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エッセイ「ワンクリックの向こうに」

深夜1時を過ぎて、就寝のために床に入ってもなかなか寝付くことが出来ない。お風呂もゆっくりと使ってカフェインも控えた。明日は予定があるのだがなぜだかそわそわと落ち着かず、結局ネットサーフィンをはじめてしまった。と、いうより過集中とでもいうのか音楽を聴くことが辞めるのが出来ないのである。様々な楽曲が今では小学生の国語の時間で習った、「一本の鉛筆の向こうに」ではなく「ワンクリックの先の向こうに」な状態でこれを書いている。
ボディマハッタヤさんをはじめとした様々な人々の仕事のおかげで私たちの勉強ができますよという内容をその教材では教えたかったのであろうが、この令和の時代に鉛筆、ましてやボールペンも使うことが少なくなったのは私だけでは無いはずだ。
 ワンクリックの先の向こうにあなたがいるわけで・・・。それはすごく嬉しい事です。同じく滅多に聞くことがなくなったが、メッセージや手紙をボトルに入れて、海になげて遠い国から手紙が来たのはあれは何かの映画だったか。
 
物騒な世の中だ。家にいても強盗は堂々と襲ってくるし、それこそワンクリックで巨額のお金が入ることも出ていく事もある。しかし私たちの言葉はどうだろう。
 
母はスーパーで鮮魚コーナーの仕事を任されていた時の包丁をいまだに台所で使用している。とても切れ味がよく。魚だけでなく柔らかなトマトや野菜をもいともたやすく切ってしまう。

話を本筋に戻そう。最近、誹謗中傷のニュースを目にする。心無い言葉、心無い文字の羅列は本当に耐え難いし、言葉や文字や音楽に命を救われた者としては心が苦しくなる。だけどね、誹謗中傷されたとしてもそれだけに捕らわれずぼんやり空を見上げて誰にも理解されない苦しみを思い切り抱きしてめてあげたらいい。
 
もちろん、誹謗中傷は良くないけれど、、、私自身も何度か同じような境遇や苦しい思いをしたことがある。だからというわけではないがそういう時こそ自分を誇ることが、誹謗中傷してくる相手をニッコリ笑顔で交わせるそんな人になるにはまだまだ私自身も過去の古傷や生き抜いてきたい。

そしていつか笑が韻を踏むような母の切れ味抜群の包丁のように、この世界に生まれてきたことを誇りながらワンクリックの先から世界へ繋がっていきたい。




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