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お寺のシェアリングエコノミー

拡大するシェアリングエコノミー

法人のAmazonではなく、本家本元、南米のアマゾンが話題です。アマゾンの森林は例年も火災が発生するのですが、今年は前年比80%増しの異常事態だとか。「地球環境に壊滅的な影響を及ぼす可能性」という記事もあり、温暖化の悪循環もいよいよここまで来たかと、背筋が凍りました。調べれば事態は複雑で、多分に人災の側面もあるようで、日本にいる私も決して無関係ではありません。

政治経済の世界には自国第一主義も広がっていますが、市民の意識を鎖国することはできません。世界は相互につながっていること、地球の資源は有限であること、今のままの暮らしは持続可能でないことを、多くの人が意識して、価値観や生き方を変えつつあります。

カーシェアの車をずいぶんたくさん見かけるようになりました。都市部を中心に、車はもはや買うものではなく、借りるものになりつつあります。他にも、AirBnBや、Uberなどの企業を筆頭に、宿泊、自動車、ファッションなど、あらゆる分野でシェアリングサービスが急速に広まっています。その波は企業主体のサービスにとどまらず、メルカリなど個人間で交換や共有を行うプラットフォームも次々と生まれています。数年前まで10%にも満たなかったシェアリングエコノミーは、現在急速に成長しており、ある予測によれば2025年頃にはシェアリングエコノミー市場が世界経済全体の半分を占めるようになると言われています。

シェアリングエコノミーは、今に始まったことではありません。ビデオやレンタカーなどレンタル産業の業態は以前からありますし、「三丁目の夕日」時代までさかのぼれば、昔懐かしい(というか私も知らない世代ですが)「ご近所同士の醤油の貸し借り」などもシェアリングエコノミーの一種と言えます。では、なぜ今、シェアリングエコノミーが注目されているのでしょうか。

シェアリングエコノミーが広まる理由

一つには、所有の価値観の変化です。

従来のシェアリング、つまり、醤油の貸し借りも、レンタルビデオも、基本的には「もし自分で買えるのなら、ほんとうは買いたいけれど、それほどのお金はないから、借りることで我慢しよう」という価値観の中で成立していました。その価値観において、お金持ちは、シェアリングしないわけです。欲しいものを自分で買って、好きな時に好きなだけ使い、楽しみます。また、人によっては、「オレはこんなに珍しい高級車を持ってる」「わたしは高価なバッグをこんなにたくさん持ってる」と、それができるだけの経済力があることを周囲に示すために、買うのです。それが「贅沢をする」という言葉の意味の一つでもありました。

しかし今、そのような所有の価値観が少しずつ変わってきています。経済力に関わらず、「自分で持ちたい」と思わない人が増えています。モノを買うことはお金もかかるし、維持するのも負担。それよりも、専門スタッフが維持メンテナンスする共有物を、必要なときに必要なだけ使うほうが、生活が便利で効率的になるし、環境にもいい。それに、そのような価値観を持つ人同士がつながって、コミュニティの結びつきも強くなる。簡単に買えるだけの経済力があっても、シェア利用を選択する人が増えています。法話でよく聞く「人はモノを所有すればするほど、モノに所有される」という仏教的なモノの見方が、だんだん浸透してきたと言えるかもしれません。

もう一つには、環境保護意識の高まりもあるでしょう。

先日、「飛行機に乗ることが恥ずかしいという意識を持つヨーロッパ人の間で、夜行列車が人気」という記事を読みました。

以前より、環境意識の高い人々から、超富裕層のプライベートジェットでの移動は地球資源の無駄遣いであると非難されてきましたが、それがさらに、飛行機に乗ること自体が地球環境に良くない恥ずかしい行為であるという意識にまで進んでいるようです。「より安く、より快適で、より便利な」ものを求める消費者行動から、「安さより、快適さより、便利さよりも、地球環境への負荷を考慮することを優先する」という消費者行動へと変わってきたわけです。

確かに、資源を利用するなら一人が独占するよりも大勢でシェアした方が環境に優しいし、シェアするものもより地球環境に低負荷なものを選んだ方がいいですが、それほどまでに世界を俯瞰して見る視野を持つ人が増えているということに、時代の変化を感じます。少し前、グローバル化が喧伝された時代には、世界を飛び回る人がカッコ良かったのかもしれませんが、今は世界を(無駄に)飛び回ることはカッコ悪いというか、カッコ良いとか悪いとかの問題ではなく、地球環境に悪いから避けるべき、と見なされる時代になりました。

シェアリングエコノミーはお寺のあり方にも影響する

このような所有の価値観の変化は、これからのお寺を考える上でも重要です。なぜなら、これまでのお寺は基本的に「自己所有はシェアに勝る」という従来の価値観に合わせてやってきたからです。

たとえば、お墓。高度経済成長期など、かつてはマイホームを持つのと同じ感覚で「自分は次男で東京に出てきたが、今や一国一城の主。自分の代を初代として、xx家の墓を建てよう」というふうに、イエの墓を持つことが一つのステータスとして捉えられた時代もあったでしょう。お寺側としても、イエとして檀家を継いでもらうことを前提としているため、家族墓が基本とされてきました。共同墓は、何らかの事情があって家族墓が持てない人や家族墓に入れない人のために用意された特別なお墓(≒無縁墓)として位置づけられることがほとんどでした。

しかし、新しい所有の価値観は、「持つことはコストも無駄も大きい。できるだけ自分で持たず、同じ価値観を持つ仲間と共同所有し、信頼できる専門家に管理や運営を任せ、必要なときに必要なだけ利用したい」というものです。現在の日本仏教界の急先鋒、築地本願寺は境内の一等地に「合同墓」を建ててこれからのお寺づくりの中核に据え、注目を集めています。家族墓を持ちたくても持てない人の代替案的な選択肢ではなく、現代の東京在住者の世帯事情に適した「ちょうどいい」選択肢として積極的に打ち出しています。

このように、共同墓の位置付けが大きく変わってきていることは、所有の価値観の変化を象徴しています。今、多くのお寺で永代供養墓が建てられていますが、従来型の価値観を引きずって共同墓=無縁墓の見方を抜けられないお寺は、たいていうまくいっていません。一方で築地本願寺のように、しっかり質を高め、共同墓=新しいお墓の所有形態としてポジティブな価値を提示することで、新たなご縁を生んでいるお寺もあります。

シェアリングエコノミーの取り入れ方〜お寺の「一階」編

では、シェアリングエコノミーをお寺に取り入れるには、どのような方法があるでしょうか。「日本のお寺は二階建て」論にそって、一階と二階それぞれ考えてみます。

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このnoteマガジンは、僧侶 松本紹圭が開くお寺のような場所。私たちはいかにしてよりよき祖先になれるか。ここ方丈庵をベースキャンプに、ひじ…

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