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歴史の知識ではなく、心にどう残すかを大事にしたい

昭和を代表する日本柔道界の雄・木村政彦氏は、自著『我が柔道』の冒頭で、登山家の植村直巳氏の言葉「山を愛する者ならば心に残る登山をしなければならない」を引用し、次のように語っています。

高い山だから、低い山だからと優劣をつけてはいけない。登り終えた後に深く心に残る登山が本物の登山だと思う、と。うなずける言葉である。柔道だって同じだと私は思う。

柔道の試合でも、相手が強かろうと弱かろうと、何かしら胸に強烈に残るものがあることが大事だと氏は言っています。自分の心の状態に目を向けることが大切なのは、柔道も登山も同じだということでしょう。

私は自称歴史ライターとして歴史関連の記事を投稿していますが、歴史と向き合うときも知識を得て満足するのではなく、自分の心の動きは意識するようにしています。人物のエピソードなり時代の出来事なりを知って何も感じないのは、単に知識を得るだけで満足しているだけかもしれません。だから、歴史関連の本や資料に触れる際も、常に何か感じるものを残せ、と自分に言い聞かせています。

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歴史に名を残す英雄たちの壮烈かつ痛快な成功譚や成り上がりの物語は、確かに楽しく心ゆさぶられるものがあります。その一方で、そんな英雄にも地味でちっぽけな、さして取り上げるほどでもないエピソードもたくさん転がっているものです。後者の何でもない話にも何か感じる心を大事にしたいなと思っています。そのほうがより深く歴史を楽しむことにもつながります。

少し話は違うかもしれませんが、歴史をどう評価するかも、「心」が大きく関与します。というのも、歴史をどう読み取るかは、評価する側の心が得てして主体となることもあるからです。

たとえば木村政彦という人物を見ていく場合も、その長い生涯のどの断面に光りを当てるかで、印象や評価が様変わりします。

彼に関して流布しているのはもっぱら力道山との因縁試合に関する情報ですが、それは木村政彦という男の生涯を構成するひとかけらに過ぎません。

「木村の前に木村なし、木村の後に木村なし」と評されるほど強かった柔道現役時代の木村政彦、戦後は食うために海外プロレスに転向した苦労人木村政彦、それもすべては肺病で余命いくばくもない妻を救うためだったという愛妻家としての木村政彦。

どの情報を選び、どの情報をもとに木村政彦像を描くかとなったとき、人は知らず知らずのうちにそこに自分の思いを寄せていたりします。英雄と呼ばれるいくつもの伝説を残した人物ほど、その傾向は顕著なところがあります。歴史の評価にも「鏡の法則」みたいなところがあり、人間である以上それは避けられないのかもしれません。

私は歴史ライターを名乗ってここに歴史記事を書いているので、より一層その点に意識を払わなければならない立場になります。インプットでは心に何かを残す、アウトプットでは自分の心で軽薄なジャッジは行わない。ライターかくあるべきみたいな話になってしまいましたが、歴史に限らずエンタメや文化に触れるときもこのスタンスはあったほうがいいかなと考えます。

木村政彦著『わが柔道―グレイシー柔術を倒した男』

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