現することが目的で作られていない。

XIII)ブリロ・ボックス
アートでない→市販の箱を2つ重ねただけの様だから。
→表現することを目的に作られたものではないから。
→ずらせば、形が1つに定まらないから。

ウォーホル
「『これがアートだ』などといえる『確固たる枠組み』は、じつはどこにも存在しないのではないか?」という問いを投げかけていた
「アート」と「非アート」を隔てる城壁を消した

ニューヨーク近代美術館(MoMA)
「パックマン」というゲームのコードを所蔵している
「アートという枠組み」がなくなったあとの平野に立ち、「自分たちのものの見方」によって「本当にすぐれたもの」を選び出そうとしている

before 何かを表現することを目的として作られるものだと考えていた。
after 何を目的として作られたかは関係なく、あらゆるものがアートになると考えるようになった。
beyond あらゆるものに対して、「何となくこういうものだ」という想いを持ってはいたが、それについてしっかりと考えたことはなかった。改めて考えてみると、そうした「何となく」が自分の視野を狭めていたのかもしれない。

EPILOGUE 「愛すること」がある人のアート思考

花職人
自分たちでも気づかないまま、他人から与えられたゴールに向かって課題解決をしている人

真のアーティスト
「自分の好奇心」や「内発的な関心」からスタートして価値創出をしている人

アート思考
「常識」や「正解」にとらわれず、「自分の内側にある興味」をもとに、「自分のものの見方」で世界をとらえ、「自分なりの探求」をし続けること

before センスや技術が問われるもの
after アートの裏にある考えや思考過程は、あらゆるものに共通したものだった。芸術家は、決して遠い存在ではなく、自分なりの価値観やモノの見方を探求しはじめれば、誰もがなれる存在なのだと思った。


「美術」は、私たちが唯一、自分自身の考えに則って答えを導く教科だった。



#買ってよかったもの
#とは
#13歳からの
#アート
#思考
#芸術
#美術

この記事が参加している募集

買ってよかったもの

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?