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「大東亜戦争」か「太平洋戦争」か|戦争の名称について考える

「大東亜戦争」なのか、「太平洋戦争」なのか、という話をします。

みなさん、かつて日本がアメリカと戦争した事実はご存じですよね。

今から約80年前の出来事です。日本にもそんな歴史があります。

名称が単純に「国名」「地域名」から取られない戦争の特異性

さてその日米間で起きた戦争ですが、「なんで日米戦争って言わないんだろう?」と疑問に思ったことはないでしょうか?

日清戦争、日露戦争と違って、単純に戦争当事国の名前で呼ばれていません。ではこれらの戦争と日米戦争は何が違うのでしょうか?

「当時、日本はアメリカとだけ戦争したわけじゃないから」

そんな答えが返ってきそうです。では、当時日本はどの国と戦争状態にあったのでしょう?

その条件を「日本に宣戦布告した国」とすれば、日本は世界の40カ国以上と戦争をしていたことになります。

(なんでそんなにたくさんいるかといえば、新たに設立された国際連合の加盟条件が「日本・ドイツへの宣戦布告」だったから)

確かにこれだけを見ても単純に「日米戦争」と括れそうにありませんね。

しかし、それなら「太平洋戦争」という名前もおかしくない? という話になってきます。

「日本の戦場は太平洋に限らず中国大陸、東南アジア、南シナ海にも及んだから、この名前だって不適当だ」という論法も成立するわけです。

でも実際には「太平洋戦争」がパブリックネームとして定着していますし、歴史の教科書にもしっかりと「太平洋戦争」と記載されています。

ここでみなさん、政府が主催する終戦記念日の慰霊祭を思い起こしてください。

そこで総理大臣が式辞を読み上げますよね。そのとき「太平洋戦争」という言葉は使われているでしょうか?

「先の大戦」と言ってないでしょうか?

これは私の観測ですけど、おそらく総理大臣や政府関係者、高位高官の人たちは、公の場で発言する際、なるべく「先の大戦」「先の戦争」みたいな、ぼんやりとした言い方を使っているように見受けられます。

それはやはりこの戦争の意味や背景が複雑だから、何かしらの配慮をして抽象的な呼称を使っているのだと想像されます。ハイコンテクスト文化を醸成してきた日本語ならではの便利な使い方ですね。「先の大戦といえばわかるでしょ?」みたいな。

それでも「太平洋戦争」「第二次世界大戦」が無難な言い方なのは間違いなく、総理大臣がこの言葉を公の場で発しても問題視されることはないでしょうし、実際に使うこともあると思います。

問題なのは、「大東亜戦争」のほうです

仮にこの名称を総理大臣が公の場で口にすれば、間違いなく物議を醸します。下手をすれば辞職に追い込まれるかもしれません。

「大東亜戦争」を口にして問題視されるのは政治家だけじゃなく、一般人でもそうです。居酒屋で大東亜戦争なんて口走ったら、危険人物扱いされてもおかしくありません。

それだけいわく付きの言葉でもあります。

それにしてもなぜ、「大東亜戦争」は使ってはいけない言葉になったのでしょうか?

後に使用できなくなった名称を、当時の人たちはどんな理由で使い始めたのでしょうか?

日本がかつて戦った戦争、このように名称一つとっても複雑です。複雑だからこそ、いろんな角度から考察する視座がないと、物事の本質は見えてきません。というより、それを抜きにして本当の意味での「反省」など望むべくもありません。

前置きが長くなってしまいましたが、「大東亜戦争」「太平洋戦争」ふたつの名称に見る「日本の戦争」について考察してみます。なお、ここではどちらの名称が正しいかの是非は問いません。どちらを使うべきかを論じる記事でもありません。あくまでそれぞれの名称に隠された意味を読み解くという趣旨です。その点を踏まえていただきますと幸いです。

敗戦後に禁止された「大東亜戦争」広められた「太平洋戦争」

最初に二つの名称にまつわる歴史的事実を整理します。

まず「大東亜戦争」とは、日本政府ならびに大本営(陸海軍の最高意思決定機関)が合議で決めた名称です。決定されたのは、日本がアメリカの真珠湾基地を攻撃した翌々日の昭和16年12月10日。総理大臣や陸海軍の大臣が集まって会議する政府連絡会議にて。つまり、「大東亜戦争」という名称は日本が国家の意思で命名したことになります。

一般に、戦争の名称に使われる言葉は当事国の国名や紛争地の地域名になるのがほとんどです。わかりいやすいのが日清戦争や日露戦争。これは日本に限らず世界どの国も共通のようです。英仏戦争、普仏戦争(プロシアとフランス)、露土戦争(ロシアとトルコ)、現代でもイラク戦争やアフガン戦争、朝鮮戦争というふうに、国名・地域名が使われるのが慣わしだとわかります。

