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戦争の史実。「人・出来事・時代」を見つめてわかること

現代を生きる私たちにとって、もっとも近い時代に起きた戦争といえば大東亜戦争(太平洋戦争)ですが、その歴史を学ぶなら、「人・出来事・時代」の観点から情報を収集し、何が起きたのかを真摯に見つめ、自分の中で何をどう感じるのか、考えを持つ。そのプロセスを経ることで、先の大戦に対する自分なりの軸を持つことができるかと思います。

戦争とは「人」が起こすものです。大東亜戦争の開戦責任者と言われて思い浮かぶのは東条英機かもしれませんし、近衛文麿かもしれません。戦争に深く関与したのは軍や政府のトップばかりでなく、敗戦の決定的要因につながるような判断・決定をした現場の指揮官や作戦担当、参謀なども、大東亜戦争を語るうえで欠かせない人たちです。そのほかにも、政府要人、軍務官僚、情報将校、第一線で戦った将兵たちなど、膨大な数の「人」がこの戦に関与し、一つの大きな歴史をつくったわけです。戦時中や戦争前における彼らの行動や判断、選択、その背景にあったもの。一人の人間だけでも知るべき情報はたくさんあるし、特定の一人だけを調べればいいというものでもありません。あれひど大きなスケールの戦争だったのですから、関わる人の数と彼らによって生まれた戦争の歴史も膨大かつ多様になります。

出来事

戦史や事件、歴史を動かすような個人の行動などをひっくるめて「出来事」としています。「真珠湾攻撃」「ミッドウェー海戦」「インパール作戦」「ガダルカナル島の攻防」などの戦史や、開戦直前までに行われた戦争を回避するため対外交渉、外務官僚や武官、民間人までもが関与した終戦工作など、戦時中や戦争前にはさまざまな出来事が起きています。大東亜戦争とはこれら一つ一つの出来事が灰のように積もって生まれた山と言えるかもしれません。日本軍という組織がどのような戦いをしたのか、何を間違ってあのような悲惨な負け方をしたのか、そこから見えてくる日本人の伝統的な欠陥とは何か。今を生きる私たちにも良薬となる苦い教訓がたくさん詰まっていることに気づくはずです。

時代

大東亜戦争が勃発した時代はどんな時代だったか。当時の世相や価値観、政治をめぐる動向、国際情勢など時代の動きを抜きには語れません。今は戦争などめったに起こらないので平和な世の中が当たり前の日本ですが、幕末から昭和の敗戦までの約80年間で3回の大きな戦争(日清戦争・日露戦争・大東亜戦争)をはじめ、日中戦争やノモンハン事件、第一次世界大戦など幾多の戦争や紛争を経験しています。同じ民族でも時代が異なれば簡単に起こってしまうのが戦争というものです。戦争とは時代が起こすものだというとらえ方もできるでしょう。日本が、アメリカをはじめ、イギリスやオランダ、中国などとの戦争を決意した昭和という時代とはどんなもので、今と比べて何が違うのか。私たちはあの時代を生きた人たちをまるで別世界の住人のように考えているかもしれませんが、よく調べていると、本質的には何も変わることろがない、という「真実」も見えるかもしれませんよ。

より多くの史実と向き合って主観を中和する

どんな事実であっても、人の認識が入ることでそこに主観が生じます。歴史上の事実と、それを受けてどう感じるか、どんな答えを持つかはまったく別次元の問題です。それを悪いとも思いませんし、人である以上はそこのところを受け止めて考える必要があるでしょう。

主観はあっていいのですが、ベースとなる知識が少なく、周りから与えられる情報のみで認識の軸ができあがると、どんどん主観へ傾くことになります。受け身であればあるほど主観が大きくなるのは逆説的で不思議ですが、認識とはそういうものなのでしょう。そんな主観に侵されがちな人の認識であっても、幅のある情報で考える機会を増やせば、客観性が育ちます。自分で調べて自分の頭で考えるほど、主観は客観に中和されていくのです。歴史は客観視が重要なので、「人・出来事・時代」の視座を持とう、と言っているのです。







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