見出し画像

毎日コツコツ料理暮らし その91「同じ味になる時には」

料理の仕事をしていると、いつも同じ味付けになってしまうという相談を受けることが結構多いです。
そういうヒトほど、料理=味付けという方程式が暗黙で出来上がっていることが多いのかも?って思っています。

料理をすることとは?


料理をすることはいろんな要因が含まれていると考えています。
・そのままでは食べれない食材を食べれるようにする(そのままだと人にとって害となる(生の肉を食べて食中毒になることやアクの強いもので下処理が必要なことや固くて食べれないものを食べやすくするなど))

・食材を食べやすいように適当な大きさに切る

・食べてもらう相手を思って、その人に喜んでもらえることをイメージして作る

・同じ釜の飯を食べて、互いの菌を共有してミクロレベルでのコミュニケーション

・食材の組み合わせで美味しさを引き出す

・食べやすいように味付けを加えて、素材の味わいを引き立てる

・食材の栄養を摂取しやすいようにする

などなど、まだまだありますがいろんなことを考えられます。

いつも同じ味になってしまうという人には、「調味料の味になってませんか?」と返答しています。だいたいの人が気づいて「調味料の味になっています!」と返答が返ってきます。

私の料理は大体が同じ調味料を使っています。醤油、本みりんが大半なのが自分でも気付かされます。それでも料理によって味わいが変わってくるのは自分が素材の味わいを活かすということを意識しているところかもしれません。

農家さんから野菜を買うことがマルシェであるのですが、そんな時にはあまり加工しないで味付けもシンプルにするように心がけています。それは農家さんへのリスペクトでもあり、素材が良いものだからこそ、素材本来の味を引き立てた料理にしたいというのがあるからです。

その延長線に普段の料理にも、活かすようにはしています。

過剰に旨味を足さないで、素材の旨味を活かす料理

私の料理は優しい味とよく言われます。私自身があまりダシを意識して取ったり(かつおだしやこんぶだしなど)ダシの素やコンソメや中華ダシや味の素のような旨味成分をプラスすることをしないからというのがあるかと思います。

私自身が旨味が強いものは同じような味わいになってしまい、味が濃いものになるというのがあまり好みではないからというのがあります。
子供の頃はアジ塩胡椒的なものをなんでも入れて料理をしていましたが、美味しいのですがいつも同じ味わいで、何か違うと思い使うのをやめました。
塩は塩、胡椒は胡椒で分けて使うようになり、それだけも料理の味が同じ味わいに近いものにならなくなりました。

お味噌汁はダシを入れないと美味しくないっていう定義がありますが、そのダシを取るのが最初は楽しいものではありますが手間がかかりめんどくさくなってお味噌汁を作らないようになるという方も多いかもしれません。
だしの素など使うのもどこか罪悪感を感じられるなんていう時期がありました。
お味噌汁にダシが必要な時は、具材が少ない場合で入れる具材自体に旨味があまり含まれていない場合にはダシを入れるという補うために入れるようにはしています。ただ、お味噌汁にはダシが必要という暗黙のルールのような、誰もがいれてるから入れるということになるのはちょっと違うのかな?って思うこともあります。
味を足すというのは味見をして足りない、素材の味わいを引き立てるためにするということを前提におこなうようには心がけています。自分の料理癖で同じ味付けにしてしまうなんてこともあるのですが、調味料を味付けとして使うのではなく、素材の味わいを活かす、引き立てるということで使うことが、いつも同じ味になってしまうという悩みから解放されると思います。

お味噌汁と出汁の関係


お味噌汁も具沢山にすれば出汁を入れなくても美味しくなります。出汁入れるのめんどくさくて入れなくてもいけるかも?って試しに作ってみて、飲食店で出汁をいれないの具沢山お味噌汁は美味しいとおっしゃってくれて問題ないというのを実感しました。

