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Anisoninの活動について

初めに

本日、4月7日0時にAnisoninの新曲「春に薄氷」と言う楽曲がリリースされました。

今年で音楽ユニット"Anisonin"を初めて約3年半ほど経ち、これまでの活動やその経緯、その変遷について、あまり自分は表立って話して来なかったので、久しぶりのMV公開や新曲のリリースをいいことに色々書き残しておこうと思います。

※書き切った現在、読み返しましたが、かなり長いのでのんびり読んでください。

音楽ユニット"Anisonin"とは

数年前までやっていたロックバンドの活動を通して、ライブハウスで様々なバンドと出会いました。
その中でも、自分の琴線に引っかかるバンドが「午前3時と退屈」で、そのボーカルをやられていたのが"あにそにん"さんでした。
知人を経由し挨拶をさせてもらい、自分が当時関わらせていただいた音楽制作の現場でボーカルを依頼させていただきました。
そこから交流が始まりました。

そこから時は流れ(といっても2年程度)、お互いのバンドが同時期に解散し、作曲やアレンジャーとしてあにそにんさんよりお声をかけていただきました。
お話をいただいた当初は、あくまであにそにんさんのソロ活動での音楽面でのお手伝いの1人という形でした。
その活動のはじめとして「そこはかとなき欧亜」を作曲した時、「あ、なんか一緒に創作活動したら、今後も絶対的に良い音楽作品ができそう」と思い、ぜひユニットとして活動したいと、話しました。
何回目かのリハ終わり、新宿のコンビニで酒を買って飲んだ時だった、と記憶してます。
2019年の夏の終わりごろでした。

Anisoninとしての音楽制作時の変遷について

1.エレクトロサウンドへの挑戦期(1st single「鳴動」〜1st Album『Human Biology』)

先述の通り、Anisoninを始める以前より、自分はロックバンドをやっていたので、バンドサウンド以外のジャンルの音楽制作にはあまり関わったことがありませんでした。
そんな自分が、エレクトロサウンドへ本格的に挑戦したのが、一番最初の音源である「鳴動」と言う曲です。

編曲する良い手順も当然わからず、勢いで作ったので、サウンドプロダクション的には今だったらあまりしないこと(同じ帯域のベースラインを複数同時に流す、エレキギターの代わりにホワイトノイズを永遠左右にパンする、など)を沢山試みました。
バンドサウンド、あるいは弾き語りで作った曲をエレクトロサウンドに変換してみながら、とにかく自分にとってやりやすい制作を見つけることに夢中でした。
その制作方法で1年間動いてみて、1枚目のアルバム『Human Biology』がなんとか完成しました。

このアルバムを完成させて一番嬉しかったことは、音の一つをとっても自分でこだわって作り組み立て、一つのアルバムとして仕上げられたことです。バンドでもアルバムを何枚も作ったことがありますが、バンドでの制作とは他のメンバーとの共作でもあるので、どうしたって楽曲面やそれぞれのパートへの拘りの譲り合いありき(悪い意味ではなく)での制作になってしまいます。
そのため、ここまで自分の我儘に振り切ったことがなかったので、それができて嬉しかったのを覚えています。

Anisoninとして発表した楽曲総てに対し、深い思い入れがありますが、このアルバムは特に思い入れが深いです。

「そこはかとなき欧亜」は、あにそにんさんの歌詞に初めて曲をつけた楽曲でもありますし、ちょっとおしゃれなサウンドにしたくて「ゆふたひ」のアレンジ作業は普段行かない渋谷〜原宿のカフェ4軒ぐらいを、梯子しながら作ってました。

一番最初に配信した「鳴動」や、その次に配信した「深緑・ベランダ・学生街」もリアレンジしたのですが、"東京カメレオン"というバンドでベースを弾いててかねてより尊敬していた、青木達哉さんにお願いし弾いていただきました。
バンドの楽曲のハイセンス具合や、演奏面でのバカテクニックさは当然のことながら、その素晴らしき楽曲たちの屋台骨として支えていた彼のベースに惚れ、当時よく僕からお誘いさせていただき、タイミング合う時にちょこちょこお酒を酌み交わしておりました。
アルバムを出した翌年、Anisoninでのライブ活動も徐々に視野を入れていた頃、彼が亡くなり、この2曲が自分が青木さんとご一緒した最初で最後の音源となりました。
ライブで、披露する機会の多い「深緑・ベランダ・学生街」では、2番のサビが終わった後、元々の原曲にはなかったスラップを入れてくれました。
毎回その箇所になると、彼の顔が浮かびます。
自分がいつかあちらに行った時に、また音楽談義に花を咲かせたいです。

