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【短編小説】嘘つきはアネモネを抱いて眠る


 きょう、ぼくはおかあさんと「花のおやしき」というところにいきました。
 花のおやしきは、ぼくのすむまちにある、お花ばたけにかこまれたおやしきのことです。
 おやしきにはむかし、えらいがくしゃさんがすんでいたけど、いまはだれもすんでいないそうです。
 おやしきにいってみると、ぼくのしらない花ばかりでした。

「おかあさん、ここに咲いているお花はなんていうの?」
「このお花はね、アネモネっていうのよ」


『嘘つきはアネモネを抱いて眠る』


 あるところに、一人の嘘つきがいました。ただの嘘つきではありません。彼は世界一の嘘つきでした。
 なぜ、その嘘つきが世界一なのかというと、彼は「本当のことを言うと死んでしまう」からです。

 嘘をつくと周りの人から嫌われます。だからせめて、噓つきは嘘をつく理由を周りの人に説明できたらいいのですが、「本当のことを言うと死んでしまう」ことを誰かに言うと、「本当のことを言うと死んでしまう」こと自体が本当のことなので、その時点で嘘つきは死んでしまいます。

 だから噓つきは、自身の運命を悲しむことはなく、むしろ自分の生きがいだと言わんばかりに嘘をつきます。周りの人も最初は嘘つきの言葉を信じてしまいますが、もちろん、その嘘にいつか気づき、誰も彼のことを信じなくなります。その町で誰も彼を信じなくなった時、彼は次の町に向かい、また嘘をつくのです。

   ◇

 あの日、ある町で、嘘つきは「本屋」になって嘘をつきました。

「この本を読めば世界のことをすべて知ることができ世界一の知者になることができる」

 噓つきの言葉を信じた町の人々は次々とその本を買っていきました。本の中身はどこかの国の神話をめちゃくちゃにツギハギしたものでした。

 噓つきの本屋の商品が残り一つになった時、一人の若者が現れました。

「やあ、本屋さん。僕は本が大好きなんです。今日のおすすめを教えてください」
「やあやあ、良いところに来たね。おすすめはこれさ。しかもこれが最後の一冊なのさ」
「それはラッキーだ。本屋さん、その本はどんな内容ですか?」
「この本を読めば世界のことをすべて知ることができ、世界一の知者になることができる本だ」
「それはすごい、少し本を読ませてください」

 若者は本を受け取り読み始め、こう言いました。
「申し訳ないですが、僕はこの本を買いません」

 こんなにはやく嘘がバレたことがなかったので、嘘つきはとても驚きました。ですが、噓つきも噓つきなりに誇りがあるので、そうそう簡単には引き下がりません。

「なんだって? もったいない。世界一の知者になりたいと思わないのか?」
「なりたいです。この世界の美しい秩序をできる限り知りたいと思います。僕はまだまだ無知ですが、この本が偽物だということだけは分かります」
「なぜ分かるのか?」
「ある哲学者は言いました。人間には到達できない知があることを知った者こそ、世界一の知者なのだと」

 その時の若者の瞳は、真っ暗な悲しい夜を照らす月明かりのように美しいものでした。非合理で惨たらしいこの世界のなかで、勇気をもって、真実のみを信じる美しい瞳でした。
 しかし、嘘つきもただの嘘つきではありません。世界一の嘘つきは若者の瞳を見つめながらこう言いました。

「私はあなたのことが嫌いです」
 
 目の前に愛する人が現れたにもかかわらず、嫌いだと言ってしまいました。彼は世界一の嘘つきです。
 
   ◇

 本の嘘がバレてしまったので、嘘つきは近くの町で次は「パン屋」になって嘘をつきました。

「このパンはただのパンではない。私のパンは一度食べたら二度とパンを食べないですむ」
「それはおまえのパンが不味いってことだろう」

 嘘つきの話を聞いた人がそう言って笑います。しかし、噓つきは、
「私のパンはとても腹持ちの良い魔法のパンだ。空腹の苦しみから永遠に逃れられるぞ」

 この時代、この町がある国の王が起こした戦争のせいで、貧しい生活を送っていた人びとは、嘘つきのパンを続々と買っていきました。パンは残り一つになりました。

「僕にも一つください」

 嘘つきは無視しました。
 目の前に現れたのは、本の嘘を見抜いた若者だったからです。若者は無視されたにもかかわらず笑顔で話し続けます。

「遠くの国の賢者は言いました。人間は欲望からは決して逃れられない。このパンが本物だとしても、一度満たされた欲望を超えた新しい欲望にまた悩み、苦しむでしょう。だからこのパンを食べたところでまた苦しみますが、僕はパンが好きなので一つください」
「私はあなたが嫌いです」

   ◇

 嘘つきは別の町で、次は「画材屋」になって嘘をつきました。

「この絵筆を使うだけでみるみる絵が上達し、世界一美しい絵を描けるようになります」
「私も一つください」

 ——暇なのかこいつ。
 
 嘘つきは心の中で思いました。心の声が伝わったのか、若者は言いました。
「僕は遠く離れた町の大学に通っています。汽車に乗って通っています。その日の気まぐれに途中の駅で降りてみるのです。するといつもおもしろい商人が、つまりあなたが、偶然、そこにいらっしゃるのです」

