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DXは技術導入だけではダメなのか? 変革に必要な準備

DXを推進する人たちは、口を揃えて「DXはXが大事、デジタルは変革の手段だ」と主張します。ですが、本当にデジタル技術の導入だけでは不足なのでしょうか。

デジタル技術の導入のみ行うということは、仕事のやり方はそのままにして、個別のプロセスを改善することを意味します。もちろん、個別のプロセスを改善する意味はあります。コスト削減、生産性向上、品質安定化など目に見える成果を生むからです。

ではそれ以上の変革はなぜ必要なのでしょう。

よく言われるのは、個別プロセスの改善だけでは変化の速い時代に置いて行かれるというホラーストーリーと、そもそもモノがもたらす価値が相対的に低下し、体験のようなコトを提供しないといけないという神話です。しかしこの端的な説明だけで皆が変革に乗り気になる訳ではありませんし、裏を返せば、変化の速くない業界やモノの価値が依然として大きな業界では、変革は不要だと言っていることになります。

ここで更に、覆い被せるように神話を補足してもいいのですが、今日は別の話をしてみたいと思います。

(残念ながら) 戦略は組織に従う、変革もまた然り

チャンドラーが「組織は戦略に従う」と言ったのは有名です。組織形態とは会社のやりたいことを実現する手段のひとつなので、極めて当然の発想です。しかし一方でアンゾフは「戦略は組織に従う」と言っています。戦略を変更するより組織 (とそれに付随する能力や文化) を変更する方が大変であって、結果的に戦略は組織に従ってしまうという意味だと理解しています。
戦略が何かという定義は措いておくにせよ、戦略の目的は変革です。今日までと同じ仕事を、明日以降も同じスピードで、同じ資源配分で行うならば、戦略は不要だからです。ですから、ここでは変革と戦略を同じテーブルで語りたいと思います。

このとき、「変革は組織に従う」としたらどうでしょう。戦略が組織に従うだけでも残念な雰囲気が漂いますが、変革が組織に従うようでは夢も希望もないと感じるのではないでしょうか。それはそもそも変革なのかと感じる人も多いに違いありません。

DXが個別プロセスの最適化になってしまい、それ以上の大きな動きにならない理由はまさにこれです。「DXは組織に従う」になってしまっているのです。
今日論じたいことは、いったんこの事実を受け容れたうえで、その何が問題なのか、あるいはこれでいいのかということになります。

不確実性が高いと想定外のことが起きる、それを前提とする経営もある

アンゾフの主張は、端的に言えば、戦略より組織の方が変更が難しいこと、組織には慣性が働くので変革に抵抗する力が働くということです。一方で、戦略より先に組織を変更しようと思っても、どういう組織を作るべきかの理念がなければデザインするのは難しいでしょう。それを鑑みて、コッターはデュアルシステムを提唱し、既存の組織を維持したまま、変革のためのネットワーク構造を併存させることを主張しています。

もし仮に、現在の組織が将来のビジネスに対して慎重にデザインされ、最適な構造だと思えるならば、あるいは素早く組織を変えられる文化があるならば、先ほどまでの議論は大きな問題にはなりません。問題になるのは、先が見えず、しかも変化が速くて組織変更が間に合わないような、想定外が起こる状況への対応です。

例えばITやバイオなどスタートアップの創業が盛んな分野では、将来の競争環境が見えないことは当然の前提となっています。ポーターのファイブフォースでいえば、横のライン (サプライヤ、同業他社、顧客) よりも縦のライン (新規参入、代替技術) の方が脅威ということです。こういった業界では、単にプロセスを効率化したりするだけでは競争力は全くもって不十分ですので、死角から驚異的な対抗馬が現れることを前提として、絶えずイノベーティブな変革をしないと自社は消え去ってしまうと考えて経営されています。


ところで、近年のAIは、非専門家が専門家のパフォーマンスを凌駕する歴史を繰り返しているのはご存じのとおりでしょう。ですが、囲碁でプロ棋士を破ったAIは、囲碁の専門家が作った訳ではありませんでした。展覧会で入賞する画像生成AIは、プロの画家が作った訳ではありません。何よりディープラーニングの流行をもたらす先鞭となった画像解析は、まず既存の画像AI技術者の仕事を奪ったのです。

このように、AIはデータと計算の暴力で、次々と専門分野をなぎ倒しています。以前は定型作業が、その次は五感を用いた判断が機械によって実現しました。現在、創造性も人間を上回る例が出つつあります。こうしたトレンドを理解しているからこそ、先が読めない未来の到来を警告する人々は、自分たち自身も含めた専門家の立場が危ういことを身をもって感じており、それを伝えているのです。


