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小説 最後のお弁当

今日で弁当作りも最後か……

 私は台所に立ち、夜明け前の薄暗い空を窓から眺めた。予約設定していた炊飯器には炊きたてのご飯が出来上がっている。私は早速卵を割り、素早くかき混ぜる。夫は明太子が入った玉子焼きが好きなので、今日はそれを入れよう。

 こんな風にお弁当のおかずレシピを頭の中で、組み立てられるようになったのはいつの頃からだろうか。新婚当初は作れるおかずも少なくて、冷凍食品も気軽には買えなかった時代だったから、どうしても「色味が足りない」などと夫に言われることもあった。それでもめげずにいろんな種類のおかずレシピを習得し、そのおかげで夫や子供たちも弁当に対して文句を言うことはなくなった。

 一男一女をもうけたが、どちらも成人して家を出ていったので、もう弁当を作る必要はない。長男に至っては結婚して、もうじき彼とその妻の子供が生まれるくらいだ。つまり、私はもうすぐおばあちゃんになるのだ。彼らは頻繫に家を行き来する訳ではないが、ビデオ通話を通して、お嫁さんのお腹が日々大きくなっていくのを私たちに伝えてくれる。

「おふくろ、もうすぐ嫁が実家に帰省するから、お腹を見るのも最後だな」

 彼女は里帰り出産を考えているようだ。彼女の郷里は北海道だから、長男が住む東京近郊とはずいぶん離れている。

「一緒に北海道に行くの?」

 お節介だとは思いながらも、ついついそんな質問をしてしまう。そんな不躾な質問にも長男は

「彼女が帰る時と、予定日近くに有給休暇を使って北海道に行こうと思っているよ」

 と答えてくれる。頼もしい男になったなあと思う反面、自分の手からどんどん離れていくようで、少しだけセンチメンタルになる。

 おっと、感傷に浸っている暇はない。次はポテトサラダを作る。我が家のポテトサラダはジャガイモを崩さず、角切りのまま胡瓜や魚肉ソーセージ、パプリカを入れる。ジャガイモの皮をむき、角切りにしてから耐熱容器に入れて、ラップでくるんでレンチンする。胡瓜と魚肉ソーセージは輪切りに、パプリカはみじん切りにする。それらをマヨネーズとちょっとのマスタードで和える。そうすると、マスタードが効いて、刺激のあるポテサラになる。

 このポテトサラダが我が家の定番になったのには、長女の好き嫌いがかかわっている。長女は一般的に作られるポテトを崩したポテサラが食べられなかった。どうやら、マッシュポテトが嫌いなようで、子供のころに何度も克服させようとしたが、軒並み失敗に終わった。今は名古屋で働いている長女にその話をしたら、懐かしいといって話が膨らんだ。ちなみに、最近居酒屋で食べた一般的なポテサラが美味しくて、ポテサラ嫌いを克服できたという。居酒屋に負けたのか……。複雑な思いになった。

 あ、今度は思い出に浸ってしまった。玉子焼きを焼こう。玉子焼き機を火にかけ、油をひく。卵と明太子が混ざった卵液を玉子焼き機に半分程度流し込み、少し固まったら、それをフライ返しで巻いて、奥に移動させ、残りの卵液を入れる。それは完全に固まってから、同じくフライ返しで巻いていく。これで、玉子焼きの完成だ。あとは食べやすい大きさに切るだけ。


 最後は焼き肉炒めを作る。牛肉の薄切りと玉ねぎを炒めて、いつもは健康のことを考えて薄味にしているけど、今日は焼き肉のたれで、濃い目に味付けしよう。牛肉のパックを冷蔵庫から取り出す。先に玉ねぎを適度な大きさに切る。それから牛肉をこれまた適度な大きさに切る。あとはフライパンにお肉と玉ねぎを入れて、炒めていく。あとは焼き肉のたれを絡めたら、できあがりだ。火を止めた時、思い出したことがある。

 私は出産前後を除いて、夫にお弁当を作らなかった期間がある。あれは、子供たちが幼稚園の頃だったから、20年くらい前になる。1か月ほど、お弁当作りを止めた。この時期の夫は毎日、忙しそうにしていて、朝は家族の誰よりも早く家を出ていき、夜は誰よりも遅く帰ってきた。午前様になることも稀ではなかった。夫に、
「たまには早く帰ってこれないの? 子供たちが寂しがってるんだけど」
 と尋ねても、
「うーん、今仕事が重要な場面を迎えているんだ。もうちょっとの辛抱だからな」
 と返されるばかりで、3か月を迎えた。ママ友に相談すると、
「もしかして、浮気してるんじゃないの?」
 などと冗談めかして言われてしまった。不安になり、悶々とした気持ちで夫を迎えていた。夫をどこまで信用すればいいのか、分からなくなった。

