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人生時々の断捨離と自発的断捨離

断捨離とは

 ・断:新たに手に入りそうな不要なものを断る
 ・捨:家にずっとある不要なものを捨てる
 ・離:物への執着から離れる

 「断捨離」とは、不要な物を「断ち」「捨て」、物への執着から「離れる」ことにより、もったいないという考え方から開放し、身軽で快適な人生や生活を手に入れようということのようだ。
 日常でも、部屋の整理整頓含め、あるタイミングで実施している人も多いでしょうし、自分もこれまでも入学、転勤、年齢の節目等々で断捨離をしていた記憶がある。
 この断捨離、ものとかだけではなく、人生においての自分の立場や交友関係にも当てはまると考えている。ここ数年、周りにいる方々含め観察していると、この人生の断捨離においては、”強制的断捨離”と”自発的断捨離”の2つあるのではないか思うことがある。

強制的断捨離

 50歳手前になってきたこともあるだろう。定年というサラリーマンという世界においての節目を迎えることが身近になってきたからかもしれない。そこで節目を迎えた方々の中には、いやおうなしにくる”強制的断捨離”によって、これから何を自分はしていくべきか、自分が若い頃はといった回顧にふける人等を見てきた。
 定年という節目は、サラリーマンにおいては避けられないイベントであり、強制ゲーム終了、誰しも迎える。

 その強制的断捨離により、極端に言うと
 ・断:社会から断絶される
 ・捨:肩書を捨てさせられる
 ・離:ビジネス上の仲間から離れさせられる

となり、自身の意思に関係なく、そうなってしまう可能性がある。
これまで、サラリーマン社会において、「魂」を捨て、「体」を酷使し、人によっては「人」を売りながら、出世だけに邁進していた場合、自分が思うほどの出世が得られず強制終了の憂き目にあうと、一気に老け込む傾向がある。
 自分の人生、本当にそれでいいのかと素直に自分に問いただしていることがここ数年多かった記憶がある。

自発的断捨離

 自身の経験上ではあるが、そんな周りを見て、自身に問いただし実施した断捨離は、自発的断捨離。転職や複業も、この自発的断捨離の過程で出た行動なのかなとも思う。

自発的断捨離を自身の解釈では、
 ・断:慣れからくる自身の安住を断つ
 ・捨:会社や組織に付与された肩書や地位を捨てる
 ・離:自分のこれまでやってきた場所から離れる

確かに、自発的断捨離は勇気がいる。それなりに居心地の良い地位や場所含め整理整頓することで、必ずしも一層良い状態になるという保証はないから。その気持ちわかります。自分も転職という選択に至るまで5年近い歳月を要してしまいましたし。

自発的断捨離から得たこと

 自分自身に照らし合わせると、1つだけ確実に言えることがある。強制的断捨離を回避できたこと。望むと望まないに関わらず、必ずと言っていいほどやってくる強制ゲーム終了を”自らの意思”で回避し、これからは、自分自身でゲーム終了をするかどうかの選択肢を持ったことだと思う。

 転職をすることで、
 ・断:慣れからの安住を断ち、「再び挑戦する意欲」持つ
 ・捨:肩書や地位を捨て、「自身の価値」を高める
 ・離:これまでの場所を離れ、「新たな出会いと発見」をする

長年自信を縛り付けていたものからの解放、自由な感覚も得たことが大きい。自由は、裏返しとして自身の責務が大きくなるが、自身の人生を自分の責任で全うする、切り開くということは何らおかしなことではないし、これが本来あるべきことではないかと今更ながら思う。
 自発的断捨離により、交友関係もよくわかった。これまでの会社や組織の肩書に関係なく、交友してくれる人とそうでない人。そうでない人を責めることはするつもりはないが、自分にとって本当に”個人”という存在を認めてくれる人がわかることも大切で、そういった方々を大切にしていきたいと心の底から思うようになる。

 長い年月を経ていくと、いろんなものがたまり、整理整頓できなくなり、本当に大切なものを見つけられなくなるもの。強制的に外から断捨離を迫られ、路頭に迷うようなことを避け、自発的断捨離により、本当に大切なことを得る方が良いかなと思う。

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