こういった不確実性に身を置いている感覚の持ち主は、戦略を策定してから組織を変更し、組織が戦略に馴染むまでゆっくり待つような危険性を知っています。あるいは、組織に手を入れないまま小さな改善を積み上げたときに、思わぬ伏兵に戦局をひっくり返されることを懸念しているのです。では先にどんな組織にすべきかといえば、そんな大上段な提案材料は持ち合わせません。ただ言えることは、想定外に耐える柔軟な組織であるべきという、実現手段に乏しい警告だけなのです。


もちろん、本当の意味で想定外に耐える組織を設計するのは不可能です。ナシーム・タレブは『反脆弱性』の中で、わずかな可能性で起こる破壊的シナリオに対し、逆に得をするような投資を小さく張っておけば、反脆弱、つまり他者が脆くも崩れ行く状況で逆に発展できるという論を展開していました。しかし、投資そのものがなくなるような、想像を大きく超えたことが起きれば、全て失ってしまいます。言い換えるなら、計算可能なリスクの範囲では反脆弱性の考え方は通用しますが、本当の意味で先の読めない不確実性には対応できないのです。

したがっていま筆者は、事前の目標なしに、想定外に対応できる組織、それに伴う文化や慣習を作っておくべきだと主張していることになります。

想定外に慣れ自信を付ける。それが変革の準備

先ほども述べたように、ITやバイオの世界では想定外が当たり前であって、パーパスやバリューなど骨太な部分を大切にしつつも、細かな計画はそれほど重要視せず柔軟に迅速に物事を進めます。今は、ソフトウェアやAIが想定外の形で様々な産業を脅かしているため、他の産業も同様に想定外に備えねばならなくなったと感じているのです。

筆者の主張は、結局はホラーストーリーに戻ってきてしまったのでしょうか。そうかもしれません。あるいはその想定外を仕掛ける側に回ろうという話ならば、チャンスの話をしているのかもしれません。重要なのは、データサイエンス・AIによって知の在り方が変容しつつあり、強固な参入障壁を築いていた専門性が脆くも突き崩されている状況が日々進行しているということです。

こういった状況のなかで、戦略が先か組織が先か、デジタル技術が先か変革ビジョンが先かという議論自体が、いつの間にか“想定内”を前提としているのではないでしょうか。

想定外の事柄が次々と起こる世界というのは、予見可能性の高い仕事をしてきた人からすると、本当に恐ろしいでしょう。しかしいったん身を置いてみると、実はそんなものかという感覚です。言ってしまえば、安定したオペレーションでも起こる日々のトラブルが、少し大がかりになっただけ。難局に置かれるとアイデンティティが問われるものですが、それがしょっちゅう起こるので、逆にパーパスがはっきり共有されてくる。いつもどこかで事件が起こり、あちらこちらで火消しをしているうちに専門性が分からなくなりますが、代わりに総合的な問題解決能力が向上します。その程度の違いを受け容れさえすれば、想定外に強い組織になれる。結局のところ筆者がここで言いたいのはそれだけなのです。


もしかすると、いま筆者は想定外の脅威に対する恐怖耐性を付けようと言っているのかもしれません。もちろん、ホラーストーリーに対する慣れと誤解されては困ります。カサンドラの予言を信じずに滅びたトロイアの人々のようになってしまうからです。そうではなくて、想定外が連続して起こる状況に身を置き、予見不可能だった物事への対処を絶え間なく経験することで、変化に対する感度と対処への自信を付けるべきという提言なのです。
とはいえ実際に、想定外の連続する荒波に飛び込むのは難しいかもしれません。まずは小さな想定外に慣れ、前向きに対処することが、耐性を獲得する第一歩だと思っています。

少し前の段落で、変化の速くない業界やモノの価値が依然として大きな業界では変革は不要かもしれないと述べました。ですがそれは、変化している側面を見て見ぬふりをして、都合のいい解釈をしているだけではないでしょうか。いま作っているモノ以上に顧客に提供できる何かを考えていないだけではないでしょうか。というのも、もし仮に変化に対応できる自信があるならば、変化の兆しは大きなチャンスに映ります。逆に変革で失うことが多いと感じているならば、いまのやり方に固執するのは自然な態度です。変化に対する自信の有無が、現在の状況認識に影響しているとしたら、自ら可能性を狭めているかもしれないのです。

ですから、本稿の最初の問い「本当にデジタル技術の導入だけでは不足なのでしょうか」は踏むべきステップを飛ばしていました。その前に「変革を乗り切れる組織と文化はどんな姿なのか」を問うべきなのでしょう。いつ、どんな方向に動き始めるにせよ、必要なのは変革の準備であり、変革を乗り切れる自信と熱量です。幸運の女神には前髪しかない (出会った瞬間に捕まえないと、後から追いかけても間に合わない) と言いますが、変革の女神も同じかもしれないのですから。

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