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2902

26歳で台湾に来て、今はもう34歳。
台湾に来た日から、台湾を一度離れるから日まで2902日らしい。

同クラブの育成年代の全カテゴリーで監督を経験した。

クラブが新しいカテゴリーに挑戦する時は、僕自身も新しいカテゴリーに挑戦する時であり、クラブと一緒に成長してきた。

DESAFIOを通じて、出逢った選手、コーチ、保護者、交流したチーム、選手、全ての人のおかげでこの8年間は特別なものなった。敗戦で悔しい思いをしたこと、大会で優勝したこと、育成年代の代表に選ばれる選手の成長をサポートできたこと、日本や海外へ挑戦にいく選手たちから刺激をもらったり、本当に多くの貴重な経験と成長するキッカケをもらった。
日本での指導・選手の特別な実績があったわけではなく、現地のコーチたちと一緒に成長してきた。現地で言葉を覚え、AFCのライセンスを受講し(C級までは日本で取得)練習試合で交流し、リーグ戦やカップ戦で真剣勝負をしてきた。
台湾を一度離れるこのタイミングで、自分の中にあるものを簡単に言葉にしておきたい。誰かに自分の活動を話す時に、言葉よりも文になっておいた方が伝わりやすい。

U12(U11,12)2016_2018

台湾人、日本人選手が在籍。日本語を使うことが多く、中国語はアシスタントコーチに助けてもらいながら、指導ではできる部分だけ中国語を使う。スクール指導者からチームを指導、運営することを学び始めた時期。同じ指導者でも、普及をするコーチとチームを率いるコーチは求められるものが異なる。2つの立場を経験できていることは、とても良い経験。
U10の子どもたちが中心だったこともあり、最初の半年間は、練習試合でも全く勝てなかった。立ち上げ時にクラブに携わってくれた選手とコーチ、そして保護者の方の支えで少しずつ成長することができた。

U15(U13,U14)2019_2021

多くのことを学べた時期。この年代は、身体的に大人のような選手もいれば、小学生のような選手もいて、他者との"違い”を感じやすい。劣等感や優越感のようなもので感情を動かされやすい。
 中学生に進学するタイミングで、立ち上げから一緒に戦ってきた日本人選手の多くが帰国することになり、新しいスタートだった。現地で活動する選手たちがクラブに多く在籍するようになり、より現地との交流が深くなった。指導現場では、中国語でのアウトプットが中心になり、負荷が上がる。サッカーのインプットが増えて、サッカーというゲームの攻略法や構造、全体像を意識するようになっていた。現場とNOTEでアウトプットを増やして、インプットしたものを消化していた。インプットとアウトプットを常に回せていた状態で、この時期に失敗と改善を繰り返したことで大きく成長できた。自分が体験して、学んだものは簡単には忘れない。また、NOTEなどのツールを使用して、考えを文章にすることで思考の整理の癖をつけること、人に見られることに慣れようとする。

U18(U16,U17)2021_2022(監督)
2023(コーチ&監督)

Sports Pon

ジュニア、ジュニアユースの時から一緒に活動している選手が多く、初めての公式戦はとても感慨深かった。日本人選手は一人も在籍していない状況であり、現地の強豪チームと試合をする機会が増えていた。より深く、現地のチームと交流するようになる。クラブからU17代表に選出されるようなとても嬉しいこともあった。ジュニアユースの期間で中国語とサッカーのインプット、アウトプットのサイクルを回したことで、少し余裕を持てるようになっていた。いわゆる「サッカーの本」だけでのインプットは少なくなり、サッカーに直接関係ないような本を読むようになる。そして、それがサッカーにつながることに気づく。立ち上げの時から長い時間を過ごしている選手も多く、慣れがあるように思っていた。目線を変えてチームに関わる決断をする。

始まりはいつも、苦しい。

全国大会を優勝したり、代表選手が育ったりといったことが目立つが、当然、最初から、上記のような結果が出たわけではない。

2016年U12_立ち上げ当初は、ほとんど試合で勝てなかった。
2019年U15_初の公式戦(カップ戦)決勝で2−9の敗戦。
2021年U18_青年リーグ戦の初戦は0-7で敗戦。