これらを考えると、やはり、日本はなんで「大東亜戦争」なんてわかりにくい名称をつけたのか、という疑問が沸いてくるのです。

日本政府が、米英との間ではじまった戦争を、わかりやすい地域名ではなく「大東亜戦争」にしなければならなかった事情を考えたとき、この戦争がなぜはじまったのかという理由が見えてきます。これについては後述します。

この「大東亜戦争」ですが、日本の敗戦によって使用禁止となりました。禁止にしたのは勝者のアメリカです。これが「日米戦争」「対米英戦争」であれば、おそらくアメリカは禁止にしなかったでしょう。

「大東亜戦争」の使用をなぜ禁止にしたのか。ここにアメリカの意図が隠されているはずですが、なかなかこの点は注目されません。敗戦後、日本に進駐したアメリカ占領軍が大東亜戦争の使用を禁止し、その命令に日本が逆らえないのは敗者の論理として当然とはいえ、終戦からすでに70年以上経過した今なお、その理由について考えることを避けるような空気のこわばりがあるように感じます。

ともあれ使えなくなった「大東亜戦争」ですが、これに代わって登場した新しい名称が「太平洋戦争」になります。

これは政府が会議を開いて閣議決定により決まっものではありません。パブリックな決定を通さず、ごく自然と広まった名称です。

広めるよう仕向けたのはGHQ(日本占領の全権を託された米国の占領軍)で、広める役を担ったのが日本のメディア(新聞・NHK・出版業界)になります。

昭和20年12月8日、日米戦争開戦の日に全国の新聞紙上で『太平洋戦争史』という連載がスタートします。

もう一度言います。「全国の新聞紙上」です。

つまり、当時存在した朝日・読売・毎日といった全国区の新聞紙が枠を越えて一斉に同じ連載物を掲載したのです。こんなこと普通じゃあり得ません。それが可能だったのはあらゆる権力を握ったGHQの命令によるものだったからです。日本占領の全権を担ったGHQに命じられれば日本の新聞が逆らえるはずもなく、計10回にわたる『太平洋戦争史』連載となったのです。

さらに、同じくGHQの指示ではじまったのが、NHKラジオ『真相はかうだ』です。日本がなぜ戦争に走ったのか、日本軍は世界各地で何を行ってきたのかという「真相」を全国民に知らせるという目的の、一種の“プロパガンダ放送”です。

この放送で使用されるのはもちろん「太平洋戦争」。この時期にメディアで「大東亜戦争」の使用は一切禁じられていますので、国民には一方的に「太平洋戦争」だけがすり込まれていきます。

先述の『太平洋戦争史』ですが、学校教材にも使用されたことから、教育現場にも急速に浸透しました。全国の学校で広く使われたのはGHQが文部省に圧力をかけたからともいわれます。そうでもしなければ「10万部の売上」など不可能でしょう。

「太平洋戦争」は「アメリカ目線の戦争」と言い換えることもできます。アメリカが太平洋で戦い、太平洋で勝利を収めた戦争。『太平洋戦争史』も『真相はかうだ』も、徹頭徹尾、アメリカ目線の内容で凝縮されています。そこに日本の主張や立場が入り込む余地は一切ありません。敗戦国だからと言われればそれまでですが、こうした冷厳な歴史的事実の延長線上に、太平洋戦争という名称が今も使用されている事実を見ておく必要があります。

「大東亜戦争」を失うと、戦争をはじめた理由が見えにくくなる

日本が命名した「大東亜戦争」。この「大東亜」には地域の意味も含まれていますが、戦争の目的や政治的スローガンも入っています。

戦争の名前にその目的や無形的特徴を込めたものとしては、アメリカとイギリスによる「独立戦争」があります。だから方向性としてはこの名称に近いと言えるかもしれません。

さてこの「大東亜」ですが、「大東亜共栄圏」から来ています。大東亜共栄圏を現代風に訳すなら、「東アジア共同体」とでも言いましょうか。今日でいうところのEUやASEANみたいなものです。

当時の日本には、東アジアを大きな運命共同体として捉え、一つの経済圏・国防圏を構築する国家的なビジョンを持っていました。

たまに耳にするかと思いますが、「八紘一宇」(日本を中心にアジアの国々はみな家族)というスローガンは、大東亜共栄圏構想の精神を表しています。

この大東亜共栄圏の範囲ですが、時代の趨勢に応じて変化しました。最初は日本(台湾・朝鮮含む)、中国、満州、モンゴルの、いわば東アジアの国々を指したのが、日本が第二次世界大戦に参加する頃には、東南アジア及びインドも含まれるようになります。

