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十七条憲法をやさしめの文調にして要約したら、社会の座右の銘になった

我が国は、聖徳太子の時代にはじめて「憲法」を持った。

「十七条の憲法」である。これを憲法と認めるかどうかの議論はあれど、憲法と名の付く以上は憲法として取り扱っても問題ないはず。

それはさておき、『日本書紀』には、聖徳太子が定めたとされる十七の条文が記載されている。読んでみるとなかなかどうして、まっとうなことが書かれている。ものすごく大雑把にまとめれば、「みんな正しいことをして正しい人になり、正しい国にしましょう」といった内容で、おそらくこの理念に意を唱える人は誰もいないだろう。それくらいいちいち正しいことが書き綴られている。

十七条憲法にはどんなことが書かれているのか。文調をやさしめにして、端的に一言で要約すると以下のようになる。

一、みんな仲良くしましょう
二、三宝(仏・法・僧)を敬いましょう
三、天皇の命令には従いましょう
四、礼を大事にして秩序を守りましょう
五、公平に裁きましょう
六、善い行いを勧めて、悪い行いを改めましょう
七、人選は適材適所を心がけましょう
八、やり残しがないよう、しっかり働きましょう
九、真心を持ちましょう
十、他人の意見・立場を尊重しましょう
十一、公明に賞罰を決めましょう
十二、弱い者イジメはいけません
十三、自分の仕事内容はきちんと把握しましょう
十四、他人をうらやんだり、妬んだりするにのは慎みましょう
十五、仕事に私情を持ち込むのはやめましょう
十六、目下の者や部下を使うときでも一定の配慮を心がけましょう
十七、なるべく独断はやめて、話し合いで決めましょう

二と三以外は、現代社会でもそのまま適用できそうである。現代の価値観と道理に合わせるなら、二は「神仏霊を敬い、法を遵守しましょう」三は「自然の摂理に従いましょう」とでもアレンジしていいかもしれない。

一部には意訳・超訳も含まれているけど、おおむねこのような趣旨だ。

それにしても、「正しいこと」って、今も昔も変わらないもんだなあと思う。

そして人間は、昔からずっと、正しいことを広められない世の中に苦しむようになっているのかな、とも。

正しいことって、当たり前すぎて人々の心に響かないところがある。「薄っぺらい」「そんなことは言われずともわかってる」と冷笑されそうだし、「正論なんてつまらない」といった斜に構えた意見も耳にする。そのくせ、正しいことが守られていないとみんな怒るんだよなあ。その存在がどれだけ重いものか、肌身で感じるのが難しい。何か家族みたいなものだな、「正しいこと」というのは。ちゃんと言語化できずじれったいけど、とりあえずこのまま投稿しとく。





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