現代における「自由」とは
どうもShoSeiです。
自己肯定感という言葉の概念が分からなすぎます。
それについては今度詳しく書くとして、今回は「自由」についてです。
貴方は「自由=○○」というように、明確な回答を持っているでしょうか。
あくまで正解ではなく、自分なりの回答です。
人は最終的に自由を求めているのに、多くの人が自分なりの自由を定義していないから苦しんでいます。
なのでこの投稿では、僕の思う自由を投稿します。
参考になる部分があれば、勝手に参考にしてみて下さい。
少し人生が豊かになるかもしれません。
こんな感じで毎日「知っておいて損は無いこと」を発信していますのでよろしくお願いします。
いつも、スキやコメントやフォロー感謝です!
とりあえずこういう時はまず辞書の意味を見て、その言葉の定義を知るといいと思います。
その言葉は何を表すのかです。
【自由】
他からの束縛を受けず、自分の思うままに振る舞えること。
つまり人は、「常に何かから束縛されているから自由を求めるんだな」ということが分かります。
それは、人かもしれないし環境かもしれないし目に見えないものかもしれない。
ある程度の不自由があるからこそ、自由というのは成り立つ訳です。
すると、1つの疑問が浮かんできます。
今ってそんなに不自由か?
(日本の)現代では、様々な選択をする権利が僕や貴方には与えられています。
勿論生まれてからずっと権利があるかと言えば、そんなことはありません。
ただ、死ぬまで一生権利が無いなんてこともありません。
となると、とんでもない事になります。
僕や貴方は「自由」というものに束縛されているからです。
この言葉が作られた時代は恐らく、支配や強制や拘束などが当たり前だった為に身体的にも哲学的にも自由を求め続けたのだと思います。
ただ、莫大な量の自由を獲得した人間は自由に束縛されるという皮肉。
「なんでも選べる」から「なにも選べない」という状態になってしまっています。
これはさすがに言い過ぎではありますが、少なくとも「安定」というものを求めています。
誰かに支配されるのが嫌だったはずなのに、多くの人が決まった時間に起きて、決まった時間に出社し、決まった時間まで働きます。
過去とは違い、それ相応の対価があるので一概に同じとは言えませんが、本質的にやっている行為は同じだと考えます。
(良い悪いじゃないからね、僕はサラリーマンの父を尊敬しています。)
面白いと言っていいのか分かりませんが、とりあえず興味深いですよね。
なんで、こんな事になっているのか考察していきましょう。
恐らく、こういった現象が起こる原因は人間の大きな勘違いから発生しています。
人は「自分」と「世界」というものを分けて考えますが、それこそが大きな勘違いです。
だって「自分は世界の一部」だから。
世界というのは「自分の一部」だから。
つまり、分けて考えることは決して出来ないのです。
それなのに多くの人は、それを分けて考えてしまう。
その結果、今の世界には自由が溢れているのに、自分だけが不自由かのように感じてしまう。
本当に不自由なのは自分あるいは世界ではなく、単に貴方の「思考」や「選択」です。
少し話は逸れますが、「同調圧力」とかいう幻が多くの人に見えるのもこの為なんでしょう。
だとしたら意外と根深いな。(笑)
話を戻しまして、じゃあ現代における自由とは何か。
過去の支配や強制が、今や姿を変え他からの期待や希望になっています。
つまり、「自分で決める」ということを決めることです。
「これは俺が選んだものだ」「私は誰かの期待に応えたくてこれを選んだ訳じゃない」と心の底から言えるかどうかです。
期待や希望なんてものは、勝手についてくるなら好きにすればいい。
それに応える人生なんて、僕には息苦しくて仕方ない。
選択出来る権利は貴方の手の中にあります。
それを使うか使わないかを選択するのも貴方です。
さて、貴方は本当に不自由でしょうか?
どうぞ、ご勝手に。
今日もありがとう
いかがでしたでしょうか。
こういった思想の人間が増えたら面倒臭そうなので、あまり発信したくなかったです。
だってこのブログを日本語が上手じゃない日本人が読んだりしたら、「なんでもやっちゃえ!」みたいなこと思いそうじゃないですか。(笑)
真の意味で理解して欲しいものですね。
現状への感謝、過程への感謝。
この2つを正しく心に持ち合わせていれば、誤った認識はしないと思いますので参考までに。
こうして皆さんが勝手に僕の投稿を読んでくれていることに感謝です。
また次の記事でお会いしましょう!
ありがとうございました。
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