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さよなら東京、こんにちは福岡。 その1
東京に初めて行ったのは小学校4年生3月、ドッジボールの全国大会だった。大分のド田舎で育った僕にとって東京という街は、この世界のどこでもないような気さえした。
中学生になり引退するまで5回、全国大会で4回、アジア大会で1回、東京に行った。
そこから約6年間東京とは縁がなかった。
中学生からは陸上競技にのめり込み、次に東京に行ったのは、全九州高校駅伝が終わって直ぐ11月、大学の推薦入試のときだった。
なんとなく雰囲気程度に覚えていたはずだったのに、高校3年生になって行く東京は、小学生の頃とは違った雰囲気がした。
世界のどこでもない気がしたあの頃ではなく、たしかに『ここが東京なんだ!』という感覚だった。おしゃれな洋服、たくさん置かれたCD、スクランブル交差点、高いビル。山が遠い。テレビで見る世界が本当にあるんだと。
急行や快速に乗るのに特急券いらないの?って思ったし、先に来た電車に乗らないで次の電車に乗る方が早いなんて衝撃的だった。
コンビニで肉まんを買っても酢しょうゆとからしが付いてこないし、渋谷から大学のキャンパスに行くのに宮益坂でなくて道玄坂を登って行ってたし、今じゃ考えられない。
あれから15年。(綾小路きみまろさん風に)
気が付けば人生のほぼ半分を東京で過ごした。
大学を卒業して文化服装学院に入り、某広告代理店の撮影部に入社してフリーランスになり7年が経った。
時間の流れは日に日に加速していて、東京都という街に押しつぶされるんじゃないかという日もあった。
恵比寿から日比谷線に乗り、アナウンスで「次は広尾、広尾」が「次は疲労、疲労」と聞こえて心身ともに疲れ果てていた時期もあった。
それでも友達や様々な人に助けられここまでやってこれたと思う。
一旦ここでスタイリストという人生に幕を下ろそうと思っている。
アシスタント時代も含めて約10年、名残惜しいこともたくさんあるけれど、僕が目指しているのは大学の頃から変わらない。
『ハイブリッドな生き方』
地元九州に戻り、福岡じゃないとできない仕事を。。。
正直、フリーランスから会社員になるのはドキドキだけど、、、実は肝っ玉は小さいのでめっちゃ緊張している。
だけど、俺なら出来る!という魔法の言葉を単純な人間の脳に刷り込ませながら最初の1ヶ月はやっていこうと思う。
ありがとう東京! また遊びに行きます。 6月に(笑)
こんにちは福岡! よろしくお願いします。 その2へつづく。
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