8年間でたくさん試合をしているが、上記以外にも、何度も悔しい敗戦をしている。新しいカテゴリー初年度でチームを率いる上で通らなければいけないもの。勝った試合よりも、負けた試合の方が印象に残っている。苦しい時間は同じ90分とは思えないくらいに長く感じものだ。毎年のようにそんな苦しいゲームがあって、監督として無力を感じる時がある。

そこから、上記のような結果が出るまで(優勝という結果が出なくても、限られた環境の中で納得するものを)作れるように、1日、1日を積み上げてきたことは自分にとって大きな財産である。新しいカテゴリー初年度のみでしか経験できないことをさせてもらった。

新しいカテゴリーに挑戦する際には、常に自分たちよりも2学年大きい対戦相手と試合をする。選手たちとは、良い時も悪い時も、悔しい思いも共有してきたし、多くのGOOD GAMEを創り上げたきた選手とスタッフには特別な思いがある。そして保護者をはじめ、クラブを支えてくれた皆様には感謝してもしきれない。温かい声援、ビデオの録画や試合の撮影など、色々な形でチームを支えてくれた。親友であり、素晴らしい写真を撮ってくれたPON。ありがとう。

選手たちが感情を表現しているこれらの写真が特に印象に残っている。僕はサッカーを教えたいという気持ち以上に、サッカーを通じて、感情を表現したいと思っている。選手、コーチ、観ている人たちとの一体感を作り出すために、どのようなサッカーをするのかを大切にしてきた。

Spots Pon
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GAME MODELというチームづくり


GAME MODELの良し悪しや、呼び方は置いておいて。

2020年や2021年ぐらいから日本でもゲームモデル、プレーモデルや言語化といった言葉をよく聞くようになっていた。自分自身もサッカーを整理するための良い機会だと思い、作成を始めた。

※  ※ ※

サッカーはエンターテイメントだというものが大前提としてあって、試合を観ている人たちが面白いと思えるものにしたいという考えがある。そして、上記の写真のように、サッカーを通じて、選手やコーチ、観ている人が感情を表現するような瞬間をできるだけ多く作りだしたいと思っている。これが僕が監督をしている上で一番大事にしているものであり、それらをサッカーを通じて、表現したいと思っている。システムやフォーメーションのようなものは後からついてくるものであって、大前提の考えを表現するために、所属している選手たちではどのフォーメーションが良いか、どういったGAME PLANが良いかといった順序で考えている。

"攻撃的”に振る舞うこと

サッカーにおいて、ボールを持っている状態をわかりやすく"攻撃”と表現することを僕はあまり好きではない。

ボールを持っている=攻撃
ボールを持っていない=守備

"ボールを持っている状態”であり、"ボールを持っていない状態”である。
大事なことは"意思”である。

つまり、ボール保持か非保持かというのは、"状態”であって、一番大切なことは"意思”である。つまり、どのように"振る舞う”のかである。ボールを持っていない状態でも、攻撃的に振る舞うことができる。攻撃的というのは、"ゴールを奪う意思”であり、"ボールを奪う意思”である。

試合を観ている人たちが面白いと思えるように、ゴールに多く迫るために、テンポを早くするために、ボールを持っている状態であろうと、ボールを持っていない状態であろうと、攻撃的に振る舞うことを大きな原則としてチームを作っていた。これは僕が好きなサッカーであり、表現したいものである。

ボールを足で扱うサッカーでは、ミスが起こりやすく、ボールを持って相手を崩すことは簡単ではない。クラブという立場で考えると、選手の入れ替わりも多く、同じようなメンバーで練習を行う量を確保することが難しい。そのようなことも影響して、自分が想像していた以上に、時間が必要であり、何よりも大事なことは日々のトレーニングである。サッカーの全体像の理解、考え方が大事なことは当たり前だが、それらを実現させるための指導が何よりも大事で難しい。このことを理解できたことは、今後に活かせることができる。

自由度の調整

何も決まり事がないチーム。
全てやることが決まっているチーム。
全てのチームが、この間に存在する。違うのは、自由度の調整である。
(下記の記事にGAME MODELについてすごく簡単にまとめたものがあります)

