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#5 短編冒険小説 『そうだ、富士山へいこう』 part1

ご注意
※この作品はノンフィクションではありますが、ウケを狙って少し誇張した表現があります。また、新型コロナウイルスによる感染症拡大が起こる前に書かれたものですので、衛生管理に関わる記述に関しても現状とは大きく異なります。
※弾丸登山はたいへん危険ですので、絶対に行わないようにしてください。



8月も終わりに近づいたある週末に、富士山にいってきました。
元はといえば、夏の初めに地元平塚にあるレストランの若い人たちが
「今年は富士山に登るんですよ」
と楽しそうに喋っていたのがきっかけでした。
「それなら、僕も仲間に入れてよ」
と、話しに首をつっこみ、ひとしきり富士山の話題で盛り上がりました。

ところが、8月に入ってレストランのほうはテレビの取材が入ったりして連日満員で、
とても忙しそうです。僕はといえば、富士山も湘南平も同じレベルで考えていましたから、
「若者たちが行けないのなら、自分ひとりで登ってこよう」
と軽い気持ちで出かけたわけで、いま思えば富士山をあなどっていました。

家を出たのは土曜日の朝でした。
予定では、11時に5合目を出発し、17時に山頂に着いて夕暮れの富士を楽しんだ後、
下山を始め、21時には駐車場に戻るつもりでした。

ところが実際には、スバルラインが料金所の手前から大渋滞で、
5合目の駐車場も満車とのこと。仕方がないのでUターンし、
須走口のほうにまわり(富士山には4カ所の登り口があるんです)、
こちらも大混雑でしたが、何とか駐車することができました。
その時点で、すでに14時をまわっていました。

「このペースだと頂上に着くのが夜になっちゃうな……」
なんて、Tシャツに半ズボンという日帰り用の装備がちょっと気にはなったのですが、
例によって「なるようにしかならない」と楽観的に考えて出発。
6合目、7合目、8合目(標高3300メートル)といいペースで登り、
山小屋に入っていく登山者たちをしり目に、8合5尺を通過した辺りで18時を過ぎました。
それなりに疲れてはいましたが、体力はまだ充分でした。

9合目の鳥居をくぐり気がつくと、あれほど多かった登山者はどこにも見当たらず、
僕ひとりになっていました。
「ご来光を拝むために、みんな明日の午前2時ごろに山小屋を出発して
真夜中に登るんだ。それを思えば、まだ夕暮れ時じゃないか…」
そう思ってはみたものの、だんだん心細くなってきました。
辺りは暗くなり、急激に気温が下がり、霧がでてきました。
あまりの寒さに、震えながら雨対策用の合羽を着て、さらに進みましたが、
霧はどんどん深くなり、ついに1メートル先も見えなくなりました。
迷わないで登山道を登っていけばあと30分ほどで山頂に着けるはずでした。

しばらく行くと霧のむこうから何ものかが近づいてくる気配がありました。
ミステリードラマのような幻想世界が頭の中に広がり、恐怖でドキドキしながら構えていると、
目の前に数人の若い男たちが現れました。
彼らもびっくりしたようすで僕を見ました。全員、疲れきった感じでした。
「この先で岩場がきつくなって……あきらめて戻ってきました」
と、誰かが言い、笑顔もなく僕の横をすりぬけていきました。
僕は、暗闇のなかで再びひとりになりました。

学生時代に山岳部に入っていた友人に電話して判断を仰ごうとしましたが、
スマホのディスプレイには圏外の文字が表示されていました。
「さっきの連中が行けないんだから、これ以上進むのは危ないな……
でも、悔しいな……最後に通過した山小屋に戻って泊めてもらおう」
そんなふうに考え、引き返すことにしました。

8合5尺のところにある山小屋に着くと、まわりは宿泊客で賑わっていました。
僕は人をかきわけ、宿の人を見つけて、泊めてほしいと頼みました。
「いやぁ、悪いけどきょうは予約客で満員なんで無理だね」
「どうしても泊めてもらえませんか」
僕はくいさがりましたが、その人は困ったように首を横にふるので、
仕方なく、さらに来た道を下ることにしました。

8合目には数軒の山小屋が重なるように建てられていて、
僕は上の宿から順番に声をかけていったのですが、どこも超満員で
泊めてくれません。あきらめようかとも思いましたが、
もう一度だけトライするつもりで、そのなかでいちばん気の毒そうに
対応してくれたご主人のところに行って頼み込みました。

「もう…カラダが限界で…7合目までたどりつける自信がありません…」
相手の良心にすがるのは、ちょっと汚いかなとも思いましたが、
ここは泣き落としでいくしかありません。
宿の主人は困った顔をしながら中に消え、しばらくすると戻ってきて
「特別だよ」と言いました。

その山小屋での一夜は、僕にとって忘れられない経験になりました。

(part2へつづく)


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