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幸せそうなタイ人とその根底にあるものについて

タイに駐在で来て2ヶ月。なんだかタイの人は日本人より幸せそうに見えます。

「幸せ」って時間的継続性を伴うものなので、エピソードとして紹介しにくいけど、例えばお昼の時間。私がご飯を残さないように頑張って食べようとする横でタイ人は「もうお腹いっぱいだから」とご飯を残していることは日常茶飯事。つまり、自分の気持ちに正直。
タイ人は「頑張る」ことよりも「楽しく、楽に、幸せに」な小さな選択を日々積み重ねているように見えるのです。一方日本人の私は、生活のいたるところにまで「規律を守る」「頑張る」という価値観が浸透していることを思い知らされます。

タイの古都チェンマイを旅する中で、幸せそうなタイ人の根底にある文化に少し触れられた気がするので、それについて書き留めます。

チェンマイのお寺で聞いたお坊さんの話

タイ人は(少なくとも日本人に比べたら遥かに)敬虔な仏教徒です(少数派のイスラム教、キリスト教、ヒンドゥー教などもいますがここでは横に置きます)。
私の所属する会社内にも仏像が飾ってあって、先日は社員が参加できる衣替えの儀式があったくらい、仏教が身近です。そんなタイの古都チェンマイのお寺で、物理学の博士号を持っているお坊さんのお話を聞くことができました。

「タイ仏教のことはよく分からない」という顔をしてやってきた外国人にお坊さんがくださった教えは二つ。
- 日々、良い行いをしなさい。
- そして今に集中しなさい。

「過去の栄光をいくつ集めても何にもならない。未来のことを心配しすぎても、未来のことは予測しきれない。あなたが生きているのは今この瞬間であり、今に集中することから最も多くを得られる。」

「仏教は神を信じる宗教ではなく、人が苦しみから解放されて、人生を幸せに生きるための実践学。実学だから科学とも親和性がある。」※文末注

最後は、私の健康と幸せを祈ってお経を唱えてくれました。

信心深くない私でさえ、「ああ、良いことして今に目を向けて生きてみよう」という気持ちになったので、小さい頃から節目節目でお寺に通っているタイ人ならなおのこと思うのではないでしょうか。

ポジティブ心理学で科学的にも証明されている


この仏教の教えはアメリカのポジティブ心理学やThe Science of Happinessの分野で注目され、実際に幸せに寄与することが研究によって明らかになりつつあるようです。

良い行いをする
→他人に親切にすることはコミュニティへの帰属意識や他人との繋がりを持っていることを実感させ、幸せの増大に寄与するようです。

今に集中する
→過去の後悔や将来への不安に囚われていることこそ、ストレスを増大させる要因のようです。逆に今目の前で起きていることに意識を集中させることで、ストレスを和らげることができるとのこと。マインドフルネスという用語で注目を集めています。

タイでは人生の幸せの秘訣が仏教の教えの中にあって、お寺がリマインダーの機能を果たしているのかなと思いました。苦しみから解放されて、人生を幸せに生きる知恵が社会に蓄積されているのでしょう。

一方、日本人として生まれ育って強調されるのはどちらかというと「人様に迷惑をかけないように」ということで、明示的に「良いことをしなさい」、「今に集中しなさい」と言われることは、相対的に少ないように思います。

日本人の目に奇妙に映る、職場での「今を生きる」タイ人


同時に、タイに来てからの2ヶ月で見聞きした色々なカルチャーショックとお坊さんの教えが繋がりました。

タイで働いている日本人はよく「タイ人は刹那的」と愚痴をこぼします。

「首都バンコクの月末の渋滞はひどい。給料日にタイ人が一斉にバンコクに押し寄せ、その日もらった給与の半分を使ってしまうから。結局お金が足りなくなる人も多く、給与の前借り制度がある会社も多い。」

「タイ人はリスクを事前にあげず、現実化してからしか報告しない。事前に言ってくれたら手のうちようがあったのに、現実になる前に心配するのはナンセンスだと思っている。」

日本人は「理解のできない奇妙な行動だ」というトーンで話すんだけど、そう、もう全部「だってお坊さんの教えに従って今を生きているからね」で説明がつく。刹那性というのは、タイの「幸せに生きるための知恵」まさにそのものなのでした。

少なくとも「年中温暖で食べるものに困ることがない」「食料自給率が200%」のタイにおいて、かつては将来を心配しないで生活することのデメリットが大きくなく、「今に集中する」のは幸せに生きるためにとても合理的だったのではないかと思います。貨幣経済に飲み込まれた現代のタイにおいて、「今を生きる」に深く傾倒した生き方が今後も合理的かはわからないけれど。タイ人は清々しく幸せに生きている。それも素敵じゃないですか?

日本人の幸せを祈って


この記事を書こうと私を掻き立てたのは、タイにいる間に日本の友人が仕事の負荷で亡くなったからでした。

悲しい出来事が起きてから数週間、引き続きタイで生活しながら「なんでタイ人は幸せそうに見えるんだろう?」「どうやったら日本人はもっと無理なく幸せになれるんだろう?」ともやもやと考えながら過ごしていました。正直全然答えは出ていないもの、海外にいるからこそ提供できる視点が少しでもあるならばとりあえず書いて公開してみようと思いました。

タイに来て日本のすごく良いところも気づいたので、それは追々書くかもしれませんが、まずは日本人ひとりひとりの幸せを祈って、筆を置きます。


※注
どのように科学で説明できるか物理的に説明していただいたけど、タイ語なまりがきつい英語でここは理解しきれませんでした。瞑想状態で脳波を測るとどうなるか、ということと、人間はどうせいつか死ぬということを関連付けて話していましたが、聞き取れない部分が多くて私の中でストーリーを再生できませんでした。

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