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思い出ごはんは家族をつくる

子どもの頃、運動会の日のごはんは決まっておでんだった。
平成生まれの私が小学生になった頃には子どもの数もすっかり減っていて、運動会は午前中で終わる程度の規模だった。元来運動が得意ではなかった私は運動会には何ひとつ思い入れはなかったが、その日の昼食のおでんには、前日母が仕込んでいる時から胸を熱くしていたのだった。

母の作るおでんは、牛すじでとった出汁に醤油ベースの味付けで、おでんにしては少し濃厚な白ごはんのよくすすむ味だった。前日から炊いて味がしみしみになった大根と褐色に色づいた卵が私のお気に入りで、それは今も変わらない。

母からおでんの作り方をきちんと教わったことはないが、実家を出てから人並みに自炊をしていた私は舌の記憶を頼りにそのおでんを自分のものにした。一人で作って一人で食べても思わず「うまっ」と呟いてしまうほど、やっぱりおでんは美味しかったけど、あの頃と違うのは食卓を囲む家族がそこに居ないこととお供が麦茶からビールに変わったことだった。

長らく一人の食卓を謳歌してきた私も、実家を離れてちょうど10年の年に結婚して二人家族になった。猫も飼い始めたのでプラス一匹だ。家での食事は大抵二人と一匹で取るようになった。(一匹は膝の上で丸くなっているだけだけど)

結婚した年の11月、空気がひんやりとしてきた頃のこと。

「今日はおでんだな。」

と冬の予感の中で唐突に思い立った。

本当は前の日から作るのが一番美味しいのだけど、おでんを決意したのがその日だったから二日かけるのは諦めた。明日ではなく、どうしても今日食べたかった。

そうと決まるとまずは牛すじの調達をしなければならない。学生時代に一人暮らしをしていた関西では、どのスーパーに行っても大体牛すじが売られていたが、数年前に越してきた東京ではあまり見かけないような気がする。ひとまず最寄りのスーパーをのぞいたが、やっぱり牛すじは売られていなかった。しかし私のおでんには牛すじが必須だ。なければ何も始まらない。ということで、普段はあまりお世話にならない町の肉屋さんへ少し足をのばす。さすが肉屋と銘打っているだけあって、そこには立派な和牛の牛すじが鎮座していた。正直そんな上等な肉じゃなくて良かったのだが、これを逃したら次はないかもしれないという思いで奮発した。

その他の材料はいつものスーパーで買い揃えた。大根、卵、こんにゃくにじゃがいもと適当な練り物。なかなかの重量になったおでんの材料たちと、必要なものが手に入った充足感を抱えて帰途に着く。


前述の通り、我が家のおでんの味の肝は牛すじだ。ただ最後に味をキメてくれるのは実は練り物たち。彼らが最後に鍋に投入されるまでは味見をしても何かが足りないのだが、ちくわやさつま揚げが鍋の中でふっくらと膨張し味がしみてきた頃、鍋の中身はついに「あの味」を体現する。完成した味を確かめるための味見をして、やっぱり声に出てしまう「うまっ」。

出来上がったおでんを目にした夫の第一声は、

「なんか…黒いね。」

だった。

確かに、黒い。黄金色の出汁が満ちたコンビニやスーパーの袋入りのおでんに対して、醤油ベースの我が家のおでんは黒々としている。夫は多分少しだけ引いていた。

「これがうちのおでんだから!」

と怪訝な顔をする夫をスルーして二つの器におでんを盛り付ける。見慣れない見た目でもこのおでんは美味しい。絶対的な自信がある。

気の乗らぬ様子ではあったけど、まずは大根を口に運んだ夫。ハフハフと口から湯気を吹きながら頷く。

「美味しい。」

その後器の中をあっという間に空にした夫は二度おかわりをしていた。私もつられて三度ほど。(器の大きさは私の方が小さい!)

その後も何度か我が家の食卓に登場した黒いおでん。

夫もすっかり気に入って、「(おでん界で)一番美味しい。」との評価をいただいた。

あの頃運動会を終えて、運動会よりはるかにワクワクしながら家路についた小学生の私と、現在の夫。時も場所も離れてはいるけど、二人は確かに繋がっている。二人の間を繋ぐ糸は、もちろんあのおでん。母の味であり、そして私も自ずと受け継いだおでんだ。

会話をして思い出を共有するだけでも、過去の私と夫は結びつくだろう。けれどそこに味の記憶が加わることで、より強く通じ合う気がしている。そしてその繋がりは私たち夫婦を家族たらしめる大切なものなのだ。

今度夫を連れて実家に帰ったら、母におでんを作ってもらおう。一緒に作るのも良いかもしれない。

夫と過去の私を繋ぐおでん。次はきっと、母と夫を繋いでくれるだろう。

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