相手が料理が上手い人であれば、抽象度高くしてお願いすれば良いし、相手が普段料理しない人であれば、1から10教えなければいけない。マネジメントのスタイルが大事なのではなくて、環境と相手を見極めることが大事なのではないだろうか。そしてそれに応じてマネジメント側が柔軟になること。絶対的なスタイルよりも、柔軟性が大事なのかもしれない。(口で言うことは楽ですが。。)

抽象化という考え方

サッカーのように見る人によって捉え方が異なるものは、自分で、もしくはチームや組織で目線を揃える必要があると思う。(特に言葉で伝える立場の人。選手は必ずしもそうじゃないと思うし、言語化できる選手=良い選手とは言い切れない。)

抽象化は"答え”がないものであり、"答え”を自分で作る(解釈)ことである。"答えを求める”のではなく、"答えを探す”思考の態度。抽象化していく考え方に慣れていなかったので、作成するのにそれなりの時間を使った。どう分類するか、どのように解釈するか。みたいなことをグルグルと考えていた。

サッカー以外のものを思考する時にも役に立つものであり、自分で0から作ったことで良い思考のトレーニングになったと思う。

中国語での指導

台湾に来たときは、全く中国語を話せなかった。0からのスタート。台湾に着いた当初から自分なりに積極的にコミュニケーションを図り、限られた時間で語学を勉強していた。指導者は言語でのアウトプットを行う必要があるので、"やらざるを得ない”状況であり、常にプレッシャーを感じていた。言語は簡単に成長したりはしないので、積極的にコミュニケーションをとるようにしていたし、できるだけ自分の言葉で話すように心掛けてきた。実績も経験もない僕は、そういった姿勢を見せなければ意味がないと思っていた。

2019年のジュニアユースから担当しているカテゴリーで台湾人選手が9割以上になっていたので、中国語のアウトプットの量がさらに増えていった。すでに日常会話はある程度できるようになっていたが、指導現場では多くの情報に対して、瞬時に反応することを求められるので、日本語から中国語へ頭の中で変換していると間に合わないし、反応が遅れる。現場は全くの別物である。

そもそもの中国語の語彙も少なく、余裕がない状況では、選手への言葉が直接的になる。指導中でも、できるだけ対話することを心がけたが、答えを提示するようなやり方をとらざるを得なかった場面が多くなってしまった。それはある程度わりきって、その時の自分ができる範囲内で全力で取り組んだ。育成年代の選手には、時間をかけて、成長を促すことも必要だが、そういったやりとりが当時の(今でも)自分の言語の能力では難しかった。だからこそ、とにかく、"やること"をシンプルにすることを心がけた。"やりたいサッカー”を理想と現実から考えて、明確に設定しておく必要があった。また、試合中は選手たちがわかりやすいリアクションを意識すること(非言語でのコミュニケーション)に特に注意した。(そもそも試合中は非言語のコミュニケーションが中心になる)相手(選手)がわかることが重要なので、立ち振る舞いを考えて選手やコーチと接してきたつもりである。そういった経験ができたことは非常に良かった。

さらに難しいのが、試合前やハーフタイム、試合後の”スピーチ”
監督である以上、みんなの前で話す必要がある。トレーニング中の言語は、短い単語や、ジャスチャー(非言語)でなんとかなるが(選手も察してくれる)スピーチは文章でストーリーを作って話さなければいけない。特に負けた後などの重要なスピーチで伝えたいことを伝えらないことはもどかしい。もっと選手に寄り添うことができるのに、うまく伝えることができるのに、それをある程度は諦めるしかできなかった。(少しずつ話せるようになっていったが、ネイティブになることはない)
母国語で話しができることに越したことはない。

だけど、悪いことだけではない。
言語による指導があまりできないと、選手たちはオーガナイスやルールなどからより主体的に学ぼうとする瞬間があったように思う。(僕のめちゃくちゃな中国語をなんとか理解しようとしてくれた。いや、聞いてないかもしれない。。。)
特に我々のクラブの選手には、外国人コーチに指導されることに慣れているので、意味やルールを察することがうまい。母国語で指導できる場合は、話などが長くなりがちだが、言葉の便利さばかりに頼っていると、選手の学習への自主性が薄くなっていくこともあるのかもしれない。トレーニングにおいて、選手たちが自発的に学ぼうとすることは非常に大事なことである。

異なる刺激をどうやって作るか?

