第7話 伝えられた想い
次の日の放課後。
「――先生でした。ありがとうございました」
講演会が終わって、講堂がざわざわしはじめた。
司法部のみんなが仲間同士で話しはじめたり帰りはじめたりするなか、私は一人、プリントの内容をノートにまとめている。
(遅れをしっかり取り戻さないと)
ふいに、ノートに影が落ちた。顔を上げると、部長がすぐそこに立って私を見下ろしている。
「邪魔してごめんね。ちょっといい?」
「? はい」
「ねえ。弁護士の夢咲怜一先生って、夢咲さんのお父さんなのっ?」
「……そう、ですけど」
「やっぱり! 私、先生に憧れてるの!」
ポニーテールを揺らしてはしゃいでる部長を、なんとも言えない気持ちで見上げる。
負けなしルックスよしのお父さんは女性を中心に人気があって、一部では氷の帝王なんて呼ばれてる。氷っていうのは、いつもクールで動じないから。
そんなお父さんだけど。仕事仲間の弁護士さんによると、「雪どけ」って言われるくらいお母さんにはぞっこんだったんだとか。
(お母さんがもし生きてたら、もっと笑ってくれてたのかな)
「――だから、もうすぐお会いできるなんて信じられなくて!」
(ん?)
「あの、今、なんて……」
「模擬裁判の見学に来てくださるでしょう? それが楽しみだって言ったんだけど……」
「え!?」
視線が一気に集まったのがわかるけど、それどころじゃない。
「お父さん、来るんですか? 学園に? いつ?」
「え? 来週の月曜日だけど……もしかして知らなかったの?」
返事もできないくらい、体が冷えていく。
私がちゃんとやってるか、確認しに来るつもりなんだ。
今日は金曜日。全然時間がない。
(……やっぱりやめなくちゃ。オルゴール作り)
昨日からずっと考えてたことだ。
お父さんが来るって聞いただけでこんなに焦るなんて……今までいかにサボってきたかわかる。将来に関係のないことに夢中になってたツケが回ってきたんだ。
(私は弁護士になるためにここに来た。お父さんも、そのつもりで学費を払ってくれてる)
――ちゃんと、しなくちゃ。
「夢咲さん? 顔色が悪いけど、大丈夫?」
「え……あ、大丈夫です」
「あんまり無理して、先生に心配かけないようにね。それじゃあ、また」
部長が笑顔で去っていく。
時計を見ると、サロンの閉店時間まであと十分。めぐる先輩はそのあといつもモニタールームで宇宙警察の定時連絡をしてるから、今出れば余裕で会えるはず。
(しばらく勉強に集中したいって相談して、出勤日数を減らしてもらおう。それと……オルゴール作りはやめるって伝えておかなくちゃ。……羽岡先輩には、会いたくないな)
オルゴール作りはエスポワールにぴったりだって喜んでくれた。あのときのキラキラした笑顔を思い出したら、息が苦しくなる。
どうか、今日だけは会わずにすみますように。
そう思ってたのに――。
「泉!」
めぐる先輩に気持ちを話してこっそりサロンを出ようとしたところで、うしろから声が飛んできた。羽岡先輩だ……。
がしっと肩をつかまれて引きとめられる。
「悪いけど、聞かせてもらった。……勉強するっていうのは、仕方ないと思う。だけど、どうしてオルゴール作りまでやめるんだよ? 作曲、やってみるんじゃなかったのか?」
(先輩、声が怖い……)
振り返って顔を見なくたって、怒ってるってわかる。
だけど、何を言われたって気持ちは変わらない。変わっちゃいけないんだ。
私は、肩にかけたスクールバッグの持ち手をぎゅっと握った。
「怠けすぎてたって気づいたんです。オルゴールを作る時間があったら、勉強しないと」
「どうして急に?」
羽岡先輩は、引き下がってくれそうにない。
(昨日の……愛来ちゃんとのことは話したくない。……お父さんのことだけ説明したら、わかってもらえるかな……)
私は羽岡先輩に向き直り、弁護士を目指すことになったきっかけについて話しはじめた。
きちんとした夢を見るように言われたこと。
娘が自分と同じ弁護士を目指しているって知って、満足そうにしていたこと……。
「来週、お父さんが司法部に来るんです。情けない姿は見せられない。模擬裁判……私は人前で話すのが苦手だから、人一倍練習し――」
「そんなもん、やめちまえ!」
急に怒鳴られて、身体が凍り付いた。
落ちていた視線をおそるおそる上げた私は、息を呑む。先輩が、眉をぎゅっと寄せて泣くのを我慢しているみたいに唇を噛んでいるからだ。
(……どうして、そんなに苦しそうな顔をしてるの……?)
