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noteで書いていること、なぜそれを書くのかについて

本日2月11日は建国記念の日です。いまから2680年前の2月11日、神武天皇が橿原の宮にて即位されました。日本国の誕生です。

「そんなの神話だろ、誰が信じるっていうんだ」とツッコむのは自由ですが、あまり生産的ではないと個人的には思います。聖書やイスラム法典の事実性にケチをつける人はいないでしょうから。

それはさておき、本noteであります。こちらでは主に歴史系コンテンツを中心に書いております。

タイトルにある通り、noteで書いていることをこれから紹介していくわけですが、建国記念の日にふさわしい記事をアップできるのではないかと我ながら思います。

思えば初投稿はこんな記事でした。

ぼくが何か書くもの、書けるもの、伝えられることがあるとすれば、ライフワークとして取り組んできた歴史かな、という答えにたどり着きました。

ただ書くからには読者のことを想定しなければならない。ただ書くだけでは思考の垂れ流しになってしまう。そんな自戒も込めつつ、コンテンツとして楽しみながら読めるもの、ストレスフリーで読める記事を意識して書くようにしています。

とくに歴史というと「むずかしい」「わかりにくい」「思想が強そう」といったネガティブイメージも根強く、凝り固まった沈殿物を解きほぐすことに神経を注ぐ努力が書き手には求められると思います。

そんなことを踏まえつつ、下記のコンテンツをつくっています。

「日本のお城をマンションポエム調に表現してみる」がコンセプト。キャッチコピーとか表現とかの領域じゃなく、言葉遊びの感覚で楽しくやっています。ふざけているようにみえてけっこう真面目です。リサーチや下調べなんかも念入りにやってますよ。

企画としてはおもしろいと思うのですが、ちょっと出オチ感もあるのが弱点。連載形式で続けられたらと思うのですが、課題はどうマンネリ化を防ぐか、ですね。まだ2回しかアップしていないのにこれです。

おそらく多くの人が学校で習った古典の『今昔物語』。この形式を借りて日本の歴史の一場面を切り取り、物語風に語るというものです。

今昔物語は仏教思想の影響を受けた説話集なので、最後にちょっと説教じみた教訓を垂れてクローズします。「これは因果応報である」みたいな調子です。現代の価値観に合わせるなら自分との向き合い方や組織論、ビジネス哲学として何か示唆を与えられる結びにできればと思いつつ、書きました。

人間、自分の「量り」を間違えることは身を滅ぼす元凶だと歴史から学んでおきながら、あえて自分の力量を超える取り組みに挑戦しています。いま一番力を入れている歴史企画です。

「大東亜戦争(太平洋戦争)を知る・考える」は、ぼくのライフワークのど真ん中といっていいくらい、大きな位置を占めます。歴史好きだからというより、純粋に日本人として知っておいたほうがいいかなとの思いが強い。自分が知ると同時に、いかに周囲に伝えていくかも大きな課題として持っています。

日本がかつて無謀な戦争を起こしたことは多くの人が知っています。8月15日になると取ってつけたように組まれる終戦特番をみて、かつてこの国でも戦争なんてヤバい状況があったんだなとぼんやりと思う人は多いでしょう。興味がなく無関心でも勝手に情報が入ってきて、知らないうちにどっちかの色に染まっていたなんてこともあるかと思います。

だから、「何となく気になる」「ちょっと知っておいたほうがいいかな」と感じる人はけっこういるんじゃないか、というのがぼくの印象です。実際周りに聞いてみると、「よくわからないけど、でも気にはなる」という人がちらほらいます。

「ちょっと気になる」状態を抜け出し、「積極的に知ろうとする」境地に立つうえで障害となっているのは、はやり歴史に対する負の要素やネガティブなイメージではないでしょうか。

難解で取っつきにくい部分が大きいために、そこで立ち止まっている人がほとんどだと思います。小説やマンガなどはともかく、先の大戦について書かれている歴史書などははやり難解。専門用語のオンパレード、怒涛のごとく流れる情報量、淡々と事実を列挙するのみの味気ない文章で、歴史好きを自認するぼくですら気を張っていないと読み続けられないほどです。もともと興味のない人ならなおさらでしょう。

その部分を少しでも是正するためには、「やさしくて読みやすい文体」がひとつの解になるという気がしています。これにおもしろさが加われば最強なのですが、おもしろさを求めて史実をゆがめるのは本末転倒なので、読みやすさと分かりやすさの徹底にまずは一本化したい。そんな思いを胸に企画を立ち上げました。

この記事ですべてを知ってもらおうと思っているわけではありません。ぼくの記事はとば口の役目でいい。世の中には偉い学者や文化人、大学の先生たちが書い研究本、歴史書がたくさんあります。もっと深く理解したいと思ったら、ぜひそれらを手にしてほしい。そこへ手を伸ばす人をこの世に出すためにぼくは書きます。

「わたしたち日本人の祖先は、大きな戦争をすると決め、戦った」というタイトル、ふと思いついた瞬間これは自分なりにいけると思ったのですが、どうでしょうか? いまとなってはやはりちょっと重いかな? 怖くなるかなな? という気がしないでもありません。

今を生きるわたしたちと、昭和のあの時代戦争に行った人たちは、決して別の世界を生きている(生きていた)わけではない。時代が違うだけで、あの人たちが全身で受け止めた運命、それによって起こした行動、その結果作られた未来を生きているのが、いまのわたしたちではないのか、と。そんなことを伝えたい思いがあります。

先の大戦について他人事みたいに話す現代の人があまりにも多く、そのことにどうしても違和感を感じずにはいられない自分がいました。これはあくまでぼくの感覚で、何が正しいとか言うつもりはまったくないです。

戦争について、ひとつ不思議だなあと思うことがあって。たとえばみなさん「関ケ原の戦い」はご存じですよね? 詳しく知らなくてもそんな戦いがかつてあったくらいの情報はみなさんあると思います。

名称が示すとおり、これもひとつの戦争です。そこでは多くの兵士や将兵たちが参戦したことでしょう。血を流し倒れたものもいれば、活躍して恩賞にあずかったものもいるでしょう。そんな勝者や敗者に分かれた兵士たちにはそれぞれ家族もいたでしょうし、それぞれ人生のドラマがあったはずです。

現代を生きるわたしたちは、徳川家康や石田三成といった人物のしたことはわかっても、末端の兵士の人生や家族についてまで知ることはできない。知りたくてももはや不可能ですよね。ただ「関ケ原の戦い」という出来事があったと、“記号”でしか理解することができません。

しかし当然のごとく四百年前の日本人にとってはそれは記号などではなく、ひとりひとりの顔が見える戦争でした。これが時間が流れていくごとに風化が進み、やがて記号になっていく。これは歴史の必然性であり一種の残酷性でもあると思います。

そしてわたしたちの身近な祖先が経験した先の戦争も、やがて単語のみで理解する記号化は避けられない。そして、ひとりひとりの顔が見える戦争と言えるのは今の時代がギリギリかもしれない。すみません、このあたりのまとめは宿題にさせてください。

ちょっと辛気臭い話になりましたが、本記事を自己紹介とさせていただければと思います。こんな記事を書いているライターですが、どうぞお見知りおきを。







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