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“破滅フラグ” から考えるジェンダー論 〜「女の子になりたい」ってなんですか?〜

𝓕𝓲𝓻𝓼𝓽

「はめふら」 とは?

「はめふら」こと、『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』のTVアニメが大人気放送中です。

今回は、
イケメンパラダイスな逆ハーレム少女漫画風味の作品なのに、なぜかおじさんたちに大人気な理由を考察します。はたまた、シスヘテロ男性の言う「女の子になりたい」や「ショタが好き」って、どんな感覚なのでしょうか?

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ラノベアニメはつまらない?

筆者の経験では、ラノベアニメの1期を全て見終わったとしても、なぜこんなものが流行っているのか全く理解できないということが何度かあります。「フィクションってこういうものだろう」と思っていると、全然知らないルールで生まれた楽しみ方のわからないものが、日々、制作されるわけですね。そうした意味では、リゼロ 、俺ガイル、SAO 等※は、かなり勉強になりましたし、変わりどころでは、メイドインアビス、アドベンチャー・タイム※とかも、「あー、知らない世界だー」と世代的な価値観やジェンダー観を見つめなおしたものです。

※ ( いずれも恋愛観やフェチズムと理性がすごい絡みつき方をした若者の自己承認論を語る上で欠かせない作品なので、いつか解説できるといいですね。ガンダムやエヴァンゲリオンの続きの価値観がわかります。)

そんな中で、また出会ってしまった新しい価値観の作品が「はめふら」でした。あらすじから見ていきましょう。

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女性視点の最強主人公

あらすじです。8歳のカタリナは、ある日、前世の記憶と人格を思い出します。カタリナは、オタク女子高生で、乙女ゲーム「FORTUNE・LOVER」の世界に転生していたのです。さらに、自身がゲームの中の悪役令嬢役であることに気がついたカタリナは、国外通報エンドや死亡エンドを回避するために、奮闘していくのでした。

これが、悪役令嬢ブームの火付け役となった「はめふら」のメインストーリーです。男性読者が多いなろう系なのに、転生前も転生後も女性主人公なんですね。加えて、他のキャラクターに嫌われてしまうとバッドエンドを迎えるので、カタリナはひたすら良い人になって、善行を繰り返していきます。結果として、4人のイケメンと3人の美女から言い寄られるというハーレム展開になっていくわけです。事件があって、なにか善いことをして、イケメンに迫られて、「私、またなにかやっちゃいました?」という天然ボケをして、一件落着という流れですね。カタリナが典型的な古きよき “おもしれー女” なのも、安心して楽しめることに一役買っているのでしょう。男女を逆転させた優しさで駆け上がる最強系主人公もの、それが「はめふら」と言えます。

実際にアニメに見ると分かるのですが、文面で想像する以上に逆ハーレムの作品です。イケメンたちのミステリアスな過去が描かれ、話が進むにつれて、ドキドキしてしまうぐらい彼らが接近して、キスを迫ります。やはり、男性人気の理由が気になる作品です。

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興味があれば見てほしい2期 第8話

もう一つだけ、女性人気のポイントを挙げてみましょう。この記事を書くきっかけになった特徴的な回があります。それが、第8話「お見合いしてしまった…」です。
それ以前の回でも、「姉の影響か、なかなか普通の女性の気持ちが解らない」というフランクな理由から男性のメインキャラクターが女性に生まれ変わるという回があり、ジェンダー的に面白い点はありました。しかし、第8話の興味深さはそれ以上と言えます。

第8話の内容を一言でいえば、女性のキャリア進出と自由恋愛結婚、そして百合の話です。今回の実質的な主人公であるニコルは、伯爵家の長男であるがため、カタリナへの恋心を断ち切ろうとお見合いを進めることを決めます。一方で、貴族たちが通う魔法学校では、女生徒2人が「結婚をしたくない」という会話をしていました。登場人物の3人には、それぞれに本人が望む将来と、その障害があるのです。この話では、お見合い話を通して、3人が新たに決意を固めるまでが、一話完結で描かれています。
あらすじでまとめてしまうと単調ですが、雰囲気と話のディテールがよい話です。貴族設定の甘さと庶民感は、はめふら全体を通して否定できないのですが、その点はなろう作品特有の表現として考えるとよいかもしれません。