2.生楽器や人力の演奏を極力排除したシンセ中心のサウンドへの傾倒期(3rd single「孤独への旅/パピ・コラ」〜4th single「胎児への夢/脳髄論」)

このアルバムを配信してすぐ、プラグインやソフト音源の導入を行い、制作環境のランクを上げました。
自分は、エレクトロニカや電子音楽の制作に疎かったのもあり、まずはPCソフトに最初から内蔵されているシンセサイザーやサンプラー音源、拾ってきた著作権フリーの音素材を組み合わせたりするところから始めました。
1年間制作をやってみて、無料の範囲では限界が来たので、ちゃんとお金をかけ始めたという感じです。

ここで、シンセサイザーをいじることの楽しさを覚えました。
ソフトシンセですが、自分でも知ってるようなアナログシンセの名器(をモデリングしたシンセ)を自作曲に投影することの楽しさは、めちゃくちゃ興奮しました。
元来自分は、バンドをやっていた頃から音を変な風に加工するのが、めちゃくちゃ好きだったことを思い出せましたし、音作りの楽しさを噛み締めて作ったのが、次の音源でした。

電気グルーヴの影響で、TB-303の音をとにかく使ってみたかったので、上記のシングルではほぼ全ての楽曲で使ってます。
今でこそ、そこまで303を固執して使っていませんが、困った時やここぞという時には使っている節があります。
それぐらい個性的で、自分の中ではエレキギターぐらいの信頼を置いています。

3.サンプリングと生演奏を主体とした制作期(2nd Album『Human Disruption』)

先述のシングル制作時は打ち込みでの音楽制作に没頭しており、めちゃくちゃ楽しいものの、いささか完成までに時間がかかりすぎるため(ドラムの音を決めるのに数日以上かかるなど)、少しだけ肩の力を抜いたアルバムを作りたいなと思い始めました。
そして、楽曲はポップでカラフル、どこかワクワクさに満ちている、そんな音楽たちが詰まったアルバムを作りたいと考え始めました。

楽曲制作で、思い切ってサンプリング音源を楽曲に組み込んでいく方法に切り替えました。
それまで、他人の作ったフレーズや音源を自作曲に使うのは果たして創作に値するのか?という古臭い考えを持っていたので、サンプリング音源を楽曲使用することに若干の抵抗がありました。
しかし、冷静になって考えてみると、自分で一人で作ったと思う楽曲だって誰かの影響を受けてなければ作れないし、そもそもメーカーが作った音(ドラムやらキーボード、シンセ)を使用して、楽曲を制作しているのです。
その考えにようやく至れるようになり、このアルバムができたと思います。

今回のアルバムで、サンプリング音源を用いた顕著な曲は、『Human Disruption』M1「青春と骨」、M2「デリノ」、M4「逆」などがそうです。
特に「逆」に関しては7割以上は、そうしたサンプリング音源で構成されています。
サンプリング音源の選定作業や、加工が大変だった記憶がありますが、曲が割とシンプル寄りだったのもあり、終始制作は楽しかったです。

サンプリング音源を多く活用した本作ですが、アコースティックベースや、マンドリン、アコーディオンなど、実際に自分が弾いた生楽器も多く取り入れたアルバムでもあります。
アコースティックな雰囲気の曲と、エレクトロニカ全振りな曲、その中間の曲など、Anisoninとしての音楽性の幅が広がったアルバムになりました。

今でこそ聴き直すと、諸々の反省点はありますが、”自分が「音楽」をやっている”と人前で自信を持って初めて言えたのが、このアルバムでした。
これまで、自己主張や承認欲求を満たすため、その一つの手段として「音楽」を"使用"しているぐらいのレベルでした。
もっと自分の底にある心象風景や歌詞のイメージ、頭の中のイメージを「音楽」で"表現"しようと試みたのが、初の経験だったのです。

