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DXにあなたが関わるべき理由はあるか? なぜ転職せずに自社の変革を志すのか?

一般論としてDXの必要性は分かる。でも自分が関わる理由は何だろう

DXがなぜ必要か、繰り返し述べてきました。競争優位は持続しないから。創業の魂を継続させるには現実解として変革が必須だから。

ですが、あなたが変革に携わる理由には不十分かもしれません。

やりたいことができる会社は、いまあなたがいる会社だけではありません。変革が必要な、もう旧くなってしまった伝統的な企業にあえて残留してまで一発逆転を狙う必然性はありません。創業者や大株主でもない限り、会社を移って勝ち馬に乗る方が、よほど居心地がいいし成功の確率も高いでしょう。
それにも関わらず自社の変革を提案し、皆のモチベーションを上げ、幾多の困難を乗り越えようとする理由は何なのでしょうか。

企業変革論の重鎮であるコッターは、変革に業績評価や報酬は重要でないと言っています。変革に重要なのは内側から湧き出るモチベーションという話です。でも、そのモチベーションはどこから来るのでしょうか。

Q. ネットワーク組織では、 メンバーは分担した仕事についてどのように説明責任をとるのか。各人の業績評価にどのような基準を適用すべきか。実績に対してどのような報奨制度を用意すべきか。

A. まさに階層組織的な質問だ。階層組織では、これらをきっちり決めておかないと仕事は効率よく進まないと考えられている。だがネットワーク組織では、説明責任、評価基準、報奨制度といったものは重要ではない。大切なのは、危機感、コミュニケーション、権限分散、個人のリーダーシップ、そして、「ぜひともこれをしたい」という情熱とワクワク感だ。

ジョン・P・コッター 『実行する組織


変革に関わる明確な理由があるケース

もちろん、終身雇用を前提とするならそこに必然性はあります。将来の自分の居場所を確保するためです。会社が倒産、あるいは縮小してしまったら、将来の収入源が絶たれてしまいます。社会的にも辛い立場に置かれますし、家庭でも居心地が悪いでしょう。
ですが、もしそれが唯一の理由なら、例えばシニア層は変革に従事する理由がありません。このまま逃げ切った方が遥かに楽ですし、リスクも少ないからです。それに終身雇用が暗黙の前提だったとしても、自分だけのためを考えるなら、変革に従事するより他社でも通用するポータブルなスキルを身に着ける方が、確実性が高いかもしれません。

あるいは、株主に選ばれ変革を使命とされた取締役なら、変革に邁進するでしょう。自分のクビが変革の成功に掛かっている以上、なりふり構わない強硬な手段で株主価値を最大化するしかないからです。これまでのやり方の多くを否定する必要がありますが、それは会社の持ち主たる株主の決断であり、自分はそれを実現する手段です。
こういった人や、その人が連れてきた実行部隊にとっては、変革はほとんど目的化しています。変革の必要性を疑う必要はなく、Howの議論で終始すればよいという考えになります。
ですが実際には、経営における株主至上主義は終焉を迎えつつありますし、そもそも強硬な変革を求める株主は多くはないことを考えれば、DXの文脈でこのケースをメインに語る必要はないでしょう。

ですから、DXに従事するにあたって、盲目的な終身雇用のためでもなく、過激な株主のためでもない理由がないといけません。

それは、愛社精神であるというのが筆者の持論です。


愛社精神というエネルギー

自分が所属するこの会社が、世界で存在感を放ってほしい。他人が羨むような素晴らしい評価を得たい。引退したあとも元気であってほしい。様々な経験をさせてくれた会社に恩返しがしたい。自分の子供や孫が喜んで働きたくなるような会社になってほしい。偉大な業績を残した会社の文化を後世まで残したい。こういった思いが、激動を乗り越えて次の時代で活躍する自社にしたいというエネルギーを生むのではないでしょうか。

その意味では、強い言葉を選ぶなら、愛社精神がない人々は変革の抵抗勢力となります。5年、10年といった中長期のありたい姿に興味がなく、そこにパワーを使う気がない人は、変革には全く向いていません。そういう人々が悪い訳では決してありませんが、変革活動にアサインしてはいけません。ジョブ型雇用的に、ずっと決まった業務に従事してもらう方がいいのです。大変な苦労を掛けてダイナミックに変わろうとする中の、辺縁に配する必要があります。中心には、会社のために何ができるのかを考え、いまの枠組みを超えてでも自社の可能性を信じて動こうとする人のみがいないといけません。

