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【連載小説】マザーレスチルドレン 第十八話 ヤオ・ミンの襲撃【創作大賞2024漫画原作部門応募作】

 六畳程のワンルームに小さなキッチンが付いた安アパートの二階の角部屋。流し台の上にある小さな窓がこじ開けられている。

 シンクは汚れ放題で投げ込まれた鍋や食器にはカビが生えていてひどい悪臭が漂っている。足元には空になったアルミ缶が散乱して足の踏み場も無い。

 暗闇で息を殺して立っているヤオ・ミン。手には消音装置が取り付けられた三十口径の自動拳銃が握られている。R国製の軍用銃には極寒地における使用で部品の凍結などで動かないという事態を回避するため、どうしても構造が複雑になる安全装置の類が一切付いていない。それは僅かな誤操作でも弾が飛び出す可能性があるのだった。しかしその危険性を差し引いても弾を込めた後はとにかく引き金を引けば弾が飛び出す単純さが小気味良く、ヤオ・ミンはこの銃が気に入っていた。目が慣れるまでの数分間、気配を消しキッチンの壁にもたれ佇立ちょりつするヤオ・ミン。やがて暗闇に目が慣れてくるとヤオ・ミンはポケットからマガジンを取り出し銃に八発の弾丸をゆっくりと装填した。

「遅かったじゃねえか」

 奥の部屋、ノセがベッドの上で上半身を起こしてキッチンに向かって言った。

「寝込みを襲うなんざ、チャンコロらしいぜ」

 キッチンに向かってノセは続けざまに数回発砲した。銃声が耳をつんざき、暗闇の中で閃光が眩しく視界を切り裂いた。銃弾は1Kのキッチンを仕切っているガラス引き戸を粉々に砕くと激しい音を上げた。

「出てきやがれ、薄汚ねえボートピープル野郎が。オレが今すぐぶっ殺してやる!」

 過剰な覚醒剤使用による興奮状態のノセが吠える。予想はしていた事とはいえ自分を裏切り刺客を放ったヨシオカに対しての怒りはノセを極限まで凶暴化させていた。ベッドから跳ね起き銃を片手にキッチンへと移動するノセ。割れて散乱したガラスがノセの足の裏に突き刺さる。しかし今は痛みを感じない、頭髪を逆立たせ野獣のように闘争本能をむき出しにしたノセの頭にはヤオ・ミンを倒す事以外の余念はなかった。

 狭いキッチンにヤオ・ミンの気配はない。壁のスイッチに手を伸ばしノセは明かりを付けた。天井の蛍光管がチラつきながら惨状となったキッチンを白々と照らし出す。――やはりヤオ・ミンはいない。玄関のドアが開け放されている。辺りには硝煙の臭いと生ゴミの腐臭が混ざり合い立ち込めている。

「畜生、逃げやがったかチャンコロが───」

 ノセは玄関ドアから上半身を出しドアノブに手をかけ表の様子を伺っている。その時ノセの背後、キッチンシンク下の収納扉が静かに内側から開いてヤオ・ミンが姿を現した。そして素早く収納スペースから這い出すと全く音を発せずにノセの背後に立った。右手には鋭く光るナイフがあった。次の瞬間ヤオ・ミンは無警戒なノセの背中に向かって躊躇ちゅうちょなくナイフを突き立てた。鋭い痛みを感じノセが振り返る。深々と刺さったナイフの先端は絶妙な加減で急所を外していた。血走った目を見開いてノセがヤオ・ミンを睨みつける。「───てめぇ」ノセが呻く。ヤオ・ミンも切れ長の目に酷薄こくはくな笑みを浮かべてノセの目を覗き込んでいる。ヤオ・ミンがナイフを捻るように引き抜く。傷口から熱い血が吹き出した。ノセは苦悶の表情を浮かべながらもヤオ・ミンに銃口を向ける。ヤオ・ミンはそれには全く動じずナイフでノセの銃を握った手の甲を逡巡しゅんじゅんすることなく切りつけた。ノセがあまりの疼痛とうつうに言葉にならない叫び声を上げて銃を取り落とす。「───痛てえじゃねえか、この野郎!」ノセはそう叫ぶと身もだえながらもヤオ・ミンに掴みかかる。間髪いれずにヤオ・ミンはノセの左頬を切り裂いた。さすがのノセもこれには堪らず唸り声を上げて後ずさりする。その瞬間ヤオ・ミンの唇の両端がすっと持ち上がった。ヤオ・ミンは人の顔面を切り裂く事が何よりも好きだった。ナイフの切っ先から伝わってくる薄い人間の顔の皮膚と表情筋が裂ける感触、恐怖におのの眼差まなざし。ヤオ・ミンの性的感情はその徹底した嗜虐しぎゃく的行為によって至福の境地に達しようとしていた。ヤオ・ミンの陶酔とうすいしきった表情を見てようやくその狂気に気づきおそれをなしたノセは表に逃げだそうとヤオ・ミンに背を向けた。その場で素早く身を沈めるヤオ・ミン。次の瞬間ヤオ・ミンの凶悪な刃は、ノセの両足のアキレス腱をすっぱりと切り裂いた。絶叫しながらノセは倒れこんだ。
「わかった。もう勘弁してくれ。金はいらねえ、本部にもいわねえ」
「たのむ、命だけはとらないでくれ、ヨシオカと話しさせてくれ、電話かけさせてくれ、頼む」
 必死で命乞いするノセを見下ろしながらヤオ・ミンはゆっくりと首を横に振った。

その時、通報で駆けつける黒服隊のパトロールカーのサイレンが聞こえてきた。ヤオ・ミンは残念そうな様子で銃口を這いつくばってうなだれているノセの後頭部に向けると至近距離で銃弾八発すべてを続けざまに発射した。ノセの頭蓋骨と脳漿のうしょうと血液とが一緒くたになり、割れた西瓜のように辺りにそれらをまき散らした。



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