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我が故郷、リーズ大学に思いを馳せる Part.3 ークリスマスとアラブ諸国からの留学生の話ー

リーズ大学での留学生活での主な目標は「英語圏で必要とされる基礎的な語学力」の習得である。基礎的というのは、文法や単語といった日本で言うところの座学の側面にとどまらず、実践的な英会話や学術的な場面における演説も含めた、要するに総合的な英語力の基礎の形成を意味する。授業では教科書や配布物のみならず、映像教材を元に生徒同士でディスカッションを行ったり、現地で簡単なアンケートを伴う調査活動を行い結果を発表したりなど、実務的な要素をふんだんに伴う授業も織り交ぜられていた。

ただ5か月という短期留学の中で、実を言うと英語・英会話のスキルが劇的に向上したわけではなく、むしろ自らが英検1級に合格するほどの英語力(スコアチェイサーの呪いは中々ぬぐえないのだが…/笑)を培ったのは、大学卒業後に既卒として6年半近くもニート生活を送る中で、完全に独学で励んでいた頃の話になる。というのも、本当に英語力を向上させたい意思を持って語学留学に励んでいたのなら、恐らく学内のパブで友人たちと談笑するなりの時間は全く持てなかったと思うので、その意味では本当に「お試し留学」という非常に激甘なカリキュラムだったのだろう。

実を言うと、留学終了時には一種の燃え尽き症候群と、帰国時に再び孤独な日々を過ごすような現実に戻る意味での消極性で、英語学習はかなり停滞していたどころか、関心すら失ったまま卒業するほどに投げやりになっていたのだが、卒業後にまさか英語力を留学時よりも結果的に向上させてしまったのは、何とも皮肉なものではある(笑)この時の話はリーズでのエピソードとは別に触れていこうと思うので、そちらをご覧いただければありがたい。

要するに、語学留学を目的にしながらも、殊更英語に関しては決定的な工場の起爆剤にもなり得なかったのが、リーズ大学での短期留学生としての日々なのである(笑)ただ、個人的にはそれ以上に「日本で英語学習を行うだけでは絶対に学べなかったこと」を持ち帰ってきたことに最も価値を感じているので、今回は特に印象的だった出来事の1つについて話していきたい。

授業で遭遇する同級生は当然のことながら、我が母校出身の留学生が大半を占めるのだが、その中には日本の他大学からの留学生の姿もあるし、当時はアラブ諸国からの留学生の姿も割と多かった。母校からの留学生の大半は彼らと交流するのを憚るというより何故だか避ける傾向にあったのだが、個人的には外国にいるのに、外国人と交流しないことほど退屈なことはないという信条で、割と早い段階から彼らと積極的に交流するようになる。授業での親密な会話を重ねるうちに、プライベートでもばったり会ったりして遊んだりもするほどに親交を深めたのだが、特に今も忘れられないほどに印象的だったのが、クリスマスで彼らと過ごした夜のことだ。

たまたまクリスマスのお祭りを見に行きたくなり、会場となるリーズ市街の大広場に単身足を運んだのだが、偶然にも居合わせた彼らと合流し、そのまま一緒に暫く遊ぼうというノリになったのだが、彼らがムスリム、すなわちイスラム教徒であるにもかかわらず、異国の地で我々と何ら変わりなくクリスマスにはしゃいでいる姿に、それは勿論彼らにとっては何も違和感のない出来事だったのかもしれないが、イスラム諸国にまつわる「テロリズム」や「過激思想」を巡る報道等に暗に毒されていた自分にとっては、とても新鮮に感じられてしまったのだ。

二項対立もある意味では誰かの創作したファンタジーでもあり、時に見えない不満の中で爆発する際に、決定的な分断の火種になることも否定はできないが、いつの間にかキリストVSイスラームという二項対立というバイアスに囚われていたであろう自分が、アラブ諸国からの若き兄ちゃんたちがクリスマスのお祭りで子供のようにはしゃぐ姿を見て、そうしたことに囚われる自身の愚鈍を再確認させられたのだ。

ただ、この話で印象的だったのは何も真面目な側面に限らない(笑)既に異国の地で元気に暮らしていることを想定しつつ、このブログを見てくれたらうれしいので、敢えて当時のあだ名で触れることにするが、アブちゃんという割と恰幅のいい2個下の子がいて、その兄ちゃんが修学旅行でテンション上がっちゃう中学生みたいに、まるでジャイアンやブタゴリラばりのヤンチャぶりで、他のアラブ圏のお友達に乱暴に絡んでいた姿が今も忘れられない…乱暴ではないが、要するにウザ絡みというか…(笑)普段もそれなりによく笑うし人懐っこいアブちゃんではあったが、あんなにウキウキしながら小学生のように友達にちょっかいを出す彼の姿は初めて見たので、未だに自分の頭からその時の光景が離れないでいる(笑)

この時は参加者全員で写真を撮りまくったのもいい思い出だし、幸いなことにその写真はFacebookに残っているので、今も心の中のみならず実画像からも記憶を辿ることがいつでもできるのが本当に有難い。

ちなみに、その時の写真については流石にプライバシーもあるので、今回は掲載を割愛させて頂きたいが、有料かなり限定公開なりでいずれ掲載する形で幾つか紹介していきたいと思っている。

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