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電気に依存した生活でついつい無くしてしまっていること〜和ろうそくを生活に取り入れて考えた光と影のゆらぎについて〜

今日はちょっとしたことなんですが、和ろうそくの光電気の光のお話です。

ここ最近、よく夜に「和ろうそくを灯す」ということをやっています。

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ろうそくというと洋ろうそくが主流ですが、和ろうそくもいい感じです🕯✨

洋ろうそくと比べると、火の揺らぎが大きいですが、それほど危なくはありません。ただ、火がついている間は、念のため、火の近くに佇んで見守ることにしています。

私が和ろうそくをつけているのは、夜の寝る前30分くらいの時間です。(早く起きた朝にも点けることがあるます。)

シンプルに、すごく落ち着きます。

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思えば、多くの人にとって、夜に明かりといえば、電気を点けるという行為でもたらされます。便利ですよね。

ただ、電気によって、失われたものがあるのではないでしょうか?
それがゆらぎのある光と影なのではないか?と感じています。

私は、オン・オフがはっきりしている電気を点ける、消すという生活習慣の間に、ゆらゆらと揺れ、かげりのある時間を取り戻すという実験をしていて、その一例として和ろうそくを点けています✨ 

電気と和ろうそくの話は、谷崎潤一郎の陰翳礼讃にも書いてあります。

『陰翳礼讃』(いんえいらいさん)は、谷崎潤一郎の随筆。まだ電灯がなかった時代の今日と違った日本の美の感覚、生活と自然とが一体化し、真に風雅の骨髄を知っていた日本人の芸術的な感性について論じたもの。谷崎の代表的評論作品で、関西に移住した谷崎が日本の古典回帰に目覚めた時期の随筆である。

西洋の文化では可能な限り部屋の隅々まで明るくし、陰翳を消す事に執着したが、いにしえの日本ではむしろ陰翳を認め、それを利用することで陰翳の中でこそ映える芸術を作り上げたのであり、それこそが日本古来の美意識・美学の特徴だと主張する。こうした主張のもと、建築、照明、紙、食器、食べ物、化粧、能や歌舞伎の衣装の色彩など、多岐にわたって陰翳の考察がなされている。この随筆は、日本的なデザインを考える上で注目され[3]、国内だけでなく、戦後翻訳されて以降、海外の知識人や映画人にも影響を与えている。(ウィキペディアより)

そこで指摘されるのは、近代になり、電気を使うことが一般化したことで、私たちが影(陰)を失ってしまったということです。
 
電気の光は、揺らぎが少なく、一定の影を作り出します

和ろうそくの光は、よく揺らぎます。そして、よく揺らぐ影を作り出します

さらに徐々に火が小さくなっていくので、自然と暗闇に包まれていくような心地が生じます。
 
光と影の交代という移り変わり。オンをオフに瞬時に変えるのではなく、名前もつかないような(あわい)を体感することができて好きです。

ちなみにこれに合わせて、簡単なメディテーションをやっているのですが、これらをやっているうちに、だんだん寝付きがよくなってきました。さらに、長年の課題だった早起きもできるようになってきました。

おそらく、交感神経から副交感神経へのモードの切り替えを和ろうそくの光と影と共に徐々にやっているのだと思います。それが私の場合はしっくりくる方法が和ろうそくでした。

電気の力には日々とっても助けられています。それに生かされて生きてはいるけれど、過剰な電気の使用のあり方は適切に手放していきたいし、光と影を感じるライフスタイルを取り戻していくことが、私には必要みたいです。

和ろうそく、おすすめです♪ 

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