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一度読んだら絶対に忘れない日本史の教科書:感想文 ~第1章~

こんにちは!

昨日に引き続き今回は、『一度読んだら絶対に忘れない 日本史の教科書 』の 第1章  ”縄文・弥生・古墳時代” を読み終えたのでその要約と感想を書いていきます。


縄文時代

氷河期の気温低下が終わり

温暖化したことによって、海面が上昇し

日本は島国になりました。

そして、温暖化の影響により

大型動物が絶滅し

小動物や食べられる実をつける木が増えていきました。

食糧が増えたことにより、

獲物を狩るために移動せず

定住が始まり、そして集落ができました。

※縄文時代の由来となった縄文土器。 画像 Wikipediaより

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※この時の住居は竪穴住居と呼ばれています。画像  Wikipediaより

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弥生時代

弥生時代からは、日本人の主食である米

つまり、稲作が始まります。

弥生時代 = 稲作の始まり という認識で大丈夫です。

しかし、ここでメリットデメリットが発生します。

以前までは、必要な分だけ獲物や木の実をとって食べていたのですが、

米の場合は、食べきれない分は保存する

貯蔵をするという選択肢を選べるようになったのです

しかし、ここで貯蔵が多い者と少ない者 とで貧富の差が生まれました。


・貧富の発生、そして争いへ

この貧富の差によって、

集落同士が争うようになり

貯蔵された米を奪い合うという、

戦いの歴史が幕を開けました。

そして、集落の防御策として

環濠集落というものが作られるようになりました。

※環濠集落:集落の周りを濠や土塁で囲ったもの 画像 Wikipediaより

吉野ヶ里遺跡環濠


・文字による日本の記録 初デビュー

中国の歴史書『漢書』の一部である『地理志』のなかに

19文字の記述があります。

その中には、当時の日本が「倭」と呼ばれていて

百あまりの小国に分かれていたことが記されています。


・邪馬台国の登場

中国の歴史書「魏志」倭人伝によると

邪馬台国の女王卑弥呼が30あまりの諸国連合の長にたてられ

倭の騒乱をおさめ、呪術を用いて国をおさめたことなど書かれています。

そして邪馬台国には身分差があり、

それなりの統治機構も整っていたようです。

魏志倭人伝には邪馬台国の行程が書いてありますが、それが近畿地方とも九州地方とも読めるため、邪馬台国の正確な位置はまだわかっていません


古墳時代

弥生時代の中期から後期にかけて

小さな国同士が徐々に統合し、

強い権力を持つ王の元にまとまっていきました。

弥生時代末期には、

邪馬台国のような強い王権を持つ国家が登場し、

その墓も巨大になっていきました。

そしてその巨大な墓は ”古墳” と呼ばれるようになります。

特に、大和地方を中心とした場所に

鍵穴のような形を持つ前方後円墳がつくられ始めました。

この時代が「弥生時代」の末期と重なる

「古墳時代の」最初の時期にあたります。


・ヤマト政権の登場

大和地方を中心に地方にも同じような

前方後円墳が見られるようになったことから

大和地方の王である「大王」を名手とした「ヤマト政権」という

連合体が成立し、東西に影響力を及ぼしたと予測されています。


・ヤマト政権の支配力

当時中国は朝鮮半島を支配していましたが、

国内の分裂の影響で、支配力が落ちていました。

そうして、朝鮮半島の国々が自立を始めました。

この時できた国が、高句麗百済新羅

統一されていない伽耶諸国になります。


・ヤマト政権 連合 VS 高句麗

北方にあった高句麗は南下策(侵略)をとっており

その南にある百済や伽耶諸国が侵略されると

供給されていた鉄資源の供給が途絶える恐れがあったため

百済や伽耶諸国とともにヤマト政権は高句麗と戦うようになりました

高句麗の騎馬軍団とと交戦する中で、日本は騎馬技術を習得して馬の育成を始めたそうです。



感想

今まで日本史は話の流れが全く分からなくて面白くないと思っていたのですが、一つの物語として読めるこの本によって「日本史って結構面白い!」と思えるようになりました。

せっかく日本人として生まれたので、なんとなくでも日本の歴史を理解できるように読み進め、noteにアウトプットしていきたいと思います!

最後まで読んでいただきありがとうございました!


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