 ——嘘つくな。
 
 嘘つきは世界一の嘘つきなので、若者の瞳を見てすぐにそれが嘘だと見抜きました。
「隣国の哲学者が言いました。美しさとはその時代や場所に左右される尺度である。だから世界一美しい絵は存在しな」
「私はあなたが嫌いです」

   ◇

 嘘つきは別の町で、「神官」になって嘘をつきました。

「これは神のご加護を受けたお守りです。このお守りを身につけれ、ば戦争に巻き込まれて命を落とすことはありま」
「偽物のお守りをください」
「私はあなたが嫌いです」
「王族や貴族に生まれた者は決して戦禍に巻き込まれることはありません。しかし、私たちは平民として生まれた。生まれた身分は変えられません。そのお守りを持っていたとしても戦争からは逃れられないでしょう」

 嘘つきは、自身の商売が邪魔されたにもかかわらず、若者を見つめ続けます。なぜ、この若者が自分に執着しているのか不思議だったからです。
 嘘つきと若者は一見正反対の人間です。
 一方は嘘を愛し、一方は真実を愛する。
 しかし嘘つきは、嘘をつくために、嘘をついているのではないのです。

 若者も嘘つきを見つめ返しました。そして微笑みます。
「僕が、あなたに会いに来るのは、僕があなたを愛しているからです」

   ◇

 嘘つきは昔、真実を信じていたにもかかわらず、たくさんの人に裏切られて、深い傷を負いました。愛する母にたった銀貨2枚で売られ、売られた先で奴隷のような扱いを受けました。しかし、嘘つきがいた町は戦争で焼かれ、噓つきを買いとった地主も、母も死に、彼は自由になりました。

 しかし、彼が生きていくにはこの世界はあまりにも醜く、偽りだらけでした。生きていくために、彼は自分に呪いをかけました。

「本当のことを言うと死ぬ」

 自分を嘘で守ることで、真実を信じてしまう心を、命を懸けて拒みました。彼はもう二度と信じたものから裏切られたくありませんでした。逆に言えば、嘘つきは真実を信じる純粋な心を持つからこそ、嘘をついているのです。
 若者はそんな嘘つきを愛しました。

   ◇

「僕は当分、外に出る用事がありません。なので、ぜひ、僕の屋敷まで素敵な商品を売りに来てください」
 若者も一つだけ嘘をついていました。
 若者は確かに大学にかよって哲学を学んでいたのですが、病気になってしまい、医者にかかっていました。その帰り道に嘘つきに会いに行っていたのです。
 しかし、若者の病気は治らないことがわかりました。最近では歩くことすら精一杯です。
 嘘つきも若者がみるみる痩せていくのに気づいていました。
 しかし、嘘つきは、

「元気そうでなによりだ、君の屋敷には絶対に行かないようにしよう」

 と言うことしかできません。
 ですが、若者は笑ってこう言います。
「それは残念です。僕の屋敷の庭園の花は、とても美しいのに」
「そんなものはつまらない。なぜなら私は決して枯れない花を持っているからね」
 嘘つきは嘘をつき続けます。いつもなら若者はその嘘を見抜きそうなものなのですが、

「枯れない花……、とても素敵です。ぜひ、僕のために見せてください。ずっと……、ずっと、待っています」

   ◇

 嘘つきは「花屋」になって荷車いっぱいの白いアネモネを若者の屋敷まで持っていきました。
 白いアネモネの花言葉は「真実」、若者にぴったりだと噓つきは思ったのです。
 嘘つきは屋敷の周りを歩いていると、窓から声が聞こえました。

「こんにちは、来てくれたんですね」
「偶然通りかかっただけだ。元気そうだな」
「ええ元気です。お茶のひとつでも飲んでほしかったのですが、すみません。さっそくですが、永遠の花を見せてくれますか」

 ベッドから立ち上がらない若者のために、噓つきは窓からアネモネを一輪、その胸元に置きました。

「……本当に美しいです」
「もちろんだ、これは永遠に枯れない花だからな」
「ええ。これは永遠に枯れない花です」

 若者は嘘つきの嘘を見破れなかったわけでも、心まで病んでしまったわけでもありません。

「この花は、僕が死んだ後も、僕の魂の中で生き続けます。世界一の美しさを保ったまま。だからこれは、永遠に枯れない花なんです」

 若者は花を抱いたまま、永遠の眠りにつきました。

 嘘つきは屋敷の庭に若者を埋め、墓をつくりました。
 墓が完成した後、彼は泣きました。若者が死んでしまったことが悲しかったからではありません。若者に「愛している」と言えなかったことを悔やんだからです。
 嘘つきは若者を愛していました。それは彼にとって真実の愛でした。ですが、その愛すらも信じることはできませんでした。彼はあまりにも臆病でした。
 彼は若者の庭園に、アネモネをたくさん植えました。すべてのアネモネを植え終えた頃、彼は墓の前に座り込み、ハサミを喉に突き立てました。
 この世界は彼が生きていくにはあまりにも醜く、偽りだらけでした。だから、彼は死後の世界なら、若者に愛を伝えられると思いました。
 臆病な嘘つきは、今まで使ってこなかった分の勇気を使い、喉にハサミを一突きし、血で赤く染まったアネモネを抱きながら、若者の墓に寄り添い、永遠の眠りにつきました。

   ◇

「ねえ、おかあさん、アネモネの花ことばってなに?」
「あなたを愛しています」

 今日も花のお屋敷には赤いアネモネが美しく咲いています。


(終わり)


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