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女性というキャラになりたい男性たち

さて、男性人気を考えていきましょう。「百合要素があるから」や「なろう系のプロットが男性に人気があるから」というのは、もちろんだと思うのですが、本質的ではないと考えています。おそらく、ポイントは男性の中にある「女性性」の肯定です。

話を進める前に、ネットで共感の多そうな意見を抜き出してみましょう。

① かわいい女の子になりたい理由
「現実の女の子好き」と「アニメのキャラクターの女の子好き」は、ちょっと意味が違う部分があると思う。〜(中略)〜 絵描きが女の子を描きたがるのは、自分の中の女の子みたいなものをかわいいと思ってほしいということもあるし、絵に描いた女の子を見てかわいいと思ったり、そのストーリーに入っていくというのは、僕ら男もそういう「かわいくなりたい」や「無垢になりたい」、「ピュアになりたい」というものがあるんじゃないかな。いわゆる『北斗の拳』とかのマッチョもののアニメや漫画を見たときに、俺たちも「ヒーローになりたい」「マッチョになりたい」というのが、心のどこかにあるわけじゃん。同様に、女の子アニメを見て萌えるときというのは、俺たちもかわいくなりたい。でもそれは、「強くなりたい」と「かわいくなりたい」というのは、ピュアな状態で無敵の状態でありたいという点で、実は共通してるものがあると、俺は思っているんだ。

(文字起こし) 岡田斗司夫さん 2016年5月15日の放送より https://m.youtube.com/watch?v=UrZC7p652o4&t=0s
②バ美肉おじさん (バーチャル+美少女+受肉)
バ美肉おじさん、バーチャルYouTuberで中身がおじさんという風に思ってください。〜(中略)〜
もちろん、ボイスチェンジャーとかでかわいい女の子の声にしている人もいるんだけど、中には、おっさんの声そのままの人もいて、見てる人は、おっさんの声そのままでも割と「かわいい」とか言っているというなかなか面白いものです。

〜(中略)〜「かわいいと言われると胸がキュンとします」/「自分の好きな姿を好きと言ってもらえるのが嬉しい」/「肉体の魂を脱ぎ捨て、魂が美少女に入る。その魂が直にかわいがられている気がする。」

〜(中略)〜 じゃあそんな風に、かわいいかわいいと言ってくれても、かわいいと言ってくれてる人は騙されてるんじゃないか?と、ついつい考えますよね。でもですね、バ美肉おじさんのそれに対する回答というのは、「京都の枯山水は、水がないのに、水があるように見立てる。人形浄瑠璃の黒子も見えないものとして扱う。バ美肉というのは、それと同じだ。」と言っているんです。

〜(中略)〜 騙しているからみんな見ているわけじゃないんです。中身がおじさんであっても、もう気にしないという見立ての思想を持っているこんな粋な人たちが、全体の96.3%もいる。

(文字起こし) 岡田斗司夫さん 2020年1月22日の放送より https://m.youtube.com/watch?v=V8Vk6VlLllM

内容が若干古いので、補足をしていきます。

オタクとしての「女の子になりたい」

①の話は、おおむね的の得た指摘のように思います。アップデートがあるとすれば、男性が「かわいい女の子になりたい」と思うように、女性も幼少期から「かわいい女の子」への憧れがスタンダードな道徳観として語られてきたことでしょう。現実問題、社会で生きていくには狡猾さやシビアさというものが必要とされ、大人であるほど強く感じるものです。しかし、かわいくて頭の弱い天然キャラの無敵の女 VS 狡猾でシビアなキャリアウーマンという対立は、女性の方が深刻で身近な問題として子供時代から表出しているといえます。その点を女性は深く考え続けているため、男性がアニメのかわいい女の子を恋愛対象として好きで見ていると感じれば、気持ち悪いと思うわけです。日本におけるディズニープリンセスは、わかりやすい例かもしれません。