一番長い選手だとU12から7年間一緒に練習をしてきた。選手と一緒にカテゴリーが上がっていくことのメリットもあるし、デメリットもある。長期間、同じ選手を持ち上がりで指導できることは稀なことである。中学生、高校生の指導者であれば、長くて3年。街クラブなどでも、同じ選手を持ち上がりで見続けるということは多くはないと思う。もちろん、ずっと成長を見れたことは本当に幸せなこと。だけど、お互いに「慣れ」てしまっていることを感じていた。選手も、アシスタントコーチも入れ替わり、対戦相手も変わっていくので、変化がないわけではないが、やはり異なる刺激が入ることはとても大事なことである。2020年からはコロナ禍ということもあり、日本との交流もできなくなり、さらに新しい刺激が入りづらくなっていたことも原因の一つである。

仕組みで解決

"慣れ”が出ないように、自分自身で変化していくことも大事だが、個人だけの取り組みではなく、仕組みで考えてみることが大事だと思う。

大会期間ではない時期に他のカテゴリーと担当を変えてみたり、アシスタントコーチを入れ替えてみる。監督をしたら、翌年はコーチの立場で関わる。持ち上がるタイミングで担当を変更させる。など目線を変えられるような仕組みづくりが大切だと気づくことができた。特に育成年代の選手にとっては、異なる刺激を受けることは非常に大切であり、コーチが変わることで得られるものも多い。監督などの責任を持つ立場の人が変われば、異なるサッカー哲学にも触れることができ、今までうまくいっていなかった選手が劇的に成長する可能性もある。

これはサッカークラブだけの話ではない。チームや組織は新陳代謝していくことが必要で、それが正常である。現状維持にならないようにどのようにして、異なる刺激を入れるか。

新しいチャレンジ。

神奈川県社会人サッカーリーグ1部に所属(J7相当)していて、Jリーグ参入を目指して活動しているクラブ。自前のグラウンドでホームゲームを運営できて、その試合にはスクール生が応援にくる。スクール生だけでなく、地域の人々が応援にくる。
地域(他者)を意識することにとても魅力を感じる。そんな環境で試合ができることで、選手やコーチたちは自分たちのエンブレムやユニフォームに誇りを持って働くことができる。サッカーで街や人をつなぐことができる。サッカークラブはそういう存在になれる。

次のキャリアを考えた時に、僕の台湾での経験を活かせる場所で働きたいと思っていた。クラブが持っている“CLUB WITHOUT BORDERS”に共感できて、台湾と日本を繋ぎ、相互に交流することで何かが生まれるようなことができれば嬉しい。

鎌倉インテルHPから抜粋。
"私たちは、日本と世界を隔てる国境をはじめ、性別、年齢、分野、そして限界、あらゆる“BORDER”(境界線)をもたないサッカークラブである。CLUB WITHOUT BORDERSがハブとなり、日本と世界が、サッカーと社会が、あるいは何かと何かが混ざり合い、まったく新しい価値が生まれていくことを信じている。”

物語の途中

ここでは、時系列で全てを書くことはできないけれど、大事な部分をできるだけ言葉にしてきた。日本でスクールコーチとして普及活動を行っていたころは、台湾で8年間も、これほど"深く”活動できるとは想像すらできなかった。綺麗な計画があったわけでもなく、チームを良くしようと、地道に選手たちと毎回の練習を情熱を持って100%で取り組んだ結果が、この8年間を特別なものにしてくれた。一緒にチャレンジしてくれた選手、スタッフ、支えてくれた保護者の皆様、関わってくれた全ての人のおかげです。

継続することは何よりも難しい。慣れが出てきたり、周りの期待値も上がってきたりする。継続するためには、変化が必要。当然、良い時も悪い時も経験する。それらの出来事は、流れの中で行ったことであり、その時々を抜き出して語ることはできない。サッカーも文脈であって、得点シーンや失点シーンだけを切り取って全てがわかるわけではない。前後のプレーの流れから繋がって結果として現れる。90分で見なければいけないし、それよりももっと長い目で見なければ本当のことは見えてこない。

選んだことの良し悪しよりも、選んだものを正解にしていくしかない。
それを覚悟というのかもしれない。

僕も、まだまだ物語の途中。

Sports Pon
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