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あー、努力できなくてよかった。

「先生、努力できるより努力できない方がいいことってありますか?」


日本で生きている以上、"勤勉さ"、言い換えれば"努力"があなたには求められる。
例えあなたが勉強が嫌いだったとしてもいい企業にいっていい人生を送るためには努力して勉強をしないといけないとされている。
(すごくよくできた仕組みだね。日本は素晴らしい国だ。)

僕は、努力というか勤勉さというかそういう才能が全然ない。
周りを見ると、よくそんなに頑張れるなあという人がいっぱい。

僕はたまたま、勉強に対する才能がちょっとあって、勉強もそこまで嫌いじゃなかったから東京大学に進学することができた。他の人から見れば、終点が「いい人生
」の電車に乗ったも同然かもしれない。(現実は全然そんなことない。)

ここからは書くことは、正直そういう僕の立場だから言えることかもしれない。だけど実際に僕が思ったことだから書くよ。このNoteはそういう場にしていきたいからね。

努力ができる人、勤勉な人ってなんでも頑張れちゃうという印象を僕は持っている。たとえそれが退屈な作業であっても。

でも僕は、自分が好きじゃないことだったり苦手なことは、本当に続いたことがない。

東京大学に入って、大きくわけて(大きく分けて)3種類の人間がいるように感じられる。
1. 才能もあるし勉強量もかなりこなしてきたやつ
2. 才能があって、勉強がちょっとだけ好きだったから入れちゃったやつ
3. めっちゃ努力してきたやつ

1と3に分類される人たちは大学に入ってからも社会に出てからも無双できるよ。そりゃ。
でも、2に当てはる人は大学に入ってからしんどい。
なぜかというと、大学生以降の人生ではやらなければいけないことが、ちょっと好きなこと(勉強)だけではないから。

努力ができる勤勉な人は、嫌いなことも頑張れちゃう。(ある程度。)

でも僕は、努力ができなかったからこそ
嫌いなことをすぐ諦められたし、
苦手なことをすぐに諦められた。

それで残った続けられていることを見れば、それは自分に向いていることだった。

今更すぎるけど、僕が思っている"努力"が何かをなんとなく確かめておきたい。「好きなこと」に対しては、「努力」じゃなくて、「気づいたらやってる」。

YouTubeとかゲームとか、気づいたらしてない?そういうことです。
要は、頑張ることを努力と僕は言いたい。

好きなことだったら、本質とは関係ない基礎体力作りやレベル上げ経験値稼ぎも気づいたらやってる。(もしかしたらこれは僕だけの感覚なのかもしれない。)

(受験時代の勉強も、やりたい時にやって、やりたくない時はやらないという感じだったなあ。それである程度は勉強時間が確保できていた(?)のだとしたらそれはそういうことだろう。)


「僕は、努力できなかったからこそ、自分に向いていることが紆余曲折の末に見つけられたんだ」


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