もちろん、自社がどうなるべきかに関して考えは異なるでしょう。それは重要なことです。先の見えないこの現代において、ありたい姿が一枚岩であることは期待できません。でもそれは問題ではないのです。可能性を信じる人同士が議論をすることで、更に上のビジョンに達し、あるいは現実解が見えてきます。ですから、同じ考えの人のみを中心に据える必要はなく、単に熱量がある人を集めればいいだけです。
それに、そもそも愛社精神とは熱量であって方向性ではありません。変革でもっとも難しいのは実行であって計画ではないという点も、熱量の重要性を裏付けます。つまり、計画は練り直せばいいので、初期の方向性の正確さは重要ではなく、それよりも、変革を推し進める力や、数度の失敗に打ちひしがれることなく継続的に湧いてくる力の源泉こそが重要なのです。


MTPとJTC

MTP (Massive Transformative Purpose:野心的な変革目標) という言葉を耳にしたことがあるでしょうか。当たり障りのないミッションやパーパスでは不十分な、現状を打破し飛躍的な成長を目指すのに、USなどで持ち出されることがあります。スティーブ・ジョブズはペプシの役員を引き抜く際に「残りの人生、このまま砂糖水を売ることに費やしたいのか、それとも世界を変えるチャンスをものにしたいか?」と言ったとされますが、確かにMTPは愛社精神の代わりになりうるかもしれません。

何か漠然とした、具体的な魅力の言語化できない愛社精神か、あるいは明確に言語化されたMTPか。そのどちらをよりモチベーションとするかは文化に依存するところも大きいのでしょう。MTPが、いわばプロジェクト的というかスタートアップ的というか、その旗印の元に志を同じくする者たちが集まるのに対して、愛社精神というのは先に組織の所属員がいて、既に愛着があり、何ができるかを後から考えるものです。人材流動性がまだまだ低く、百年企業が世界で最も多い日本において、後者が変革の中心となるのは決して不自然ではないでしょう。

その意味では、伝統的な日本企業 (Japanese Traditional Company) がMTPをうまく設定できたときと、スタートアップがうまく人を集めたときのどちらがパワフルなのかは非常に興味深い観点です。元からある企業には製品や顧客、製造設備やノウハウなどのアセットがある一方で、意思決定の調整コストや抵抗勢力などの摩擦も存在し、高い志を掲げても変革はなかなか思い通りには進みません。一方でスタートアップは組織として全てをゼロから始めねばならず、凄い速度で進むものの、順調なことはほとんど何もありません。

ここで、もし前者に魅力を感じるなら、あなたは変革に向いています。先に自社に関して強い思いがあり、困難を乗り越えるための大きな力が出るならば、いまどんな立場にあったにせよ、あなたは企業を変えられます。一方で、自分や自組織の与えられた役割から出ようとせず、会社が停滞したり失敗したりするのを客観視するような仕事観であれば、変革には向いていません。あるいはしがらみなくゼロから大きなことにチャレンジしたいのであれば、伝統的企業の変革は辛いでしょう。

もちろん、ここで仮定した「伝統的な日本企業がMTPをうまく設定できたとき」というハードルは非常に大きいです。自社への熱量が大きければ大きいほど、他人から与えられたMTPでは満足できず、納得しなければMTPは単なる白々しい標語の張り紙未満になり下がるからです。

以前に「DXとは会社のエゴを突き通すことだ」と述べました。まさに同じ意味で、DXに携わるということは、愛社精神というあなたのエゴを突き通すことなのです。社会において企業が果たしたい役割があり、そのためには社会の全体最適や短期志向の株主の利益を脇に措いてでも、存続と発展を目指すのが企業変革です。それとちょうど同じモチベーションで、あなたの所属する企業を存続させ発展させるために、いまの職務やこれまでのビジネスに相反してでも変革を遂行するのが変革に携わるということなのです。もちろんいまの仕事をボイコットするような幼稚な話をしているのではありません。秩序を心配しなくても、洗練された方法論は存在します。そうではなくて、本質的に変革のモチベーションが自分の中から湧き出ることが重要であり、それをエゴと呼んでいいのではないだろうか、という話です。「イノベーションは不服従と切り離せない」といいますが、DXが広義のイノベーションであることを考えれば、自然な帰結でしょう。その、愛社精神を貫き通すエゴの表現型がDXということです。


愛社精神は慣れ合いの温床で、変革の阻害要因では?

