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ジェンダー論より「友達いない論」が求められている。 友情って?

数日経って、やっぱり気になるのもあるものです。ということで、Twitterで話題になっていたものの考察を。

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男性は生きづらい?

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途中、BLの話に寄り道してますが、「男性の生きづらさ (≒ 男性学)」の話をしています。そして、こんなnoteもあります。


上のnoteでは、「男性は女性より友達が少ない」と「男性は仕事とセックスの絡まない友情を求めない」は本当か?を検証しているようです。ちなみに、本当ではない という結論になっています。

おそらく、「男性の生きづらさ に共感する人が多くいて、バズったはずだ」という前提で書かれているんですね。しかし、そうとも限らないというののが今回の話です。

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男性の生きづらさは注目されていない?

BL界隈でも気にされてない?

結局から言えば、ネットの反応はツッコミが多く見られます。かといって、炎上するわけでもないというのが、このツイートの可笑しなところなんですが。

この状況のいちばん簡単な理由は、「そもそも、男性社会が終わりつつある」とされていることです。それに伴って、男性の生きづらさを扱っていた男性学も最近ではその論点を変化しています。ただホモソーシャルに批判するだけでもないようになってきました。世間の感覚的にも、疑問を持った人が多かったようです。

次に「BL的には正しいのか?」というと、そうでもなかった点が挙げられます。現在のBL文化は、充分に多様なので、「セックスを伴わない男同士の友情」が描かれる一方で、「友情も愛情もなくても、セックスだけでつながってしまう関係」が描かれることもあるでしょう。というか、もっと多種多様です。

でも、この一連のツイートは共感もされているというのが、面白いところです。明らかに、時代錯誤な理論でも、共感が得たポイントがありました。それが「友達はなぜできないのか?」です。

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性別に関係なく、友達ができない??

最近よく耳にする悩み相談に「どうしたら友達ができますか?」や「男女の友情が成り立ちますか?」というものがあります。

以前、このようなnoteを書きました。

上のnoteで書いたことは、趣味(≒友達)の重要性が、日に日に大きくなっていることです。

友達には大きく2つあると思います。その一つが "話し相手"  です。子供時代、「女子は誰と遊びたいか? 男子は何をして遊びたいか?」で集まると言いますが、その「誰と遊びたい」が話し相手の友達です。対して、「何をして遊びたい」が
"趣味の友達" と言えます。もちろん、その2つを兼ねている場合もあるでしょう。しかし、"話し相手" を作りづらいのが現代といえます。

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共通の話題がない → 友達ができない
 に至る現在。

あらゆるネットサービスが普及し、SNS時代となった現代では、共通の話題がありません。ほとんどの人が見ている国民的なドラマなんて滅多にありませんし、YouTubeになれば見ているものは皆違います。だったらトレンドを探そうと、SNSを開けば、その日のトレンドだけを追いかける羽目になります。気軽に話せる話題が見つけられなければ、その前提となっているジェンダーも希薄になっているのです。

一生懸命に自分の趣味を見つけてアピールしなければ、友達の輪をそもそも広げることができないんです。

同時にでてくるのが、マッチングアプリの問題なのでしょう。選択肢が多い分、実際に会わなかったとしても一期一会を繰り返すのが、マッチングアプリの特徴です。その感覚に疲れてしまうこともよくあります。自己肯定感が下がりやすいものなのです。それこそ件のツイートの「仕事とセックスが伴わないと友情が築けない」なんて自体に至ります。
「友達ができない」や「健全な関係がわからない」というのは、性別に関わらず、ずっと身近で深刻な問題なのです。

おそらく現代では、「友達の作り方論」や「マッチングアプリ論」が強く求められています。
恋愛も友情も良い人に巡り逢いたいものですね。

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さいごに

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今回、ツッコミが上がっていた本ですね。現代アーティストが言うことなので、そこは許してあげて…。

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男性学と言ってもいろいろあるので、そこは大切ですね。男性社会が終わりつつあるとして、その後、男性はどう生きるのか?描かれるのか?にも今後は注目です。

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