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鷲尾三郎義久のすべらない話「名前」

「どうも、平家物語に出てくる、源義経様の郎党、鷲尾三郎義久といいます。えーと、僕は、播磨国の山奥にある、鷲尾村というところで育ちましたから、鷲尾いうんですけど、名前は持たない田舎者でした。

幼いころに両親、そして兄弟とも生き別れて、山に住む獣たちと一緒に生活していたものですから、まあ、名前なんてなくてもとくに不便に感じることはなかったんですね。

もう、大人になってもずーっと名前なしで生きてきて、それが自然というか、普通でしたから、このまま特に名前というものを意識することなく、また別段憧れるわけでもなく、一生名なしのゴンベイでも構わんな、という気してたんです。

ところが、ある日、そんな僕の純粋な感情を、打ち砕いてくれる人が目の前に現れたんです。それが源義経様でした。

義経様が、僕の故郷である鷲尾村を訪れたのは、平家を討伐するために軍をすすめ、この先の峠を目指す途中でのことでした。義経様一行は、東国からきた人たちがほとんどでしたから、当然、こちらの地理には明るくありません。

まして、こんな険しくてけものみちだらけの山奥ですから、道に迷わず進むなんて戦上手の武士たちでも無理な話です。それで、『ちょっとこの先の道案内をしてほしいが、どうだ?』という依頼が僕のところにきました。

何にもあらへん山奥のさみしいところで、一人で暮らす生活も飽きてきましたし、こんな辺鄙な場所にぎょうさん人が現れるちゅーのも珍しかったですから、好奇心というか、変なワクワク感もあったんでしょうね。そのときはほんと、何も考えてなかったです。まあええかくらいの軽い気持ちで、OKしてしまいました。

それでまず、義経様のところへ案内されました。義経様は、それはもう眉目秀麗のお方で、噂に聞く京の美男子とはこんな感じかと、感心しました。よく話を伺うと、義経様も、もともとははるか遠いみちのく育ちで、僕と同じく山の中で獣たちと戯れながら世を送って来たとのこと、なんか妙な親近感がわきましたね。

そんなこともあり、この人のためなら頑張れると心の底から思いました。そして、僕に名前がないことをお嘆きになり、うれしいことに、『私が名前を付けてやろう』とおっしゃってくれたんです。もう、涙が出るくらいうれしかったですわ、ホンマ。

『おぬしは長男か?』と聞かれましたので、『三男です』と答えましたところ、『では三郎でどうだ』といわれました。正直、『えっ?』となったのは確かですね。聞けば、俗世間では長男を太郎、次男三男は次郎、三郎と名乗るのがしきたりみたいで、まあ山育ちの僕にはピンとけえへんかっただけです。

それに、これは通り名であって正式な名前ではないことが分かり、ほっとしました。義経様ほどのお方から名前を付けてやるといわれ、三男だから三郎じゃ、ちょっと寂しいですもんね。それで、『自分の名前の一字をくれてやる。義久でどうだ』とおっしゃったんです。

もちろん、こんな光栄な話はなく、喜んでその名前を頂戴しました。源氏という由緒ある家系、しかも今をときめく源義経様の名前から一字を与えられるなんて、両親が生きていたらどんなに喜んだことか、その夜は興奮して眠れへんほどでした。

でも、でもですよ、ちょっと気になることがいくつかあったんです。義経様が授けてくださったお名前でしたから、当然その名前で呼ばれるのだろうと、お声がけのある際は楽しみにしておりました。

ところが、殿は僕の名前を呼ぶ際、『鷲尾、鷲尾』というんです。確かに、僕は鷲尾村の生まれですから、それで間違ってはいませんが、せっかくお名前を頂戴したのですから、『義久!』と威勢よく呼んでほしかったです…。

しかし、殿の口からその名前が出ることは一切なく、鷲尾で通されてしまいました。これじゃ、何のために名前を頂いたのか分からないじゃありませんか。

それだけじゃありません。義経様には、伊勢三郎義盛殿という、股肱の家臣がおられました。その方も、通り名を三郎とおっしゃいました。それだけでなく、名前も義盛、そう、殿と一字かぶっておる点では僕と一緒です。

それが、妙にしゃくにさわったんですよ。伊勢三郎殿は、源氏の遠い親戚という、僕からみればとても輝かしい出自をもったお方でして。僕など足元にも及びません。そんな、ゆがんだ劣等感みたいなものもありましたね。

せっかく、義経様の目にとまり、お役に立てる場を頂戴して浮足立ったのもつかの間、なんだか寂しい気持に襲われ、木々の茂みの中で禽獣たちと戯れた生活が懐かしくなったほどです。

どうしよう、帰ったほうがいいかな、あー鹿恋しい、てちょっとしたホームシックみたいになって、いやあかん、こんなところで帰られへん、頑張らな、て気合い入れて、こんなめそめそした気持ちに踏ん切りつけるために、思い切ってある日の晩、義経様に名前のことについて尋ねてみました。

義経様はご自身のお名前について、どう思われているのか聞いてみたのです。『九郎様というのは殿が九番目の男としてお生まれだからそう名乗ってるのですか?』『いや私は八男坊だ』『え?それではなぜ九郎様とおっしゃるんですか』『私の叔父に、鎮西八郎為朝という人がいた。父義朝の弟にあたる。その方と同じ八郎を名乗ると、叔父に対して無礼であるし、かぶるものだから』ておい!俺もかぶっとるがな!

伊勢三郎とかぶっとる!三郎と下の名前両方じゃ!しかも何じゃ!人には三男だから三郎といって、自分はかぶるの嫌だから一つずらすとかどんだけ姑息やねん!お前それでも大将か!かぶるの嫌じゃったら俺にも配慮せい!いうわけで、名前にはうんざりしたという話です」


源義経…戦術のファンタジスタ。義経といえばだいたいマザコン。「俺悪くないもん」という手紙(腰越状)を兄・頼朝に送り付けるも、逆に怒らせて仲直りに失敗。空気が読めない意味の「KY」は九郎義経から来ているとの説も(ウソ)。それほど周囲の感情に鈍感で、無邪気なところがあった。想像の翼を広げて歴史に遊ぶなら、ナポレオンと戦わせてみたい天才将軍。
鷲尾三郎義久…播磨国鷲尾村出身。道に不案内だった義経一行を一の谷まで案内し、有名な『ひよどり越えの逆落とし』を絶妙にアシスト。以降義経の近臣として仕え、奥州の地で主人と共に戦死するまで忠義を尽くした。


※本記事は筆者管理ブログより転載したものです

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