MV公開、新曲リリースなどについて

『Human Disruption』が出来て、その出来に幾分か満足してしまったこともあり、次にやりたいものを見つけるまで少々時間がかかりました。

あにそにんさんとの楽曲制作は止めておりませんでしたが、Anisoninとして一番満足できることはなんだろう、と考えてはパッとしたアイディアなどが浮かばない状況が続いていました。

アルバムを出して約1年を過ぎた昨年の暮れ、ライブでもサポートをしてくれるギターの伊藤くんと、あにそにんさんとリハ終わりに飲みました。
自分が、次の一手をどうしようか迷ってる的なことを言った時に、「もう既にできてるものがあるなら出し惜しみせず、どんどん作品出した方がいいですよ。」と言われました。
今考えたらすごく単純なことですが、命題とか目標とかを大々的に決めなくても、停滞する必要はないことに今更ながら気づきました。
そこから新曲のリリース計画を立てたり、MV公開までめちゃくちゃ迅速に行うことができました。
まじで人にいつも救われてます。感謝しかないです。

MVとなった楽曲「F.D.F.F」について

『Human Disruption』収録曲の中の「F.D.F.F.」のMusic Videoを公開しました。

MVのディレクターは、楽曲が収録されているアルバムのアートワークをやっていただいている、kyabeshi(https://twitter.com/kyabeshi)さんにお願いさせていただきました。
彼の描く世界観と、我々が持つ楽曲の個性が、良い形でぶつかれたかと思います。

この楽曲を一発目のMVに選んだ理由は、kyabeshiさんの描く世界を映像として動かすとしたら、アルバムの中で一番合うと思ったからです。
コラージュアートは自分の中で、多少なりとも狂気を孕んだものだと思っていて、その狂気にポップ内在できていたのが、アルバムの中で言えばこの曲でした。
ただただ暗かったり、不気味だったりではない狂気を表現したかった作品なので、出来上がった映像を見返すたびに、この鮮やかさ抜群でかつ狂っている作品に一人で仕上げたkyabeshiさんすげえ、、、です。
今後もご一緒できるような展開が待っているかと思いますので、お楽しみにしてください!

楽曲「春に薄氷」について

ここまで長くなりました。
新曲の話をします。

「春に薄氷」の楽曲自体は、Anisonin活動初期に作った曲なので、2019年ごろに作った曲です。
歌詞は音源完成までに大きく3回ほど変わっていますが、メロディーの基軸や構成はほとんど変わってません。

2019年ごろのAnisoninでの作曲作業は、あにそにんさんが作った歌詞を、本人を前にして、その場でメロディーをつけるというものでした。
場所もスタジオとかではなく、カラオケや公園などで行い、アコギ一本で作る割と即興性の高いものです。
2023年現在、割と楽曲先行での制作が多くなりましたが、歌詞先行の場合は今でもこの流れで作っています。

「春に薄氷」も代々木公園で作った覚えがあります。
秦基博かのような雰囲気だったので、しばらく仮タイトルは「ろひともたは」でした。

1枚目のアルバム制作時に音源として最後まで作り終えてましたが、トラックの出来が稚拙で、とてもじゃないけど世に出せるものではありませんでした。
出来上がった音源を寝かして、今年に入って一から作り直しました。
当初の音源制作時よりも、なんとかある程度のクオリティーまで持っていくことができました。

音源が出来て、自分がボーカル務めるバンド「ホピーハイボ」のメンバーであり、Anisoninでもドラムを叩いてくれているドラマー・坂本龍一さんに最初聴かせた時に、「生ドラムの方が良い」という感想をいただきました。
ということは、エレクトロニカに振り切れていないということだと思い、またアレンジを見直し、現在のアレンジになりました。
生ドラムと打ち込みの中間で作っていたので、アレンジへ大きく影響する意見をもらえて、かなり助かりました。感謝です。

自分の中では、この曲の正解を出せたかと思うので、良い仕上がりになったと思います。
ぜひ聴いてください。

終わりに

Anisoninの活動など、3年半を振り返ったので、エグいぐらい長い文章になりました。

あくまで予定ですが、1年ぐらいは毎月新曲をリリースする予定で、現時点で既に1年以上分の楽曲が完成しています。
少しでも、Anisoninでの活動を知ってもらえたら嬉しいです。

ここまで付き合っていただきありがとうございました。

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