ひとつの疑問に先回りしましょう。愛社精神の強い人が集まると、誰かに不利益が生じるような厳しい施策を打てないのではないかということです。
それに対する回答は、その程度の愛社精神では足りない、ということになるでしょうか。

会社の存続を案じるにせよ、飛躍的な成長を目指すにせよ、現在に囚われない姿を真剣に検討するならば、自ずと誰かの居場所がなくなる案が出ることはあります。そういった検討をする気にならないのであれば、個人の側は愛社精神が足りないし、会社の側は信用される器ではないということです。自分の仕事がなくなる覚悟で十年先に花開く提案をした社員に対し、より好待遇の、あるいはリスキリングにふさわしいポジションがいずれ用意されると思えないのであれば、社員の滅私奉公になってしまいます。愛社精神というのは、いまの職務や組織に縛られずに会社のためを思って行動することであって、自分を殺して会社に奉仕することではありません。成功を顧客や仲間と分かち合いたいと思うことであって、会社を自分の利益に誘導することでもありません。そういった人々が集まって話し合い、試行錯誤することで生まれるのが企業変革なのです。

誰も傷付けないように発言を抑えた仲良しクラブが、実は心理的安全性が低いということは、既にご理解されていると思います。ここでイメージしているのはその真逆です。真に会社のためを思ったとき何ができるのか。それを真剣に考え話し合うことこそ愛社精神の表れだと考えています。


愛社精神を押し付けることはできない。促すことすらできない。でもそれがDXの起点であり、推進力

終盤で少しハードルを上げ過ぎたでしょうか?

ですが、個人の働く期間より企業寿命の方が短い時代はすぐそこに迫っています。USは既にそうです。株主はリスクの高い投資を嫌うかもしれません。そういった状況でもなお、自社に留まって変革を牽引しようとするなら、少し高い基準をクリアする必要があると思っています。

愛社精神というものは、誰もが持ちうるものか分からないですし、必ずしも全社員が持つものでもないでしょう。愛社精神の押しつけはブラック企業の典型ですから、その点に関して企業側のできることは少ないのだと思います。実際に組織学習論の権威であるピーター・センゲはこう言っています。

多くの経営者が直面する最も厳しい教訓は、結局のところ、他者を参画、あるいはコミットさせるために自分ができることは一切ないということだ。(中略) 無理強いしようとしても、せいぜい追従を助長するぐらいだろう

ピーター・センゲ『学習する組織

ですからこの文章は、どこか抽象的な会社というものに向けての提言ではありません。いま読んでいるあなたへのメッセージです。愛社精神などという、古臭くてアナログな、デジタルから最もほど遠く見える概念こそがDXの根幹を成すということだけでも理解して頂ければ幸いです。



追記

この文章を書いたのはちょうど1年くらい前なのですが、喉に刺さった小骨のように引っ掛かりが取れない点がありました。愛社精神以外に各人のDXを駆動するものはないのか? という疑問です。

例えば新規事業など、個人的にやりたいことがあってそれを追求する場合には、愛社精神と関係なく推進力を発揮します。デジタル技術自体が好きで、それを自社で使いたい場合も同様でしょう。

ですが、一部にはそれ以外の人々が存在します。入社すぐだったり、M&Aで合流したばかりだったりして愛社精神を育む時間がないにも関わらず、長期的な視野を持って変革に積極的に関わる人たちです。
個人的な観測範囲では、そういう人たちは、志の高さと不満の抱きやすさが共存している気がします。不満を抱くだけでは愚痴をこぼして終わりますし、志が高いだけでは具体的な欠点や伸び代が見えませんが、その両方を持つ場合には変革への行動に繋がるという印象です。

この志の高さがどこから来るのか、いまは考えがまとまっていませんが、いずれ考察してみたいと思っています。


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