「――っ、叶えたくもない夢のためにがんばるなよ! そうやってダメになった人を俺は知ってる!」
「……っ」
「……ごめん、かっとなった。……気をつけて帰れよ」
「あ……」
先輩が出ていく。
しんとなった部屋に、カタンっていう小さな物音が響いた。階段の方からだ。
そこにいたのは今日もとげとげした格好の博士で、目が合うと、「あ~」って低い声を出して金髪をわしゃわしゃかいた。
「まさか、修羅場に遭遇するとはな」
「……そういうわけじゃ……。だけど、すみません……」
「いや、謝る必要はねえけどさ」
博士は苦笑しながら階段を降りてくる。そして、私の正面で足を止めた。
「さっきの天馬の話……」
見たことがないくらい真面目な顔だ。いつもの真夏の太陽みたいな雰囲気が、波のない海みたいに静まりかえってる。
「あいつんちが、由緒正しい医者家系だって知ってる?」
「……え。知りません、けど……」
「そっか」
ぽつりと呟くと、博士は少し間を置いてから口を開いた。
「よくある話だけど。天馬の兄貴……優馬は、オヤジさんから医者になれって言われ続けて育った。俺みたいなのと親友なのが信じれないくらい、ガキのころから塾塾塾……遊ぶ暇なんてないくらい勉強づけだったな」
「……」
「そんなふうに頑張ってきたのに、優馬は医学部の受験に失敗した。オヤジさんにめちゃくちゃ怒られて……そのままいなくなっちまったんだ」
「――え」
「警察もお手上げ。生きてるか死んでるのかもわかんねえ。……バカなヤツだよ」
(そんな……)
博士の目が寂しげに伏せられてるのを見て、息が苦しくなる。
「舞子さんがこの学園を作ったのは、あいつみたいなヤツを出さないようにするためなんだと思う。ユメクイなんて話を信じてヒーロー部を作ったのも、そーゆー事情が絡んでたってわけ」
(そう、だったんだ)
羽岡先輩がヒーロー部に入ってるのも、博士が協力してるのも、きっと同じ気持ちだから。夢の途中で心を病んでしまう人や、優馬さんみたいな……偽物の夢を追い続けて、自分を犠牲にしてしまう人を助けるためだったんだ。
(……先輩が私に怒ったのは、お兄さんのことを思い出したからだったのかもしれない。……放っておいたら、取り返しのつかないことになるかもしれないって心配してくれたから……)
「ブルー。今の話聞いても、やりたいことやめんの?」
「……それは……」
「ちょっと待ってろよ」
博士は階段を上りはじめると、途中で止まって「今帰ったら罰金な!」って子どもっぽい台詞を言って消えていった。
そして、またすぐに戻ってくる。
「ん」
渡されたのはA4のクリアファイルだった。中には紙が何枚か入ってる。
「天馬が印刷した資料。明日お前に渡すって、ガキみてえにはりきってた」
(なんだろう? ……あ)
受け取って紙を取り出した私は、息を止めた。
『初心者でもできる曲作り』
ホームページの一部分や、参考資料がまとめられたページが印刷されてる。なかには、『作曲家になるには』なんてものもあった。
「マジでおせっかいだよな~。悪気はないから、嫌いにならないでやってくれよ」
嫌いになんて、なるわけない。
私は、気がつくとサロンから飛び出していた。
煉瓦づくりの道を、走る。走る。
やっと見つけた先輩は、藍色とオレンジ色が混ざった空の下、誰もいない河原に座っていた。
「――っ、先輩!」
息を切らしたまま叫ぶと、見つめた先にある背中が大きく跳ねた。
振り返った羽岡先輩は、目を丸くしてる。
「泉……どうして……」
立ち上がった先輩の手前まで走った。
あと少しのところで、何かにつまずいて……。
(転ぶ!)
覚悟して目をぎゅっとつぶった瞬間、体が温かくなった。
(あれ……?)
真っ暗な視界。ドクンドクンって聞こえてくる心臓の音。
まさか。
私今、先輩に抱きしめられてる――?