 そして、私は夫が寝ている間に、携帯電話を覗き見た。当時はまだスマホなど普及していなかったから、簡単にメールの内容を盗み見ることができた。ショートメールには「亜希子」という女から何通もメールが来ていた。それに対して、夫からもメールを送っていたようである。内容を見るのは恐ろしくて、勇気が要ったが、背徳感よりも好奇心、あるいは正義感ともいえる気持ちが勝った。

 「亜希子」は会社の後輩のようであった。言いよってきたのは亜希子の方で、夫は断ってきたが1回食事に行ったところから、様子が変わってきたようである。1年近くにわたって、仕事終わりなどにデートを重ねていたことをメールによって知ることができた。ただそれ以上の関係があったのかは、メールからは推察できなかった。メールの文面をデジタルカメラに収めて証拠を残すと、携帯を元の場所に戻して、ベッドに横になった。当然のように、眠りに就くことができなかった。

 夫は翌日もやはり、遅く帰ってきた。話によると、食事も済ませたらしい。
「ねえ、話があるんだけど」
 私の問いかけに
「何だよ、何か用事か?」
 と夫は思い当たる節がないという風に返した。すると、私は夫の目の前に、プリントアウトされた携帯の画面を無言で突き付けた。
「これは……」
 夫の目が泳ぐのが見えた。彼は動揺している。
「これはって、こっちが聞きたいわよ。どういうことなの? 説明してください」
 
 夫は洗いざらい白状した。彼の言ったことはほぼ私の推測通りだった。新しい事実が出てくるかと思ったけど、そうでもなかったので、彼の話を聞いていてむしろつまらなく感じるくらいだった。ただ、
「食事以上の関係はなかったの?」
 と私が聞いても、
「食事以上の関係はなかった」
 と繰り返すばかりだった。最初は口から出まかせだろうと思い、
「本当にそうなの? 嘘ついたらただじゃすまないからね」
 と脅しをかけたのだが、彼は一貫して、
「本当に食事以上の関係はなかったんだ」
 と言った。さらに、
「何なら、今日別れ話を切り出されたくらいだ」
 と新事実を話してくれた。どうやら、亜希子の方が二股をかけていたようで、もう一人の相手と結婚をするのだという。彼は怒ることもなく淡々と受け止めたようだった。どこかほっとした調子で語る夫の様子を見ると、きっと彼も最初は下心があったけど、どこかで罪の意識を感じていたのだろうと思ってしまう。

 でも、ここで許すと夫になめられてしまうと思い、断固とした姿勢だけは崩すまいとした。私は夫に1か月の弁当作りを命じた。夫は料理ができない人だったが、冷凍食品を駆使して何とか1か月の弁当作りを文句ひとつ言わずにやりぬいた。それができれば、ブランド物のバッグも高級な料理もゴージャスな旅行もいらない。私は、その次の日から再び台所に立ち、弁当を作ることにした。

 あれから20年以上経ち、今もこうやって弁当を作っている。そして、弁当作りは最後の過程に入った。明太子入りの玉子焼きを弁当に入る大きさに切り、ご飯を弁当箱に詰める。かつては2段組を使っていたが、年齢を重ねていくにつれて食事量が減り、ある時から一段になった。プラスティックの弁当箱も年季が入っていて、使われなくなったら食器棚の隅に追いやられるのだろうと思うと少し悲しくなる。おっと、また感傷に浸ってしまった。ご飯の横に仕切りを置き、アルミカップにポテトサラダと焼き肉炒めを入れて、弁当箱に詰める。さらに玉子焼きを弁当箱に並べて、少し余ったスペースに昨日買ったブドウを2粒入れる。これで弁当の完成だ。

 これでお弁当作りからも卒業か……。30年以上弁当を作ってきた自分を褒めたいと思った。

「おはよう」

 足音と共に夫が台所にやってきて、挨拶した。いつもなら、ここで洗面所に行って顔を洗うところだが、今日はふと立ち止まって言った。

「今まで、ありがとう。ご苦労様でした」

「こちらこそ、お仕事今日までお疲れ様でした」

 私はそう返すと、食パンをトースターにセットし、コーヒーメーカーに水とコーヒー粉をセットして、スイッチを押した。空には夜明け過ぎの眩しい太陽が昇っていた。



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