尊敬する土井善晴さんも『一汁一菜でよいという提案』という本で出汁をとらなくてもよいということを書いていて、共感を感じました。

昆布のグルタミン酸という旨味は白菜やトマトにも含まれています。知識を知っておくことで代用もできます。
具沢山お味噌汁では、なぜ出汁をとらなくても美味しいのか?ということを説明しますと、具沢山お味噌汁のベースは豚汁で作ることが多いです。
豚肉の旨味、きのこ類の旨味、ごぼうやにんじんの根菜類の旨味、その他いろんな素材に旨味が含まれており、それが混ざり合って自然と旨味がプラスされています。それには無理がなく意図的に加えた旨味成分ではないので、やさしい味わいになるということにつながるのだと考えられます。

シンプルなお味噌汁を作る場合は、旨味がある方がお味噌の味わいを引き立てやすいので、汁茶碗にかつお節ととろろ昆布とお味噌と好みの具材を少し加えて、インスタントラーメンのようにお湯を注いで味噌を溶かすだけで出来上がります。
かつお節は出汁をとれば取り出すなんていうことをカツオ出汁の取り方ではあるあるですが、家で食べる場合はそんなに取り出すなんて気にしなくてもよいと思います。取り出す工程が一つ減ることで楽ができて、料理のハードルが少しでも下がる方が大事だと思います。男女とも忙しい今の時代に、子育てに仕事に追われて料理がいつも大変で時間をなるべくかけなくないという友人の悩みを聞くことがあります。

大雑把で良い加減でもよい料理


仲良しの銭湯のおばさんと料理の話をしますと「私は大雑把やから繊細な料理はできないから下手なんよ」なんていつもおっしゃりますが、大雑把だからこそよい意味で適当で良い(いい)加減に料理ができるのだと思います。話を聞いていると、作って食べてもらえることがとても嬉しくてたくさん品数を作ってしまうということを聞いて、そこで繊細に時間をかけて作っているとそれは難しいことだなと思います。
料理を食べさせてもらうことがあるのですが、懐かしい味わいでホッとします。そこにはおいしさを追求するのではなく、作ってもらえてホッとする料理というものです。誰かに作ってもらって食べれるっていうことだけで、味のおいしさという料理の判断基準とは違うものが本当は大事なんだと最近は思っています。

仕事先で料理を作ることがあり、味付けを薄くして欲しいという要望がありました。でも、なかなか味付けを薄くできなくて1年半くらい試行錯誤をして、最近やっと味が薄味になるようになったと実感できています。味を薄くする=素材の味わいがするということにも繋がり、自分で味見をしても素材のそれぞれの味を楽しめるというのを感じました。

仕上げは自分で判断

味が薄い濃いというのは、それぞれの料理の調味料の使い方のクセだと思います。
私の場合は自分が塩味と甘味の調味料の比率を今までのと薄味にする際の比率を試行錯誤して変更してみました。
料理にはこれが正しいということがないのが面白いところで難しいところです。
レシピに関しても、目安として分量を記入しています。
なので、レシピの作り方の最後には「味見をして味を整えてください」というのを書いてることが多いです。最後は自分で判断してもらいたいということは大事ですし、食材自体も同じ味わいではないので、調整も必要になってきます。
繊細な感じに思われますが、普段作る場合は大雑把で醤油と本みりんはこれくらいの比率でざっくり入れようみたいな感じで作ることが多いです。
酸味が欲しいかな?ってなればお酢を加えてみようとか実験みたいな感じです。

味の余白を作っておく

最近、調味料レシピを多く作っていますが、作った調味料をどれだけ加えるかは目安であって、その目安は素材の味わいを楽しめることを意識しています。
自家製調味料を作って、楽して料理ができるということは今の時代にとっては重要だなと感じているからです。

市販のものも美味しい調味料がありますが、自分で作って使う分だけ作るということや、調味料のレシピを目安に自分や食べてもらう人の好きな味わいに調整できるということができるような余白を残しておくことが料理を作る上で楽しいことであり、相手への思いやりにつながるのではないかと思います。

改めて、自分の料理を振り返りつつ、尊敬する土井善晴さんの本を読み直して思ったことを書きました。


上記のようなことを完璧に心がけているとは言い切れませんが、意識してレシピを配信しています。企業様のレシピなども上記を心がけて開発などをおこなっています。何かお手伝いできることがありましたら問い合わせお待ちしております。


この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?