「はあ、びっくりした」
耳元で声が聞こえた瞬間、私は飛びのくみたいにして先輩から距離をとった。
「す、すみませんでしたっ!」
「いや、いいけど。泉って、意外と危なっかしいよな」
先輩がクスッと笑う。だけどすぐに、悲しそうな顔になった。
「さっきはごめん。急に怒鳴られて怖かっただろ?」
私は静かに首を横に振った。
「……心配してくれたんですよね。……その、博士から、お兄さんのこと聞きました……。それで……」
飛び出してきたから、伝えたいことがまとまってない。
(私って、本当に要領が悪い)
だけど、先輩は迷惑そうな顔なんてしなかった。「そっか」って寂しそうに笑う。
「勝手に兄貴と重ねられても困るよな。……だけど俺」
先輩がまっすぐにわたしを見た。
「泉には、好きなことをして、笑って、楽しく過ごしてほしい。……オルゴールが売れたときの嬉しそうな顔見て、すごくそう思ったんだ。だからついキツい言い方になった。ごめ……」
「謝らないでください」
私は先輩の言葉を遮ると、手に持ったままだったクリアファイルを自分の胸に当てた。
「これ……博士から受け取りました。……ありがとうございます」
「……」
「まだ始めてもいないので、作曲家……はわからないですけど……。……ちゃんと嬉しかったです。迷惑だとか、余計なお世話だとか、そんなこと思ってません。――ありがとうございました」
黙って聞いてくれていた先輩が、ふっと表情を柔らかくした。
「てっきり嫌われたかと思った」
「そんなはず、ないじゃないですか」
(むしろ……。……むしろ、なに?)
「ありがとう。じゃあ、ついでに言わせてもらうけど」
「?」
「そろそろ名前で呼んでよ。『羽岡先輩』なんて、堅苦しすぎ」
悪戯っぽく笑った先輩の顔を見て、心臓が跳ねる。
(名前……)
「て……て……」
(~~っ、無理! いきなりそんなこと言われても困るよ……!)
「……今度呼んでみます」
「ええ~? めぐるは名前呼びなのに、なんでだよ」
「なんでって言われても……」
(そんなの私が聞きたいくらい)
羽岡……じゃなくて、天馬先輩は子どもみたいに唇をとがらせてたけど、「まあいいや」ってその場に座った。
「せっかくだし、少し話してく?」
私を見上げながら、ぽんぽんって隣を叩いてくれてる。
「……それじゃあ、お言葉に甘えて」
「やっぱ固いな~」
ははって先輩が笑う。
私たちは、色々な話をした。
先輩がヘアメイクアップアーティストを目指したのは、小さいころお母さんの髪を櫛でとかしてあげたときに褒めてもらえて、すごく嬉しかったことがきっかけだってこと。
お父さんに従うお兄さんを見ているとイライラして、自分はそうなりたくないって反発したこと。それを、すごく後悔してるってこと。
その話を聞いたら、私も悲しかった出来事を聞いてほしくなった。
愛来ちゃんとの話だ。
「……そっか。だから、急に……」
しん、と沈黙が落ちる。遠くから、誰かの楽しそうな笑い声が風に乗って聞こえてきた。
「泉は、愛来ちゃんと友達になりたいって今でも思う?」
出会った日のこと、寮の部屋でたくさんおしゃべりしたことを思い返してみる。
愛来ちゃんはいつだって素直で、言葉に裏がないのがわかるから安心した。
見た目はほんわかしていて可愛いのに、実は情熱的でメラメラ燃えてる女の子。あんな風になれたらなって……。
「――はい」
この気持ちは、きっと嘘じゃない。
はっきり答えると、先輩が唇の端を少しだけ持ち上げた。大人っぽい表情だ。
「だったら、素直に話せばいい。本当の夢を探してる最中なんだって」
「……そんなこと言ったら、ますます嫌われるんじゃ……」
「もしそうなら、友達になるのは諦めたほうがいい」
「!」
「本当の自分を受け入れてくれる人が友達なんだって俺は思う。……そういう意味では、めぐるも創くんも、俺も、もう泉の友達だな」
先輩がにかっと笑った。
(そっか。だから……)
四人で過ごしているとき、司法部にいる時みたいな息苦しさはなかった。いつのまにか、あの場所が私の居場所になってたんだ。
(……嬉しい)
「友達として言うけど、やっぱりオルゴール作りやめるのはもったいないと思う。だって、好きなんだろ?」
「それは……」
「決めるのは泉だから、これ以上は言わない。……暗くなってきたし、そろそろ帰るか」
「そう、ですね」
(……決めるのは私……)
スクールバッグを肩にかけ直してしっかり前を向くと、私は歩き出したのだった。
◍┈⿻*.·◍┈⿻*.·◍┈⿻*.·◍┈⿻*.·
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