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DXにITリテラシーは必要?

DXを遂行するのにどうしてITの知識が必要なでしょうか。
当たり前の疑問? いえ、必ずしも自明ではないと思っています。

まず前提として、DXはITを軸とした変革活動です。以前に述べた、デジタルとITの差異は問題としません。ここでは、一般的な業務を行ってきた会社員が、意図的に異分野の勉強をしない限り手に入らなかった知識のことを論じたいからです。

自分の専門って、やっぱり理解してほしいものです

さて一般論として、専門家というのは自分の専門のことを分かってほしい生き物です。会計の専門家は「会計はビジネスパーソンにとって必須スキルである」と言い、特許の専門家は「これからのビジネスは知的財産の知識抜きにはあり得ない」と言い、ITの専門家は「今やITは全社員にとって常識であるべきだ」と言います。かくしてビジネスに携わる人は、あまりに多くのリテラシーを要求され、しかも本来の専門分野では一流でなければならず、かといって勉強ばかりしている訳にもいかないという難しい立場に追い込まれてしまいます。

まず、専門家が相手にリテラシーを求める理由を考えてみましょう。
ひとつは、相手に知識があれば、話が早いからです。伝えたいトピックの言葉や背景、これまでの成功と失敗の歴史、似て非なる概念などを理解してくれていれば、基本的なことを伝える労力も時間も短縮でき、いきなり本題に入ることができます。“神は細部に宿る”と言いますが、リテラシーがない相手と話しても細部まで至りません。専門家がこれを嫌がるのは当たり前でしょう。
もうひとつは、勘違いが減ることです。一見すると言葉が通じているにも関わらず、実際には大きな誤解があって、それが後に判明し大幅なロスが生じることは、残念ながらよくあります。その分野に固有の専門用語なら勉強するだけで十分ですが、「要求」「親子」のような日常的な用語に似た言葉は、その分野に慣れていないと思わぬ誤解を招いてしまいます。

ですが、これらの関係は対称です。ITとビジネス部門の関係で言うなら、ITの専門家は相手にITの知識を持っていてほしい、逆にビジネス部門はITの技術者にその部門の業務に関して理解していてほしい。だとすると、ビジネス部門にITの知識を身に着けてもらうのはコストに合わないのではないでしょうか。何故ならビジネス部門はIT部門に比べ圧倒的な人数がいますので、全員の知識レベルを上げるためのコストは、IT部門を教育するより圧倒的に大きくなるからです。
かといってIT部門が会社の全ての業務を理解することは、事実上困難です。会社の機能は無数に存在し、それらを少人数でカバーするのは現実的でないのは想像に難くありません。

異分野の橋渡しをする翻訳者、その功罪

こういった事情から、“翻訳者”が要請されます。元ビジネス部門がITに所属するか、あるいはその逆か。いずれにせよ少数の「両方分かる人」が部門ごとに設置され、様々な局面に立ち会って解説を行い、先回りして誤解の発生リスクを下げる。ビジネス部門もIT部門もお互いの知識を入れる必要がなくなり、コミュニケーションが円滑になる。めでたしめでたし。こういった物語です。

確かに、有識者や書籍も、この手法を推す声は多いです。ですが、これが正解なのでしょうか?

問題のひとつは、コミュニケーションの質が、この翻訳者のレベルで決まってしまうことです。ビジネスの深い理解とITの広大な技術分野を、この翻訳者が自由自在・縦横無尽に動き回れるのであれば、おそらくうまくいくでしょう。しかし実際には、そんな有能な翻訳者は滅多にいませんし、育成も容易ではありません。翻訳者がその能力を最大限発揮したとしても、せいぜい自分の知っている事例や過去の経験の周辺を想像できる程度でしょう。そして早々に検討スコープを自分に引き付けた分野に絞ってしまい、あり得たはずの潜在的なインパクトは意識されないまま埋没してしまいます。

もうひとつの問題は、翻訳者が活躍すればするほど、ビジネス部門もIT部門も、その問題の“自分事感”が薄れていくことです。ビジネス部門が、やりたいことを自分の言葉で、不器用でも情熱と深い問題意識を持って伝えることで、言外に含まれる急所が浮かび上がることがあります。IT部門が技術の本質や将来展望を語ることで、世界の見え方が変わり新たな可能性が感じられることがあります。しかし、翻訳者が存在することで、専門家同士の広く深いパースペクティブが失われ、薄っぺらい伝達事項になってしまう結果、可能性に満ちた議論はただの片付け仕事になってしまうのです。

ITリテラシーが重要な理由は、自分たちのチャンスを逃さないため

さてここまでで、翻訳者に頼り切りにならず、自らコミュニケーションすることの重要性はある程度論じられたと思います。ですがまだ、なぜビジネス部門がリテラシーを身に着けるべきかの論拠にはなっていませんよね。
それは、知識を身に着けることによって、物事の見方が変わるからだと思っています。

例えばインターネット経由で使う機能のことを何と言うか。
これを「クラウド」と呼ぶとき、どこかインターネットの先にサーバがあり、そこの機能を使うことを思い浮かべるでしょう。そのサーバはどこの国にあるのだろう。世界どこからでもアクセスできるのか。機能は自動で最新になるのだろうか。こういった想像が広がり、自分のビジネスへの応用の形が見えてくるかもしれません。
ではこれを「SaaS」と呼ぶとどうでしょう。“as a Service”というけれども、サービスとは何なのか。ソフトウェアの配布とは何が違うのか。ソフトウェア以外に“as a Service”として提供されているビジネスモデルはあるのだろうか。
あるいは単に「アプリ」と呼んだとき、スマートフォンのアプリと何が違うのか。むしろスマホで使えるようにならないのか。普段使うアプリの中で使えたりしないのか。

こういった発想の広がりは、普段から自分たちのビジネスについて深く考え、そのありようをいつも模索しているビジネス部門にしか持ちえません。外部環境の脅威と機会、自らの強みと弱み、顧客の本質的なニーズなどを事前に徹底的に考えてあるときに、デジタルは競争優位の強力な実現手段として舞い降りるのです。
ここまで来れば明白でしょう。DXに当たってITの知識が必要なのは、ビジネス部門の人たちがITの実務的な活動をするためではありません。そうではなくて、ものの見方を広げ、いま自分たちが抱える問題、あるいは自社の将来のために打つべき施策に関して、その実現手段が目の前にぶら下がっているにも関わらず、みすみす見逃すことのないようにするためなのです。

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