「大東亜」には地域だけでなく、国家ビジョンや外交戦略、政治的理念やスローガンなど、いろんな「精神」が詰め込まれています。

日本は、この大東亜共栄圏の構築のために戦争を始めたと言えますし、大東亜共栄圏構想を進めていく過程で米英とぶつかってしまった、とも言えます。

大東亜共栄圏という「理想」の背景には、資源がない、エネルギーがない、食糧がない、といった日本の「現実」がありました。

そのうえ、中国との戦争が原因で欧米諸国との関係が悪化し、経済制裁で資源エネルギーの確保はますます厳しくなりました。

このような状況を打開するための対策として、アジア全体を巻き込み自給自足の経済・国防体制を築く「大東亜共栄圏の樹立」構想につながったのでした。

米英と抜き差しならない関係となり、ついに日本は対米英戦争の決意を固めるわけですが、このとき日本はこのような大義名分を掲げます。

「アジアにはびこる欧米勢力を一掃し、その隷属的支配からインドネシアやインドシナ、フィリピン、インド、ビルマの諸民族を解放するための聖戦」

もちろんこれは「名分」であって本音は日本自身が生き残りをかけるための、日本が日本のためにはじめた戦争でした。それでも戦争の性格上、東南アジア及びインド・ビルマが戦場になるのは避けられないため、各国民族の理解と協力を得るための外交戦略として、このようなプロパガンダに似たアナウンスをする必要がありました。

大東亜戦争という名称の背景に横たわる歴史的事実を考えたとき、果たして、この名前が欧米(米英)の心証を甚だしく害するということは、先述した「日本の大義名分」からおよそ察しがつくのではないでしょうか?

当時の東南アジア・ビルマ・インドにおいて、欧米の侵略を受けなかった国・地域はタイを除きほぼありません。当時のインドネシアはオランダ領、インドシナ(ラオスやカンボジア、ベトナムなど)はフランス領、インド・ビルマはイギリス領、フィリピンはアメリカの保護国のようなもので、実質植民地のような状態。言うまでもなく力の支配で、彼らは進んで支配されていたわけじゃありません。日本軍の占領によって欧米勢力が弱体化した結果、各地で当たり前のように独立戦争が起こりました。

確かに大東亜戦争に込められた理念や意義と、日本が実際にとった行動には乖離する部分も多く、理想とはほど遠いものでした。が、欧米にとっても非常に都合の悪い真実が隠れている一面も見逃せません。だからアメリカはこの名称を禁止したと見るのは、別段うがった見方でも何でもないと思います。

「大東亜戦争」の是非はともかくとして、当時使用された名称を一方的に断罪・禁止にして使えなくする行為は、ありのままの歴史に色眼鏡をかける行為に等しく、日本はなぜ戦争をすることになったのか、当時世界で何が起きていたのか、考える機会さえ奪っているようで、残念です。

「太平洋戦争」を直視することの重み

戦争に敗れた相手であるアメリカに「太平洋戦争」の使用を命じられるまま使っていることを考えると、日本人としては複雑にもなり、抵抗したくなる気持ちもあります。

かといって、私個人としては「太平洋戦争」が間違っているとも思いません。

太平洋戦争を戦ったのは事実だし、アメリカとの戦争を決断し、結果的に敗れてしまったのも事実。

押しつけられたからといって「太平洋戦争」の現実を直視しないのは、それはそれで歴史の教訓から遠ざかってしまうように感じます。

不幸な歴史だからこそ、現代に生かせる何かしらの教訓をくみ取る努力をしたほうが得策だと思うのです。

「ミッドウェー海戦」「ソロモン沖海戦」「ガダルカナル島攻防戦」「ブーゲンビル島沖海戦」「マリアナ沖海戦」「沖縄特攻作戦」など、日本を敗戦へと向かわせる大きな戦いはいずれも太平洋上で起きています。

アメリカと激突した太平洋戦争を一手に引き受けた日本海軍の戦いぶりや敗戦にいたるプロセスをつぶさに追ったとき、「前例主義」「慣例主義」「結論ありきの作戦計画」「空気に逆らえない集団心理」「変化に対応できない硬直思考」など、海軍の問題というより日本の組織・日本人という国民が抱える本質的な問題が深く根を下ろしていることが分かります。

「大東亜戦争」はどちらかというと日本人の民族精神をくすぐり、痛快なところがあっていわゆる「右翼・保守派」と呼ばれる人たちの間では好んで用いられる名前ですが、その一方で「太平洋戦争」もまた、日本が負けるような戦いをした原因や背景を探るうえで欠かせないキーワードで、目をそむけてはならないと思います。



「大東亜戦争」と「太平洋戦争」を巡っては、どちらの名称を使用すべきかという、歴史学や思想の問題に矮小化されがちです。思想や民族的感情を乗り越え、歴史の教訓としてどちらも活かす道を選んだほうが賢明だと考えます。そのほうが日本人らしくもあります。

日本が第二次世界大戦に突入した背景は蔓が絡み合うように複雑で、まだ書くべきことも書き足りないことも残ったままですが、別の機会に違う切り口や異なる角度からこの問題について書かせてもらえればと思います。





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