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1年度が終わる


日本人は兎角4〜3月のカレンダーで動きたがる。

先日RIFU ROCK FEST.は皆様のお陰をもって実施でき、リフ超学校の1年のシメのイベントとしてもルーティンになりつつある。このイベントも何年かやってみて、回を重ねるごとにつくづくロック×市民活動の親和性を感じる。近年では実行委員のみなさんや支援者のみなさんが次々と強力になってゆくので、自分の実務負担もだいぶ少なく済んでいるんだろうなと思う。それも皆ボランティア・市民活動という枠組みで。世の中で「一般市民」が絶滅しない限りロックは不滅なんだろうと、年々憶測は確信に迫りつつある。

リフロック以外にもリフ超学校活動は多種あり、それぞれがそれぞれの関わりたいところでグイグイと活動して頂いている。リフ超インターンや市民活動研究会、寺子屋、ハロウイーンetc…。

これもまた、世の中で「一般市民」が絶滅しない限り市民活動は生き続けるんだろうなと実感せられた。

昔「板垣死すとも自由は死せず」という名台詞を社会の授業で習ったが、例えば、リフ超学校の代表の俺が滅しようがロックや市民活動が続くような、それに近いある種の安心感を感じている。


また、今年度末で利府町まち・ひと・しごと創造ステーション tsumikiの職責を辞する。
(タイムリミットまで挨拶に伺えなかった方すみません)
しかし、tsumikiも同様「佐々木死すとも…」理論で、民意が介在する施設である限り、みんなに祝福されながらながらおぎゃーと誕生したtsumikiのまま、いやそれ以上に愛される施設になっていくだろうし、そうであってほしいと願う。



明日から俺は何者になるんだろう…。

いや、なんでもいい。資格、職責、スキルはいくつかある。教員資格、介護福祉士、食品衛生責任者。あとNPOの代表だったり作曲家だったり探偵だったり忍者だったりデビルサマナーだったり病人だったり…。

でも、眼の前にできること、やりたいこと、求められることがなければ、そして他者との関わりと愛がなければ名前や肩書なんて何も意味がない。


できることは自ら供すればいい。
やりたいことは自ら磨けばいい。
だから他者に発するべくは「俺を求めてください。」


P.S.
なるべく昼夜逆転は改善したいですが、しばらくは夜通し企画書報告書Web関係等デスクワークと作曲の時間。そして昼頃起きて日中外回りみたいな生活になると思います、多分。

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