川と共にある生活|ラオス、ルアンプラバン
今年1月に行ったラオス旅行を、写真とともにゆるりと振り返ります。ルアンプラバンはラオス北部にある古都で、市街地全体が世界文化遺産登録されています。
*****
ルアンプラバンの魅力は何より、どこをとっても街並みが本当にかわいいこと。
南国の光の強さにあう、カラフルな彩、ブーゲンビリアの花、星のモチーフ。ラオスの国旗と赤旗。
ああ癒し。装飾がすごい凝っている、ということはないけど、その素朴さが好き。
*****
ルアンプラバンの朝は、日の出前から始まります。
町に点在するお寺で修行中のお坊さんたちが一斉に列をなして町を練り歩き、托鉢をするのです。
小さい子供も含めて、一家総出で托鉢をしている家族に出会うことができました。
托鉢が終わって日が昇り始めると、今度は朝市。食材を買い出す時間です。
そして西日が差す頃には、今度はナイトマーケットの準備。
王宮横のお寺;ルアンプラバンの中心地のその横で、賑やかな夕方が始まります。
町に流れる空気は、規則正しく、全体にゆったり。
そのリズムを作っているのは、ルアンプラバンのすぐ横を通るメコン川なんじゃないかな、そんな気がしました。メコン川のゆったりとした雄大さは、日本の急峻な地形で見かける川とは全く異なる印象を与えるもので、それだけで感動的でした。
さらに好きだったのがこのゆったりした船。前に座っているのが船主さんで、ゆっくり静かに動きます。
光が差し込んで、影のレースを作っているのも美しい。
タイは下手に文明の利器を手にしてしまって、船はブンブンとエンジン音がうるさく、かつ速いために安全性が心配。ヒヤリとした体験をしたばかりだったので、このゆったりさは心地よく安心感がありました。
船の上から、メコン川と人々の暮らしが密接に繋がっていることも見て取れました。
この写真だと見にくいかもしれないですが、川で洗濯する人、河岸に干してある洗濯物、川で水遊びする姿、そんな様子が見えました。
こちらは副流のナムカン川にかかっていた橋ですが、面白かったので紹介します。
またしても素朴な橋、と思いきや、年間6ヶ月しかかからないんだとか!
雨季は増水し、かつ川の流れが早くなるのでこの橋をかけておくことができず、撤去するようです。毎年、手作りでかける橋。
そして極め付けが、これ。
メコン川に浮かぶ夕日があまりにも綺麗で、三日連続で異なるビュースポットで夕日を拝めてしまったほど。
*****
タイが「微笑みの国」ならば、ラオスは「はにかみの国」だと思いました。
ラオスで出会って話した人も、タイと同様にみんな笑いかけてくれました。でもその笑顔は、タイで見かける上手すぎる笑顔とは少し違っていて、照れが半分混じった、控えめな笑顔。ラオスは景色も人も全部素朴、しかし、それがいい。私は心を射抜かれました。
ラオス語とタイ語はかなり似ていて、またラオス人の多くはタイ語でテレビを見ているため、タイ語が通じます。私はタイ赴任中でタイ語を勉強していたため、最低限の意思疎通が取れたのも嬉しいポイントでした。
印象的だったのは、「タイで働いている」と伝えると「日本人なのに、国外で働くの?先生なの?」という質問を必ずされたこと。「会社で働いているんだよ」と答えたけど、きっと「転勤するような職業として、先生くらいしか知らないんだろうな」と後から思いました。
また、ホテルで話し込んだウェイターのお兄さんの身の上話も印象的でした。曰く、地方のど田舎出身だけど、テレビで英語を話している人を見かけ「英語を話せるって、かっこいい!」と心から憧れ、身一つで観光地のルアンプラバンまで来、何も話せない状態からレストランのウェイターとして働き始め、毎日外国人と話した内容を復習し、今では流暢に話せるようになったのだとか。
すごく真摯で心打たれる。
*****
観光客の方との交流の話も少し。
Pha Tad Ke Botanical Gardenという植物園に立ち寄ったら、フランス人の観光客のご一行と出会い、「ガイドさんの説明を一緒に聞いたらいいじゃない」と温かくも迎え入れてもらい、説明を聞かせていただきました。
コロナの流行で、もう旅行することも見知らない人と気軽に話し込むことも難しい時代に突入してしまったけど、だからこそ、このときに触れた人の温かさと旅でひょんなことから全く知らなかった人と交差する人生の面白みを、ちゃんと覚えておきたい。
ちなみに、ガイドの話が聞けたのは本当にラッキーで、在来の植物を人々がどう活用していたか学ぶことができました。例えば、人を呪う植物(!)、人の呪いから家を守る植物(!)、産後の肥立ちを助ける植物、染料に使う植物、シャボン玉のようにして遊べる植物、薬として使う植物、などありとあらゆる使い方を知りました。在来の植物を使いこなすラオスの人々の知恵に触れられました。
*****
最後に真面目な話題を。
UXO Lao Visitors Centre(ラオス不発弾プロジェクト・ビジターズセンター)にも行ってきました。
ラオスは、世界で一番爆弾に汚染された国です。ビジターズセンターによると、ラオス国内にはあと8千万個の不発弾が眠っており、全て撤去するにはあと100年かかるそうです。当然、人々の生命を脅かし続けています。
では、なぜラオスがこんなに爆撃されているのか。
理由はベトナム戦争です。
ベトナム戦争中、ベトナム軍の補給路としてラオス国土が使われていました。しかし、ベトナムはその補給路の存在を知られたくないため、その存在を隠していました。
また、アメリカは、ベトナムの補給路を断つために、ラオス国土を爆撃しました。しかし、ラオスは戦争当事者ではなく、都合が悪いのでアメリカも爆撃の事実を隠していました。
これが、ラオスが被爆大国であることが知られていない理由のようです。
ひどい。ひどすぎる。
あまりに心が痛み、その時持っていた現地通貨を全て(帰るのに困らない程度だけ残して)全て寄付にまわしました。またささやかながら本稿で紹介することで、少しでも認知が上がればと思っています。
美しいルアンプラバンにお越しの際には立ち寄って、寄付いただけると嬉しいです。
日本国政府も、寄付に貢献しているようでした。
また旅ができるようになる日が来ることを祈って。
サポートありがとうございます。サポートは本の購入費にあて、note記事で還元できるように頑張ります。