ちなみに、この現象は、BLコンテンツに対する男性側の誤解とも繋がります。現実の自分の問題と切り離して見れるコンテンツにこそ、自己投影し、没頭できるのです。

「女の子になりたい」は、
オタクだけの願望ではない。

さて、②についても補足していきましょう。2021年には、バ美肉おじさんだけでなく「カコジョ」と呼ばれる、加工女装を楽しむおじさんもいるわけです。

2016年の①の「かわいい女の子になりたい」は、あくまで、「心がピュアなまま最強でありたい」という願望として、語られていました。なぜ逆の性別なのかについても、それが消費者の現実社会を想起させないためだったわけです。しかし、バ美肉おじさんとカコジョを見るに、どうもそれだけでないことに気が付きます。言ってしまえば、心の中の女性的な部分の全肯定なわけです。

ここで考えたいのが、男性の言う「ショタが好き」とは何か?という問題です。すこし意外かもしれませんが、ショタというジャンルは、海外でも日本でも昔から男性人気のほうが多いと言われています。※性的な話は、今回は考察しないのですが、①的に考えれば、ショタの男性人気は「ピュアなまま最強」の性別が変わっているだけなので、別に不思議ではありません。ただ、これは、男性の中にある母性的なものの肯定だと考えています。ショタはよく「養いたい」というワードが出てくるジャンルなのです。

つまり、男性の「女の子になりたい」には、単にピュアで最強なキャラになりたいというものではなく、例えば、母性までも含めてた「心の中の女性性の全肯定」があるのではないか?と思うのです。

⚠️
※いちおう、簡単な補足をしておくと、ヘテロの男性は、性行為中に他の男性のペニスに興奮するという研究があります。他のオスにメスを取らないための闘争本能として、人間にも動物的に備わっているそうです。AVに黒人の男性役が人気なのも、NTR、ショタ、ふたなり、TS、男の娘、trapと言ったジャンルの説明も、ある程度はこれでできてしまうんですね。

そして、男性の言う「女の子になりたい」を現代的に解釈すれば、「女の子になって、女性の人生に現れる苦悩も困難も努力も偏見もトラブルもすべて請け負いたい」という気概があるようにどうも感じるのです。

②には、実はさらに続きがあります。

② つづき
バ美肉おじさんには、意外な変化があったというんです。例えば、ちょっとえっちな格好をして、スクワットして、パンツ見えそうになったりすると見てる人はすごい喜ぶんですね。すごい喜んでくれるんですけど、ある時、それをやったときに自分が傷付いているのに気がつくんです。「みんな私のことをそんなふうに見てたの!!」というふうに。いや、女の子をそんなふうに見るおっさんがですよ。現に中身のおっさんも、それまで女の子をそんな目で見てたんです。ところが自分が見られた瞬間に「いや、みんなそんな目で見てたの!!」と思うようになって、そうすると、このおじさんはリアルでも女の子をそんなふうに見なくなったんですね。

(文字起こし) 岡田斗司夫さん 2020年1月22日の放送より https://m.youtube.com/watch?v=V8Vk6VlLllM

いろいろ考えるポイントが多くて、難しい話ですが、ジェンダーというのは、他者から提示されて選択的に選びとることも多いものだと考えています。その意味で、バ美肉おじさんというのは、自分の新しい生き方というのが見つかって、それに合わせて、ジェンダーを選択したのだと思います。

5年前までであれば、「女の子になりたい」(≒女の子というキャラと生き方がほしい)という願望は、アニメを見て妄想するか、コスプレするか、絵を描くかというものでした。
しかし、2020年からのバ美肉とカコジョの登場で、限定的で選択的に「女の子になりたい」を叶えることができるようになりました。その選択肢が、結果的に、SNS時代の承認欲求と被性的搾取を引き受けるものだったことは、偶然であれ、重要だったのでしょう。それによって、「最強さ」以上に「弱さ」を手に入れることができたのです。

「男性であることがうしろめたい」、「社会に要請される男性らしい生き方ができない」、「加害者の側でいたくない」、現実社会や人間関係の中には、そうした感覚を持ち、男性という地位から降りたいと考える人がいます。

リアルの人間と二次元orバーチャルの人間が違いが日々、あいまいになり、逆転する現代。そうでなくても、理想のかわいい女の子像というイメージが現実の女性を惑わせた過去。(それ以前は、結婚観と女性の生き方がある程度決まっていた) 

「女の子になりたい」男性の表出は、現実社会をどう変えていくのでしょうか?

いずれにせよ、「女の子になりたい」=「リアルのトランスジェンダー」には、限らないことをTERFとは全く別の在り方で認識する必要がありそうです。

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